金属中毒

心体お金の健康を中心に。
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プライドの対価

2007-01-13 19:07:23 | 鋼の錬金術師
失踪14
プライドの対価

医師は違っていた場合の減給を覚悟の上で、昨日聞いていたご当主の別荘に来た。
下した診断は無慈悲としか表現できなかった。
名は教えられなかったがこの銀色の青年が何者か、すぐにわかった。
国境の守護獣の役から、やっと解放された彼は、今度は自分自身からも解放された。


彼は笑う。もう夜に急にうなされることも無い。
悩みも苦しみもその原因であった記憶ごと彼から離れた。
彼の一日はのんびりと始まる。
ろくに眠らなかった分を取り戻すかのように朝はゆっくりと眠る。起きるのは早くて10時である。
顔を拭いてもらい、手を洗ってもらい、その間、ぬれた手を振り回していたずらするのは毎朝のこと。
「いたずら坊主」
振り回した手をそっと握られ柔らかなタオルで拭いてもらう。
「いい子だ。じっとしていられるようになった」
髪をなぜると笑う。うれしいのかくすぐったいだけなのか定かではない。
「ルイ様。そういうことは自分でできるように練習させないと」
後ろから医師が苦情を申し述べる。あの日きたこの医師はそのままここにいついている。
田舎のことなので内科小児科産婦人科外科を兼任していた医師は子育てにも向いていた。
聞き分けの悪い子供がスプーンを投げ散らかす。医師は次のスプーンを取って握らせる。また投げる。
その手をすかさず叩く。
大泣きする彼をルイが慰めようとすると医師はご当主様に怒鳴りつける。
「犬のしつけと子育てのしつけは始めが大事です!邪魔をするなら出て行ってください!!」
助けてもらえないとわかると彼はさっさと泣き止んだ。
「うそ泣きか?」
「違います。子供の中ではどちらの感情も本物です」
「そういうものか」
今まで才能ある子供を300人以上育ててきたが、手元で育つのははじめてみる。
ましてその子供が彼なのは。
公平に見て医師が良い教育者であることは間違いない。おそらく自分ひとりでは彼を甘やかしてばかりで手がつけられなくなっていただろう。それも悪くない気もするが・・・。いや、とにかくセントラルに一度は戻らなくてはならないのだし、少しはおりこうさんになってもらわないと預けて出られない。あの悪夢の夜から半月、彼を研究所から出してから1ヶ月半が過ぎた。

医師の叫び声にとんでいくと予測どおり、部屋いっぱいのバラのつると鮮やかな青い花。おそらく、部屋の奥に彼がいるのだろう。ここをうかつに離れられない理由のひとつがこれだ。記憶を完全に失っても錬金術だけは使える。覚えていたのか、新たに覚えたのかは定かではない。
今のところ、怒られたり遊びを邪魔されたりのとき、ヒステリーを爆発させるように使っているだけだが、何の問題も無くこれだけの質量練成ができるということは、きちんと教える者がいれば今の彼でも要塞を作れる可能性があるということになる。
もし、脳の検査のためにセントラルに連れて行ったら、せっかく忘れた地獄にまた縛られる可能性が高い。
今朝、妹に電話をかけた。
「電話では申し上げられません。早く帰ってください」
盗聴を考慮してそれしか言わない。妹の声は怒りの微粒子を含んでいるようだ。
まぁ、怒られても文句の言えない立場であるが。

「申し訳ないがお願いする」
偶然巻き込まれてしまった医師に後事を託し、セントラル行きの特急に乗った。
ノンストップで急いでも半日以上かかる。
もちろんこんな田舎の小さな駅から、セントラル行きの直行特急があるわけは無い。むりやりしたてたのだ。普段のアレックスはそんなことはしない。だが、今は1分でも早くセントラルに戻り1分でも早く物事を片付けてあの家に帰りたい。ラッセル・トリンガムの名を失い、小さなラッセルになってしまったあの子のところへ。


アレックスが言う悪夢の夜の翌朝、
どこかわからないある場所で闇の兄弟が愛情にあふれた会話をしていた。
手ぶらで帰ってきた大兄を目ざとく巨大なトカゲの姿の弟が見つける。
〈おや、大兄。人柱を回収にいかれたのでは何もお持ちでないようだが〉
兄の黒い、否、闇色の瞳が弟を見据える。
「お前ごときにはわからないこともある。黙って指示に従え」
〈ふふん、そりゃ大兄はいつもお父様のお気に入りだからねぇ。勝手にニエを創っても、それを逃がしても怒られないんだ〉
「逃がしたわけではない。それにあの者達が天に昇った時点でニエの役は不要になった。今必要なのは素体(そたい)だ。お父様に報告する。道を明けろ」
〈へいへい、そりゃ大兄はお気に入りだからね。いつでもお父様に会えるわけだ〉
弟エンヴィーは巨大な尾を動かしてお父様の部屋へのドアを開いた。
その尾にはいくつもの人の顔。嘆き叫び怒り今も死につつある顔。
(人もどきめ)
この弟は自分のことを人より進化した生き物と思っている。しかし、大兄と呼ばれたプライドにはそうは思えない。むしろ、これは人の弱さをこね合わせて作ったようだ。そういう意味ではより進化した人間といえるのだろう。
「プライド、人柱を持ち帰らなかったようだが」
お父様の声はいつもと変わりなく聞こえる。だが、だからこそプライドには恐ろしい。この父はもうとっくに何かに気づいている。プライドが自分でも気づかなかった何かに。
「はい、あの人柱はあと5年ほど生かしておけます。
ニエと違い、素体は意志を持ちません。守り手が無ければ壊れます。
あの人柱なら素体をうまく生かし続けます」
「ふむ、よかろう。素体とあの人柱の管理はプライドに任そう」
「はい」
プライドは丁重な礼を残して部屋を出ようとした。だがお父様はさらに続けた。
「プライド、赤い石を使ってまであの人柱を生かしたのは誰のためだ」
「もちろんお父様のためです。あの大男なら素体を傷ひとつ無く育てましょう」
澱みの無い返答。
「ほう、それだけか」
「それに赤い石を使ってはおりません」
「代償は?」
おそらくわかっているだろうにそれでも父は問うた。
「素体になるに邪魔になる記憶を代価としています。素体自身が望んでもおりました。傷はありません」
「よかろう。これからも用意が整うまで素体を守るに力を尽くせ」
それはプライドが今後計画の中心からはずされることを暗示していた。
「お父様の仰せのままに」
恭しい礼とともにプライドは退室した。
今後、この部屋に来ることは無いだろうと思いながら。

昨夜の夜中のことだ。
人柱の寝室に入ったはずが大きすぎるベッドの隅っこで縮こまっているのは彼の育てたニエだった。
この子に会うのは数年ぶりいや、ファーストの姿でなく会うのは2度目だった。
「あまり変わらないが、本当に31になっているのか」 つぶやいて顔をしげしげと覗き込む。
記憶にある姿と大して変わらない。
男の年齢は年輪だ。多いほうがいい。と自己弁護するどっかの大総統などが見れば人生観を感じさせない顔とでも表現するだろうか。
顔を見るつもりは無かった。まして話すつもりなどまったく無かった。
だが、ラッセルは目を開いた。
しばらくボーっとしている。寝起きの悪さは変わらない。
「おいていかないで」
一瞬自分に言ったのかとプライドははっとする。
だが、ラッセルはまだボーっとしたままだ。
そういえば子供のころからこの子は寝起きが悪かった。
下手すると起こしてから1時間はエンジンがかからない。

置いて行かれるようなことでもあったのか。
思い出せば、この子の人生は置いていかれることばかりだった。
母親に捨てられ、父親に死なれ、最も大切な存在はこの子が死んでも手の届かないところにかの人の弟の手を取って行ってしまった。
この子はいつも置いていかれたのだ。
いったい誰の夢を見ているのか。かすかに開かれた銀の瞳を覗き込む。
「ルイ」
答えるかのような声。
色素の無い透明すぎる瞳は黒い闇を写しているのに、   この子が呼ぶのは。
「残念だったな。その男もお前を置いていく。手の届かないところに」
残酷というより、残虐な想いに支配される。
自分を見ていながら、別のモノを口にする子供に。
悪意があるわけでないのはわかっている。いや、悪意が無いから許せない。
それが以前にラースのつぶやいた〈人に近く生きていすぎた〉それゆえの思いとはプライドはわからない。
彼はホムンクルスのプライド。そういう存在だから。
「行かないで」
ラッセルの手は無意識に誰かを探した。
手が偶然にプライドの腕を握る。
しがみつくようにすがってくる。
パシン。
乾いた音が寝室に響く。
反射的な涙が一粒落ちた。
「痛い」
どうやら目が覚めたらしい。
打たれた右ほほを左手でさする。
「ル・・・ファースト!?!」
その人以外いるはずの無いところで、その人がするはずの無いことがおきた。
矛盾する状況が一気に覚醒させた。
目の前にいるのはいるはずの無い男。
「ほう、この姿でもわかるのか」
この姿で、ラッセルに会ったのはこれが2度目。ファーストの姿とはまるで異なるはずだ。
共通するのは、闇色の瞳だけ。
「ファースト、良かった。生きていてくれた」
どう返答していいかプライドにはわからない。
この子は今何を言った。
なぜ私の生きているのを喜べる。私はこの子にとっては敵なのだ。
あの時この子は私の姿を見たはずだ。お父様の命令で本意ではないがエンヴィーを助けて去る私の姿を。
それともあのときのことを覚えていないのか?覚えていなくても無理は無い。意識があったかどうかもわからない状態だった。この子の命が残ったのはまったくの偶然・・・お父様の意図はわからないが。
「あの後すがたもうわさも無かったから、どうなっているかわからなかった」
一息に言った後呼吸を整える。
「5番街にも行ったけど、伝言も無いままだったし、もう会えないかと思った」
つまりこの子は私に会いたがっていたというのか。
なぜだ?
私たちは会いたがるような関係だったのか?

「ファースト?」
一方的に話すばかりで返答が無いのをいぶかしんでいるのかふらふらと、ベッドから降りてくる。
足元が危ない。と思ったらもう転び
とっさに抱きとめた。抱きとめてからなぜ私が、よりによって私がこんなことをしなくてはならないのかと自問する。
(ニエは今後、素体にする。傷をつけるわけには行かない。今抱きとめたのはお父様のためだ)
その次の言葉が無ければ私はこの子を置き去りにして人柱をとりに行っただろう。もとよりそのために来たのだから。
「あ、ありがと、ルイ」
無意識に出た言葉に見えた。
この子は自分が何を言ったのかもわかっていない。
それぐらい自然な言葉だった。
そのときの感情をどういえばいいのかプライドは知らない。末弟のラースにでも聞けばあっさり答える感情。
『一人娘が求婚されてどんどんきれいになっていくのを見ている父の嫉妬心』
もし、ラースがいればこう教えたはずである。
だが、ラースはすでにいない。だからプライドは文字通りプライドを傷つけられてなおかつそれが何かわからず、そのせいで余計に怒りを濃縮する。

そのあとどうしてそういうことをする気になったのか、後になってから考えてもプライドには答えはでなかった。あえて、たとえるなら、出て行こうとする娘をその前に追い出そうとする父。そうすれば娘に出て行かれなくてすむ。娘は永久に娘として父の想いに残れる。
「豪腕の錬金術師は今夜死ぬ」
低い声。聞きなれたファーストの声。
ビクン。
手の中の身体が動く。
「心臓の脇に止まった不発弾が爆発する。だから私は人柱を取りに来た」
死の直後の術師を必要な位置にはめていく。まずは1本目。
「イヤダ」
むしろ小さい声でラッセル、いや、私としてはシルバーの名のほうが呼びなれているが、は拒否した。
「死なせない。俺が治す」
「無駄だな。いずれにせよ数年しか持たない」
「数年?そんなにあるんだ」
数年を長いと見るか、短いと見るか、ホムンクルスにはその感覚はわからない。
「ありがとう」
「?」
あからさまになる疑問符。こんな顔をあの末弟に見られたら、どう言われることか。
「ファーストが教えてくれたから間に合う。後悔しなくてすむ」
後で怒られそうだけどと口の中だけでつぶやく。
身体の表層なら錬金治療もそこそこの腕があればできる。しかし、主要臓器に手を下すとなると、それは通常のオペと変わらないリスクを伴う。いずれにせよ手術される肉体は同じなのだから。
だが錬金術によるオペには大きな利点がある。オペ後の体力低下が無い。
感染症の率も低い。
つまりオペさえ成功すれば予後がいいのである。
しかし錬金術による治療は主流ではない。個々の術者の腕に左右される部分が大きく一定のレベルを保障できない。また、オペは術者の体力を削ぎとっていく。ルイがラッセルの治療を拒む理由がここにあった。
(早く行ってまずは爆発する前に心臓の脇のあの弾丸を、後は)
どうするべきか考えながらドアに手をかけようとする。紅陽荘と違い、ここの部屋は小さい。5歩ほどでドアにたどり着く。
だが、ピシリ
革が金属と触れるような音がした。
「お前はもう少し賢いと思っていたが、しばらく会わないうちに愚かになったようだ」
黒い鞭がドアノブを縛った。それを手にしたラッセルの右手ごと。
「ファースト?どうして」
「私はあの豪腕の術師を人柱として取りに来たのだと言ったはずだが」
「聞いた。でも、いやだから」
「あの人間のどこがそんなにいい。お前が助ける必要など無い」
薄暗い室内では良くわからないが、まして裸眼視力0.1のラッセルにははっきり見えないが、その鞭はそのままに黒い瞳の男の腕につながっていた。
「あの人といたい。あの人のそばにいたい。俺がそうしたいから」
確かに、ラッセルは愚かだった。
一番言ってはいけない相手に一番言ってはならないことを言った。
彼はうそつきだけど正直で素直だった。特に保護者に対しては。
その後、どういう思考がプライドの中で走ったのか、検索することはできない。
ただ、彼は教えたのだ。
今のお前の体力ではオペの途中で死ぬ羽目になる。2人とも共倒れになる。だが、お前には真理に繋がる門がある。代価を差し出せば、効率よくあの男を救える。お前のイノチも助かる。お前を死なすわけには行かない。
「どうしたらいい」
   私との記憶をあそこに返せ。それを代価として使え。
「記憶を?」
「でもそうしたらファーストのことを忘れる」
   正しくは私と出会ってからの記憶だ。それに 私は ずっと覚えている。
「ほかのことも忘れる?」
   そうなる。さぁ、どうする?あの男をあきらめるか。私はそれを勧めるが。記憶を差し出して数年   生きるか?

不自然なようだがラッセルはこの男の言葉を完全に信じた。
この闇の瞳の男はけっして嘘を言わない。すべてを言ってくれないだけで。
(ファーストと出会ったのは14歳のとき、エドたちと会ってその後ゼランドールに行って少したったころだ。あの後の記憶をすべて、あの人と出会ったことも何もかも・・・でも必ずまた覚えるから)
「いいよ。教えてくれるんだろ。やり方を」
(ごめん、でも俺はあの人と一緒に生きたい)
それが誰への謝罪なのかはラッセル自身にも定かではない。

今まで出合った人の姿が浮かんで消えていく。マダムペール。ガイアー、幾十人もの貴婦人たち。白バラのような姫。いつも手を引いてくれたブロッシュの姿。そして、ルイ。
「そうだ、ラッセル。私が最初に見たころの君はまだオムツが取れていなかった」
不意に思い出したかのように、闇の瞳の男が言った。
(えっ。)
何もかも流れていく。弟の姿。2人で迷子になって小さな弟を一晩おぶって歩いたこと。その足元が白く崩れていく。
「いやだ!」
最後に叫んだ拒絶の言葉は闇の瞳の男には聞こえなかった。


「いやだ!」
アレックスは叫び声を聞いて眼を覚ました気がした。
だが、ベッドの中にラッセルはいない。
思い出す。夕べはラッセルと同じ部屋にいられなくて、客間で寝たのだ。ベッドが小さいせいか腰が痛い。夜中にあの子の具合を見に行こうとしたのだが、どうしたことか夕べはひどくだるくて動けなかった。
駅に行く前に声をかけようと寝室のドアを開く。
見えたものは赤と白の芸術品、その対比は5対3.
酸化して変色することの無い人工血液の明るい朱の色に飾られて彼は白銀の身をさらしていた。



失踪15   ココア

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