夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

津波警報とNHKのBSと公共放送を考える

2009年01月09日 | Weblog
 4日朝、ニューギニアで地震が起きた。その津波警報がテレビで流れた。私の見ていたのはNHKのBS2。ハイビジョン特集の「里山の音」の再放送だった。ハイビジョン放送など見られる情況ではないから、いい機会だと喜んで見ていた。「音」がテーマだから、警報が画面の一部を大きく使っていても、それほど致命的とは言えない。だが、同じ警報が延々と続いている。
 あまにりも長いので、民放ではどうなのか、とチャンネルを回して見たが、その時はどの局でも警報は流れていなかった。しばらく流して、あとは消したのか。
 津波が恐ろしいのは知っている。わずか50センチほどの津波でも人間は簡単に流されてしまう。だから警報を見たら、海辺に近い人間は危険から逃れる算段をする。それは30分も1時間も警報を出し続けなければ出来ない事ではない。わずかの時間では見逃した人が居たとしても、絶海孤島の無人の境地ではない。長く警報を流し続けたからと言って役に立つ性質の物ではなかろう。
 漁港なら、漁業組合などが有線なり無線なりで組合員に知らせるだろう。町や村の役場も同じ対応を取るはずだ。それを聞き逃したりする事は無いだろう。そしてこちらの方が絶対に有効だと思う。

 夕方のテレビで、津波は警報が出た時には既に日本に到達していたと報道していた。警報が流れていたのは、10時過ぎの番組である。翌日の新聞で確認したら、気象庁が注意報を出したのは10時8分。小笠原諸島の父島に40センチの津波が到達した13分後だった。その観測値が予想以上だったので、再計算して、紀伊半島や四国に50センチほどの津波が予想されたため、急遽注意報を出したのだと言う。紀伊半島や四国はそれからでも間に合う。
 警報が事前に出されなければ意味が無いのは当然だが、その後、いつまで出し続けたら良いのだろうか。紀伊半島の串本町では津波の到達は午後0時14分だった。だが、その間ずっと出し続けなければ役に立たないと言う訳でもないはずだ。
 こうした番組内での警報がどれほど実際の役に立つのか、との問題もあるが、私が疑問に思ったのはもっと別の事だ。BSはNHKの総合テレビとは違う種類の有料放送である。総合テレビなら「公共放送」との自負からも、受信料を取っている事からも、警報は民放よりもずっと念入りに流す必要があるだろう。だがBSは「公共放送」ではないだろう。「有料」の質が違うのではないのか。「公共」なら、一番簡単な受信装置でみんなが見られる必要があるのではないのか。

 と思ったのだが、古い切り抜きを見たら、NHKの会長は「BSのスクランブル化は有料放送に近いものになり、公共放送としての性格を変えてしまう」と言っている。えっ? BSって有料放送じゃないのか? じゃあ、いわゆる受信料とは別の料金は何なのか。このように言われると、NHKが放送するのはすべて「公共放送」になる。「NHK=公共放送局」の図式が出来上がってしまっているらしい。
 民放は、「NHKがBSにスクランブルをかければ、放送はNHKを含めてすべて視聴率競争になってしまって、番組の多様性をなくす」と言っている。
 これがよく分からないのだが、スクランブル化は、現在の受信料体制とは違い、金を払ってスクランブルを解除しなければ見られないのなら、見ない、つまり契約しないと言う人が出る。それは見ても見なくても強制的に受信料を取る現在の体制とは大きく違う。即ち、NHKのBSが「公共放送」ではなくなる、と言っている事になる。
 そうか、やはりNHKはどの放送もすべて「公共放送」である、と誰もが考えている訳だ。そうなると、BSで延々と津波警報を流していたのは理由がある事になる。

 でも、あの津波警報は実際の効果を考えれば、大きな疑問がある。どうも、「ね、きちんと津波警報だって流しているでしょう。だからNHKは公共放送の役目を全うしているんですよ」とアナウンスをするのが目的のように思えてしまう。
 なぜこんな事を言うのか。民放がNHKを「公共放送」として温存しなければならない、と考えている事に大きな疑惑があるからだ。こうした津波警報を始めとして、NHKは「公共放送」の役目に徹しろ、民放は面白おかしい番組を放送していれば良い、との論理が成り立ってしまうからだ。NHKが地味で真面目な番組を放送しているからこそ、民放は視聴率争いの番組制作が保障されているのである。それが「NHKがスクランブル化に踏み切れば、番組の多様性が無くなる」との発言に明確に現れている。視聴率競争は民放の間だけにしておいて欲しいと言っている。もちろん、CM収入が何よりも大切だからである。