法は善および衡平の術である/理の嵩じたるは非の一倍/悪法も法である/力を力で退けることは許される/自白は証拠の女王である/風が吹けば桶屋が儲かる……。
以上、『法格言ア・ラ・カルト』(柴田光蔵著)の目次より。目次の項目はそれぞれ法格言になっており、これら格言について、法学者がエッセイ風に解説しています。
日本生まれの法格言で、「非理法権天」が紹介されていました。簡単にいうと、価値の順で、「非<理<法<権<天」です。
非行者より、理性ある人のほうが良い。道理をわきまえた人でも、法律に反すれば罰せられる。いかに理にかなった法律も、政治権力者の超法規的措置で曲げられる。どんな権力者も、天道・天網から逃れることはできない。天網かいかい疎にして漏らさず、といいます。
ただし、この順は中世のこと。現代では「非<理=権<法(<天)」という順でしょうか。まがりなりにも現代日本は、法治国家ですから、法が強い。一部例外を除き、政治家は理性的です。科学万能時代ですから、非合理な「天」は無視されているようです。そして、天に代わって「利」がトップに君臨しているのかもしれない。つい数年前は、「儲かれば何をしてもいい」という風潮がありましたね。
同書を読んでいて、こんなことも連想しました。非行少年も、理性ある大人も、法律を学んだ秀才も、政治家や権力者も、津波に飲み込まれた。大人も子どもも、バカも秀才も、庶民も権力者も、天災にはかなわないのだ、と。自然の前にひざまずき、ただ祈るのみ。僕は、それでいいと思います。自然(天災)を克服する必要なんて、ない。
同書の発行は1986年。著者は、ローマ法・比較法が専門の京都大学の先生(当時)で、法律雑誌の連載をまとめたものです。
なお、太平洋戦争中、人間魚雷、回天を載せた潜水艦や、特攻機に「非理法権天」と染め抜いた旗があったそうです。特攻兵は、どのような思いで死地に向かったのでしょうか。天は致し方ないとして、権のあり方が問われています。
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