金属中毒

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兄の新婚生活

2007-01-13 19:34:07 | 鋼の錬金術師
弟と異なる兄の新婚生活の覗き見
逃亡者達25

ヘルガはフレッチャーの横でグラスを揺らした。だが乾きひび割れた唇の配偶者にグラスを渡そうとはしない。
命令することに慣れた貴族の声でヘルガは言う。
「すぐにマスタングのところに行け。息子が父に会いに行くのは当然だからな」
「父?」
「マスタングはお前の父親だ。養子契約は今も有効、当然お前はマスタングの息子でもある」
「あんな男、会う気は無い(僕から兄さんを奪って軍で飼っていた男。兄さんを守らなかった男)」
「少しは考えろ。(こいつに言うだけ無駄か。頭がいい割にはこういう肝心なところでまったく分かっていない。 かわいいものだ)こちらの持ちカードは少ない。使える手はすべて使う。
フレッチャー 俺に逆らうな」
逆らうなと言う声にフレッチャーは無意識にうなずいた。
フレッチャーはこの貴族の青年に調教され始めていた。
「良い子だ。ご褒美をやろう」
かさついた唇が熱いものでふさがれた。凍る寸前まで冷やされたシャンパンが移し与えられる。

あの程度の量で酔うはずも無いのにフレッチャーは階段を下りていきながら足元がふらつくのを感じていた。それは絶食状態4日間の後のアルコールだったためと、すでに気がつかないほど感覚が狂い始めていたのだがー薬のせいであった。
(マスタングのところに行って、追悼式の許可をもらう。‘息子‘の追悼式の)
耳元でヘルガがささやいた言葉。
(お前たちは親子として認められている。このカードはいつまで使えるか分からないから早めに使う。マスタングの息子として行動しろ。
マスタングはラッセル・トリンガムの死を利用してセントラルの大掃除を行った。前にもつかった手だが、そう『あの愛息誘拐事件』だ、あの事件、最初の報告ではエドワード・エルリックが捕まったとなっていた。そのときのマスタングの取り乱しようときたら、お前にも見せてやりたかったほどだ。
だが、次の報告で誘拐されたのがお前の兄だと知った後は、あっさり計算したそうだ。
どの範囲までテロリスト退治ができるかを。つまりお前の兄は息子のうちに入ってなかったわけだ。
なんだ、驚いていないな。分かりきっている顔をされるのはつまらないのだが。
ふん、まぁいい。野生のほうが楽しみもある。
そうだ。今回もマスタングは大掃除を前よりも大掛かりに実行した。
死んでからまで利用される。軍人の鑑だよ。お前の兄は。
だが、少しばかりやりすぎて、収まりがつかなくなった。
トリンガム准将待遇の『本当の死因』が必要だ。
マスタングにそいつをくれてやれ。
『兄の自殺で軍に多大なご迷惑をかけたことをお詫び申し上げます』言えるな。
よしいい子だ。後はマスタングの出方次第だがおそらく自殺で手を打つはずだ。
今更どのグループを真犯人として指定しても収拾がつかない。自殺ならうまく押さえ込める。
それを口に出せるのは実弟のお前だけだ)

フレッチャー・トリンガムは軍では大佐の一人に過ぎないはずである。普通の大佐ならいきなり大総統に面会を申し出てすぐ通されるはずは無い。しかし、彼は単なる大佐ではない。あの守護獣とも北の守護神とも呼ばれた故ラッセルの実弟であり、今はたった一人になった「マスタングの息子」である。あの輝きの兄弟の唯一の生き残り。
面会希望は他の予定を組み替えて最優先で通された。

―大佐はあの子達とは親子としては失格でした、でもあなた方4人は間違いなく家族です。もう一度話してみて。きっとあの子もチャンスを待っているわー
リザはお茶を用意しながらマスタングにそう教えた。(あの時あの子をやさしく受け止めていれば、
いいえ不可能だった。でも今からまだやり直せるかもしれない。大佐、フレッチャー君とあなたは間違いなく親子でもあるのだから)
このところのフレッチャーの動きを見ているとロイを確実に敵と定めたように見える。
あの時はフレッチャーが衝動的に飛び出すのを防ぐためにマスタングはああいう言い方をしたが、唯一の息子になったフレッチャーと敵対するのは政権の安定のためにも好ましくない。
(それに、ロイ、あの子にはもうあなたしかいないのよ。受け止めてあげて。あの子は置いていかれた子。ラッセル君がどう考えて行動していたとしても、そうたとえ本当に死んでいたとしてもあの子が置いていかれた子であるのは同じ)
ロイの部屋に足音が消えていった。


「アル」
マスタングは軍人でありながらあえて私服で入ってきたフレッチャーを一目見て思わずそう呼んだ。
そしてどこかぼんやりとした視線だったフレッチャーが一瞬で変貌するのを見て取った。
(リザ、君の言うとおりだ。私は親としては失格だ。この肝心なときに)
そう、肝心なときにロイはフレッチャーをアルフォンスと見てしまった。
似ているのではない。10歳で成長を止めたアルに29歳の姿があるはずも無い。しかしマスタングはフレッチャーの成長にアルの成長した姿をいつも重ねて見ていた。
10分後、手も付けられなかったコーヒーカップを下げるリザにマスタングは言う。
「私には親になる資格はない。
あの子が望む限り戦ってやる。私にできるたった一つのことだ」
リザは答えなかった。戦いを受けてやる。それは父としての愛情。だが、それに父がそこにたどり着いたとき、子は父を親としては求めない。


弟がロイと親子の決別と宣戦布告を交し合っていたころ、兄は、兄の残った肉体はけらけら笑っていた。
医師の診断ではラッセルの精神は1歳かよくて1歳半程度でとまっている。
脳細胞自体が死滅しているのでこれ以上の成長は望みにくい。
しかし、正式の検査をしたわけではない(医師は内科医であって脳障害の専門家ではない)ため保障はしかねる。
アームストロング元将軍はそれに対して特にコメントしなかった。
「この子が幸せならそれでいい」
あの夜からその死去までの5年間、彼の指示はそれだけであった。

朝、 10時を過ぎたころようやく起きる。一人では起き上がれない(起きようとしない)ラッセルをルイ・アームストロングは姫抱きでベッドから下ろす。
顔を拭いて、汗ばんでいるようなら身体も拭いて、服を全部着替えさせて、ひざに抱いて朝食を食べさす。ラッセルはスプーンすら自分では持たない。
まだ寝ぼけているラッセルに一口ずつ食べさせる。セントラルにいたときは甘いものが苦手だったのだが記憶が消えてからは子供のように甘いものが好きになった。食欲の無い日は無理をさせずに好きなものだけをつまませる。3歳児の爪の大きさ程のベリーがお気に入りだ。原種に近いそれは普通の流通ルートにはないため手に入れるのにかなりの苦労がある。それを毎日特別便で届けさせている。
セントラルの社交界(金も地位もある財閥などの関係者が集まるところ)では、あの堅物のアームストロング卿が女を囲ったらしいといううわさが立った。
セントラルで兄の代理として財団の経営を見ているキャスリンはそのうわさを聞いたとき、淡いレースのハンカチーフを粉々に粉砕した。
そしてローズピンクの口紅に縁取られた唇を振るわせた。
「お兄様」
小さい声は長年そばに仕えている侍従にしか聞こえなかった。

兄は引退後の5年の間、幾度かセントラルに帰ってきたが軍の用事とどうしても避けられない財団の用事以外には秘密の引退所に引っ込んでしまい、妹を財団当主代理の重責から解放してはくれなかった。ときどきセントラルの有名店にとんでもない注文を出してそのたびにうわさの種になった。
特に高級玩具店であるだけの種類を購入したときには隠し子騒動がおきた。しかしそのうわさは白バラの女王とたたえられたキャスリンの姿を見るとぴたりとやんだ。当主代理として10数年になる彼女は凛とした美貌と背筋の伸びた美しさと、まさしくバラの女王にふさわしい情け容赦ない経営手腕で知られていた。彼女の怒りを買って生き残ったものはいない。

ある会議の帰り、車の中で彼女は青白い月を見上げた。
透明な光をやさしく放つ銀の月。
「ラッセル様。お約束は5年でした。でも」
5年が過ぎた後も2人は婚約者(候補)として周りに見られていたし、2人の行動もそう見えるものだった。ラッセルが引きこもりになるまで、このカップルはマスタング政権とアームストロング財団の絆と見られいずれ式を挙げると思われていた。
キャスリンは月をまっすぐに見上げた。
好きか?と訊かれれば今もイエスと答える。たとえ、あの人がどう答えようと。
(何があっても私はお味方します。あなたがお兄様の心を守ってくださったから)
今夜は満月。ころころと転がっていきそうな丸い月であった。


ころころと丸いものが転がった。
直径3センチのビー球が転がった。その後ろを絹の白いスラックスの青年がはいずるように追いかける。その表情にはもうまったく何の影も無い。ただころがっていく玉を追いかけるだけ。
きゃーきゃぁと大きな声は出ないが(肺を貫かれたラッセルは普通の会話以上の声は出せなくなっていた)楽しげな声が聞こえる。
ルイ・アームストロングは高価な錬金術書を本棚に戻した。昨日とおとといとラッセルがヒステリーを起こし引き摺り下ろした本の最後の1冊である。
ルイのいない間ラッセルはたいそう悪い子になる。食事はひっくり返し皿を投げ出しグラスを叩き割り、水を出しっぱなしにして床をぬらし、窓を叩き割り、手を切って大泣きし・・・。本を床に散らかし、本棚を練成で分解し・・・。
医師が怒鳴ると大泣きしながらつる植物の檻に閉じ込めた。とげだらけの蔓に身動きできない医師がそれでも怒鳴ると、急に泣き止んで舌を出した。悪いこととわかってやっているのだ。
帰宅したルイが最初にすることは泣きわめくラッセルをなだめることで、次にやるのはいたずらの跡を修復することだ。
不運にもこの1件に巻き込まれた医師は『怒ってください』と迫ってくるが屈託の無いラッセルの笑顔を見ていると怒るに怒れない。
(ラッセルは今まで我慢ばかりしていたのだ。せめてやりたいようにやらせて1日でも長く幸せでいて欲しい)
ルイとラッセル(と呼ばれる個体)はこうしてたいそう幸福な時間を過ごした。
この生活はルイ・アームストロングがセントラルに向かう途中の小さな駅において心不全で死亡するまで5年間続く。



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