『思い邪なし』を読み終えました。副題は「下村治と激動脳昭和経済史」。人物の行動や会話などが直接話法で書かれており、まるでその場に居合わせたよう。水木楊さんの筆が冴え渡ります。
(以下引用)エコノミストは自分の予測にすべてを賭ける。知力、体力、そして名誉も。少なくともこの頃のエコノミストはそうだった。自分の予測に基づく経済政策が国民を貧困の不幸から救い出せるという確信と使命感に満ちていた。
厳しいけれど働き甲斐もあった。そんな時代だったのでしょう。
(以下引用)いま日本が直面している問題の大部分は、成功し過ぎたことから発生している。大きくなった自国経済と世界との関係をどのようにしっくりさせていくか。折り合いを付けていくか。(中略)さらに言うなら、世界にとって日本という国がなぜ必要なのか。その存在意義を明らかにしなければならなくなっている。
初出は1992年の月刊誌『現代』(1~4月号)で、単行本化も1992年。バブル経済の真っ最中ですね。そうした時代背景を差し引いても、「日本という国が~」のくだりは現代にも当てはまります。
現在のTPPを巡る議論では、聞こえてくるのは、「乗り遅れるな」「ルール作りに参加できないぞ」という損得の意見ばかり。「世界にどう貢献できるか」という視点からの意見が聞こえないのは寂しすぎ。そんなことも考えました。
(以下引用)エコノミストは自分の予測にすべてを賭ける。知力、体力、そして名誉も。少なくともこの頃のエコノミストはそうだった。自分の予測に基づく経済政策が国民を貧困の不幸から救い出せるという確信と使命感に満ちていた。
厳しいけれど働き甲斐もあった。そんな時代だったのでしょう。
(以下引用)いま日本が直面している問題の大部分は、成功し過ぎたことから発生している。大きくなった自国経済と世界との関係をどのようにしっくりさせていくか。折り合いを付けていくか。(中略)さらに言うなら、世界にとって日本という国がなぜ必要なのか。その存在意義を明らかにしなければならなくなっている。
初出は1992年の月刊誌『現代』(1~4月号)で、単行本化も1992年。バブル経済の真っ最中ですね。そうした時代背景を差し引いても、「日本という国が~」のくだりは現代にも当てはまります。
現在のTPPを巡る議論では、聞こえてくるのは、「乗り遅れるな」「ルール作りに参加できないぞ」という損得の意見ばかり。「世界にどう貢献できるか」という視点からの意見が聞こえないのは寂しすぎ。そんなことも考えました。
「非伝聞調で~~」が適切です。