夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

年賀状に消印を押さないのは郵便局の陰謀か

2009年01月03日 | Weblog
 明けましておめでとうございます。
 元日、二日と休みました。新年そうそう、文句みたいな事を言うのもちょっとはばかられまして。で、今日三日が初日なんですが、やはり、これはどう見たって文句ですね。 
 ずいぶん昔に年賀状には消印を押さない事になった。既に消印が印刷されている。年賀状は12月25日までに投函すれば、元日に届く。だがそれ以降ではどうなるのか。
 昨年、カラープリンターが故障して、ぎりぎりの作成だったので、25日の投函に間に合わなくなった。カラーが前提で作っているから、変更するとしても簡単には行かない。幸い、仕事で使っているモノクロプリンターは大丈夫だ。そこでモノクロで作ってカラーで版画にするか、とか色々と考えた。
 そしてどうせ元日には間に合わないのだから、文字通り「おめでたく」元旦に書く事にした。そこで消印の問題が起きて来る。当然ながら、正月になっても、ポストの投函口は年賀状と一般の郵便物は分けられている。で、年賀状には消印は押されない。だから、元旦に投函した年賀状が、果たしていつ届いているのかは分からない。
 昔、まだ消印を押していた頃、年賀状をもらってから書いたと思われたくないと、12月31日ぎりぎりに普通郵便扱いとして投函した事がある。当然に12月31日の消印が押される。そして元日以降に届く。これが30日では具合が悪い。下手をすると31日に着いてしまう。

 結局、何が言いたいかと言うと、消印を押さない事で、郵便局はいつ投函した年賀状をいつ配達したのかと言う証拠を残さずに済むのではないのか、と言う事なのである。消印は非常に大事な事なのである。よく「当日消印有効」との約束事がある。集める最終時刻ではその日の消印を押されない事があり、早めに投函してくれ、との注意書もある。それくらい、消印は重要なのである。
 その消印が押されない。つまり、仕事がどのように行われているかを外部からは判断する事が出来ない。葉書なり、封書なりを投函する事は、我々と郵便局との間で一つの商取引をした事なのである。何円也のお金を払いましたから、いついつまでに届けて下さいと我々はお願いをしている。郵便局は何円也の支払いを受けましたから、いついつまでに届けますと約束をしている。いついつまで、と言うのは、大方の約束が出来ているからである。宅配便ならその点は非常にきちんとしている。郵便だって速達などの別料金になれば約束は守られる。しかし通常郵便ではそれが非常に曖昧なままである。
 郵便局の窓口で、いつ届きますか、と聞くと、正確なお約束は出来ません、と言われてしまう。宅配便で出来て、郵便局に出来ない訳が無い。50円とか80円くらいでぐだぐだ言うな、と言うのかも知れない。
 年賀状は一時に郵便物が殺到する。だから特別にアルバイトを雇って対処もしている。きちんと配達が出来ないのであれば、年賀状の制度なんかやめてしまえば良いのである。だが、大きな収入源だからそうは行かない。
 それなら、いつ投函すればいつ配達になるのか、と言う商取引の約束事をきちんとするべきだろう。今日3日、小田原で31日に投函した葉書が着いた。消印があるので、投函日が分かる。年賀状なのだが、私製葉書でしかも「年賀」となっていなかったので、普通扱いになったのだろう。小田原から東京までで、投函日と配達日を含めれば、何と4日も掛かっている。

 元日は配達だけで、他の郵便業務は休みなのか。そうした事もあまりはっきりしていない。交通機関は休み無しである。郵便は公共事業の最たる物なのだから、休み無しで当然だろうし、集配体制などをもっときちんと取り決めて、分かり易く提示すべきだと思う。クロネコのメール便では確か信書は受け付けられないはずである。郵便事業はそうした特権待遇を持っているのだから、やるべき事はきちんとやるべきである。郵政の民営化にしても、そうした細かな点をはっきりとさせずに、ただ、「民営化、素晴らしいね」と言った案配で進めて来たような気がするのだが。

 もう少し気楽で楽しい話もしたいのですが、著名人でもあるまいに、日記風の内容ではね。でも時々は日記風の事も書きたいとは思っています。今年もよろしくお願い申し上げます。