逃亡者たち19
チョコ(軍用携帯食 一名をレーションとも言う)
前半のみ
翻弄されていた間、懐かしい夢を見ていた。
それとも出血が多すぎて意識が薄れていたのだろうか、・・・どういう出血かについては、 コメントを避けよう。
幸福だったときの夢。不思議にあの偽りの日々ばかりだ。
偽りの中ではあったが、あの時間違いなく私は幸福だった。
両手に兄達の手を取って、今となっては敵と定めた男に守られて、何の不安も持たず、ただ無邪気な子供として幸福であることを義務付けていた。それは大切な人の犠牲で作られた偽り。むしろその人のために私は幸福であり続けた。
あの頃の私は一番大切なものを2つとも手にしていた。おそらくは兄も。
後悔とは後で悔いると書く。その通りだ。すり抜けていった宝物。義兄は天に歩み、兄は 、
僕はなんておろかだったのか、自分で手を離したのだ。
兄さんは僕を要らなくなったのだと勝手に信じて。
まだ3人で兄弟として生きていたころ、
あの頃、兄はマスタングの指示で アルの行方を追っていたようだ。
視察出張と称して幾日も帰らないことがあった。
兄はあの頃アルと会えたのだろうか?
兄がどれほど手を尽くして国中を駆け回ったとしてもすでに人でなくなったアルを追うのは不可能なはずだ。なぜなら、当時の兄の力は地を介するもので、すでに物質であることを脱していたアルには効果がなかったはずだ。
もし、当時兄がアルと会えたならそれはアルのほうが望んだ場合に限られる。
時折僕の前にだけ姿を見せたように。半ば透けた輝くような姿で。あれをもう人とは呼べない。あれは、生まれる前の神 の姿だ。
「立て」
強く髪を引かれた。
強制されても間接が錆付いたようで力が入らない。
「戦争を始める」
ヘルガが笑う。
10年以上一緒にいるが一度も見たことのない笑い方で。
「無理だ。立てない」
ヘルガがまたグラスを開けた。こいつは酔えば酔うほど正常に見えてくる。それだけ酒に強いのだろう。それとも、今まで感じたことはないが、私が兄に捕らえられているようにヘルガも何かに捕らえられているのか。
「ずいぶん情けない返答だな。お前の兄上はあんな身体だったが人前で弱みを見せることはなかったはずだが、種が違えば実も異なるか」
皮肉な口調でシンの古い格言をささやく。
耳にかかる熱い息。
拒否したいのに、私はどうかしたのだろう・・・、身体がヘルガを求める。
こういう時軍人の身がいやになる。普通の者なら身体の反応を否定できるのに。
〈真実をまっすぐ見ろ。現実認識のできない者に、未来をつかむ資格は無い。〉
そう教えたのは士官学校の校長。言葉の出所は若いころのマスタングだとか抜かしていた。若いころ、というよりあの時点でも十分すぎるほど若かったが。
私はこの言葉を吐いたマスタングと変わらない年齢になった。だが私はいまだに現実を見ることができない。
ただひとつの点において。
にいさん、あなたのことだけを。
あなたはほんとうにぼくをすてたのですか_?
それともいなくなったのはあなたのほんしんではないのですか?
あなたをさがしていいのですか
おかしいですね、私の手は、あなたの一部のはずなのに、あなたがあれほど嫌悪した行為を、・・・僕に苦痛を与えた男にすがろうとしています。
口移しに飲まされると何でもうまいなどと戯言を抜かしたのはどの部下だったのか、こんな生ぬるいものがうまいわけないだろう。きっとほんとうはそうやって女に飲ませてもらったことなど無いのだろう。
女。
そういえば、これは翼竜隊が作られたころからの問題だった。
若者ばかりで構成する機動性重視のバイク部隊。固定した基地を持たずマスタングの大まかな命令のみに従い実権は指揮官が100パーセント握る。それは発足時点から内内で問題視されていた。血の気の多い若者ばかりを集団にして統制が取れるのかというのが表向きの問題。そして、何より問題視されたのは 若者の性衝動をどう処理させるかということ。・・・ばかばかしいと思わないで欲しい。士官学校を出たばっかり。やりたい盛りのガキが集団で。
普通の軍団基地なら、まるで双子の街のように自然発生した色町がすぐ近くにある。そこに連れて行けばすむ。
しかし、機動性重視。固定基地なしの翼竜隊がどこで女を手にできるのか。
いっそ、公娼を一緒につけてやろうかという意見まで出たらしい。[さすがに、この意見は軍の公式記録からは削除されている]。
結果的に言えば、闇の情報分析力は軍の諜報部門より優秀だった。
翼竜隊の行く先に必ず、この世で一番古い職業の女たちが待っていた。
行く先の情報が漏れる可能性は無かった。知っているのは私とヘルガだけ。そういう点ヘルガの信頼度は私自身よりも高いほどだ。
若かったせいもあり私も部下と一緒にずいぶん羽目をはずした。そういう行為が軍内で問題視されていたのも知っているが、当時はそれが必要だった。 報告を受けてあの潔癖症の兄が苦虫を何匹噛み潰したのだろうか。
そうだ、あの頃の私は兄が私に不満を持つ、それさえうれしくて、だからついつい羽目をはずしすぎた。本当は好きな女などいなかった。
そして今、兄に消えられた私にはヘルガの手が必要だ。
大人になるべき時期に無邪気な子供であることを自ら決めた私は大人になれなかった。
一人では立てない。
兄の手を欲しい。
子供のころ、本当に小さな子供のころ、迷子になって涙と鼻水でギショグショになっていたとき、手を引いてくれた、あの兄の手が。
欲しい。
アニヲホシイ。
「いいわけだな。欲しいなら欲しいだけでじゅうぶんだ。俺にはな」
無意識に口にしたのだろう。ヘルガがあざ笑う。困ったことにこいつはこういう表情がよく似合う。ヘルガは普通にしていてもいい男だが、こういう表情で見下げられると、奴隷根性とでも言うのだろうか、この人に打たれたいと女は思うらしい。
こいつのために女同士で殺人事件までおきたという。真偽は不明だが、部下は全員信じている。さらに極めつけのエピソードがある。ヘルガは憲兵に協力を求められたおり、捜査本部で『殺された女も殺した女も覚えていない』と答えた。唖然とする憲兵に『諸君は歩いた道にいくつの石が落ちていたか覚えているのか?』と逆問したと聞く。
私とヘルガは、女に処理以上の感情を持たないという点では共通している。しかし、私はどんな女だったかについてはきちんと答えられる。私が処理のために抱く女は全員 長い銀の髪をしている。
また、舌で唇をこじ開けられた。何かが口の中に押し込まれる。
(冷たい)
のどを冷たい感覚が落ちていく。
それは口付けのご褒美に与えられた小さな氷の粒。
「もっと」
ねだるとさらに押し込まれた。こんないいものがあるなら最初からくれればいいのに。ヘルガは変なところでけちだ。
すっかり気持ちよくなったのどに今度は熱く焼いていく液体が流される。
(酒?違うな、これは!)
「ふん、一応医者だな、わかったか」
「クスリだな」
飲まされたのは、ある種のドラッグ。薬事法の規制対象ではないが、合法ともいえない。
強力な鎮痛作用があるため一時的に軍が採用した。しかし、とんでもない副作用があるのですぐ取り消された。副作用、それは数時間後に起こる。強烈な媚薬効果。
「すぐ痛みは収まる。とにかく広間に顔を出せ。後は何とかしてやる」
(何とかしてやるって、それはつまり・・・・・)
「お前がナニを考えているのか見当はつくが、それ以外にもすることはある」
悪魔の笑い。そんなものがあるならこの男にこそふさわしい。
私はすっかり、悪い男にはまったようだ。
数分後、確かに痛みは治まったが力がさっぱり入らない。
出血の影響もある。シーツを濡らした血の量を医者の目で判断する。
800ミリリットル以上はある。
多少貧血気味のようだ。
ヘルガに着せられたのはいつもの軍服。慣れたこの服があまりに重い。足元がよろける。
ぐっと髪を引っ張られた。身長差を利用して引っ張りあげる。ヘルガは私より4センチも高い・・・。エドにいさんあなたの気持ちが今になってよくわかります。
やっている最中の女にすら触らせなかった私の髪、この髪で遊んだのはたった2人。天に歩み去った兄と、地に縛られた兄。
昔、どういうわけだったかよくわからないが、二人して三つ編つくりの競争を始めて、 兄達2人が額をこすり合うようにして夢中になって僕の髪を編んでいく。少し小さい手の熱さと、細い指先の冷たさが今も肌に残っている。それいらい、『軍人にあるまじき長髪』といやみを言われながらも一度も切ったことがない。『兄弟そろって』そういわれたときにはさりげなく闇討ちしてやった。私をどう言おうとかまわない。だが、兄を口にすることは許さない。
その髪をヘルガは犬の鎖扱いしている。
「離せ」
「ヤー(了解)」
命令形に対して、ヘルガは部下の言葉で答える。
ぱっと音がするくらい勢いよく手を離した。
ひざが崩れた。情けない姿だが、ヘルガの腰に腕を回してかろうじてそのまま崩れるのを防ぐ。
客観的に見たら、男を止めようとする男娼。
自分の姿勢と発想に大量の嫌悪を覚える。
将官以上の位になると軍服のデザインが少し変わる。
形式的ではあるがサーベルあるいはそれに類するものがつけられる。(これは皇帝時代の名残である)。
あの兄ですら儀式の折にはクリスタルのサーベルを飾りつけた。
普通なら大剣を飾るのだが、あのころの兄の体力ではそれを形式的にかざすどころか、立ち上がるのも不可能だった。
ヘルガは大佐、フレッチャーは准将。それゆえにフレッチャーの腰には剣がある。
「今なら殺せるぜ」
ヘルガが口の端をゆがめた。
「上官強姦罪。証拠はお前の身体」
微笑するヘルガを見ると、こいつは死にたいのかと思えてくる。
長い付き合いだが、私はヘルガのことはあまり知らない。
貴族の嫡男で、有能な軍人で、兄と同じ年で、誰よりも私を混乱させる男。私が知っているのは士官学校で出会ってから後のことだけ。それ以前はまったく知らない。
ヘルガの瞳が青の中に闇を潜めているのも今日はじめて知った。青い瞳。私の知っている青い瞳はみな空を見ていた。色の濃淡はさまざまだが、青い瞳は未来を見る色だった。
スカイブルー、ジャン・ハボック。
すみれ色、キャスリン・マリア・エル・アームストロング。
駆け抜けていく秋の空の色、ウィンリィ、ロックベル。
兄がただ一度だけ見た海の青、兄を連れ去ったあの人の瞳の色。
思えば、どの人もあの義兄につながる人。
彼らに未来を見せていたのはあの義兄だったのか。
ぐっと力を入れてサーベルを握る。私の剣は兄のそれと異なり本物だ。一振りで何人切れるか。
大きく振り上げる。
ザン
床に金のオーラを散らばらせた。
15年間のばしていた髪が床に散った。
兄達の手が触れて愛撫した髪。
もういらない。
私はあなたを取り戻す。私のあなたを。
そのためなら悪魔の手でも取る。
ヘルガが剣の鞘をささげ持つ。その中に無造作に剣を差し入れる。
角度はちょうど金の髪に青い瞳の悪魔の心臓を貫ける。
ヘルガの手が未練のように刀身にまといつく金の髪を払い落とす。
鞘に口付けて私に返す。こうして私たちは新しい関係を受け入れた。
広間の入り口が開かれた。
この建物も民間からの借受だが、あつらえたかのように部隊に必要なシステムがそろっているので部隊設立以来利用している。そのためここでは多少の羽目はずしは大目に見てくれるし、いろいろと無理な注文も聞いてくれる。
5年前、隊員の一人が結婚したときにここの広間でドンちゃん騒ぎの披露パーティを行った。何しろ、独身者ばかりのこの部隊で結婚したのはそいつが最初。あまりの乱きちぶりに招待された花嫁の両親があきれ果てていた。
それでも最後には部隊全員の祝福を受けた娘婿に最高の式だったとシャンパンでぐしょぬれの燕尾服で抱きついた。確かに普通の軍団では隊員全員が顔見知りで式に参加など考えられない。 本当にいい結婚式だった。あの後、この場所であいつの葬儀を行うことさえなければ・・・。
開かれた扉に一瞬記憶が混乱する。壁にかけられた黒の国旗。
喪章をつけた隊員たち。あの時、部隊は始めての大きな人的被害を受けた。作戦の失敗と言ってよい。
機動性重視のため火力に欠ける翼竜隊は他の軍団と統一戦線を組むことが多い。
その戦場で組んだ軍団の司令官は翼竜隊の存在を苦々しく思っていた一人。
予定の援護が全くなかった。司令官として、部隊の本体を指揮して弾幕の中央から突破させるのが最優先だった。
先発隊として出たやつらを見捨てるつもりはなかった。普段はまったく使わない錬金術を使ってでも間に合わすつもりでいた。
あの作戦の日普段はおとなしかったあの男が自ら志願した。
「恋女房にいいとこ見せたいんだろ!!」
仲間たちにからかわれ、赤くなった彼に先発隊の指揮をゆだねる。家族を持ったやつのほうがむちゃをしないと見ての選抜だった。
正しい選択だった。
翼竜隊を弾幕の的にしようとしたあの司令官の動きさえなければ。
後で受けた報告では四方八方を敵に囲まれたとき、あいつは「そうか、四面楚歌というのはこういうことなんだな」と平静に言ったという。あいつの花嫁の父はシン文化の研究家だった。
その後「虎穴にとか言うんだよな」と言うと一点を指した。敵の弾薬庫のある方向。
「あそこを突破する。運がよければ通り抜けられるだろ。最悪でも走って死ねる」
確かにこのまま的に嬲り殺されるよりは生きる可能性があった。
先発小隊の全員がその計算を受け入れた。軍では指揮官の命令が絶対のはずだが、翼竜隊は特有の気風があり1個人1指揮官であった。命令できる範囲にいるとは限らないし、目的意識に沿って自分で考えろとなる。
結果、30人中生存率50パーセント、あの状況からすれば奇跡の数値。
だが、このような形、味方の軍に裏切られた形での被害に隊の全員がショックを隠しきれない。本来、司令官がどうにかしなくては成らないのだが社会的経験に乏しい指揮官は対応法を知らない。
そのときこの宿営地の支配人が隊のご葬儀の用意をさせていただいておりますと伝えてきた。こんな形で殺された仲間にどうしてやっていいかわからなかった青年たちはやることを教えられた。
無駄と思っていた儀式が意味を持っていること、生きているものには死んだものと分かれるのに形が必要なこと。人生を生きていれば自然につく知恵が優秀な青年たちには欠けていた。
フレッチャー・トリンガムが見たとき会場は黒で染められていた。
全隊員が集まっているのに会場は静かだ。
普段と違い重く感じる自分の足音だけが聞こえる。
それにしても誰の葬儀だ?前回の戦場では被害はなかったのだが。
「准将の兄上の追悼を全員が希望してまいりました」
静かな声が伝える。
「あっ」
兄に捨て去られて、たった一人になって、そう思っていた。
だが、私にはここに家族がいた。
自分でここに帰ってきたのになぜ忘れていたのだろう。
その夜、ベッドを降りながら今後の予定を語るヘルガにふと聞いてみた。
どうして広間にみんながいることを最初から言わなかったのか。それを聞いていれば、 。
それに対してヘルガはにやりと笑って答えた。
「先に教えたらお前をものにできるチャンスを逃すだろ。」
私は本当に正直な男に恵まれている。
失踪18チョコレートの生る木
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チョコ(軍用携帯食 一名をレーションとも言う)
前半のみ
翻弄されていた間、懐かしい夢を見ていた。
それとも出血が多すぎて意識が薄れていたのだろうか、・・・どういう出血かについては、 コメントを避けよう。
幸福だったときの夢。不思議にあの偽りの日々ばかりだ。
偽りの中ではあったが、あの時間違いなく私は幸福だった。
両手に兄達の手を取って、今となっては敵と定めた男に守られて、何の不安も持たず、ただ無邪気な子供として幸福であることを義務付けていた。それは大切な人の犠牲で作られた偽り。むしろその人のために私は幸福であり続けた。
あの頃の私は一番大切なものを2つとも手にしていた。おそらくは兄も。
後悔とは後で悔いると書く。その通りだ。すり抜けていった宝物。義兄は天に歩み、兄は 、
僕はなんておろかだったのか、自分で手を離したのだ。
兄さんは僕を要らなくなったのだと勝手に信じて。
まだ3人で兄弟として生きていたころ、
あの頃、兄はマスタングの指示で アルの行方を追っていたようだ。
視察出張と称して幾日も帰らないことがあった。
兄はあの頃アルと会えたのだろうか?
兄がどれほど手を尽くして国中を駆け回ったとしてもすでに人でなくなったアルを追うのは不可能なはずだ。なぜなら、当時の兄の力は地を介するもので、すでに物質であることを脱していたアルには効果がなかったはずだ。
もし、当時兄がアルと会えたならそれはアルのほうが望んだ場合に限られる。
時折僕の前にだけ姿を見せたように。半ば透けた輝くような姿で。あれをもう人とは呼べない。あれは、生まれる前の神 の姿だ。
「立て」
強く髪を引かれた。
強制されても間接が錆付いたようで力が入らない。
「戦争を始める」
ヘルガが笑う。
10年以上一緒にいるが一度も見たことのない笑い方で。
「無理だ。立てない」
ヘルガがまたグラスを開けた。こいつは酔えば酔うほど正常に見えてくる。それだけ酒に強いのだろう。それとも、今まで感じたことはないが、私が兄に捕らえられているようにヘルガも何かに捕らえられているのか。
「ずいぶん情けない返答だな。お前の兄上はあんな身体だったが人前で弱みを見せることはなかったはずだが、種が違えば実も異なるか」
皮肉な口調でシンの古い格言をささやく。
耳にかかる熱い息。
拒否したいのに、私はどうかしたのだろう・・・、身体がヘルガを求める。
こういう時軍人の身がいやになる。普通の者なら身体の反応を否定できるのに。
〈真実をまっすぐ見ろ。現実認識のできない者に、未来をつかむ資格は無い。〉
そう教えたのは士官学校の校長。言葉の出所は若いころのマスタングだとか抜かしていた。若いころ、というよりあの時点でも十分すぎるほど若かったが。
私はこの言葉を吐いたマスタングと変わらない年齢になった。だが私はいまだに現実を見ることができない。
ただひとつの点において。
にいさん、あなたのことだけを。
あなたはほんとうにぼくをすてたのですか_?
それともいなくなったのはあなたのほんしんではないのですか?
あなたをさがしていいのですか
おかしいですね、私の手は、あなたの一部のはずなのに、あなたがあれほど嫌悪した行為を、・・・僕に苦痛を与えた男にすがろうとしています。
口移しに飲まされると何でもうまいなどと戯言を抜かしたのはどの部下だったのか、こんな生ぬるいものがうまいわけないだろう。きっとほんとうはそうやって女に飲ませてもらったことなど無いのだろう。
女。
そういえば、これは翼竜隊が作られたころからの問題だった。
若者ばかりで構成する機動性重視のバイク部隊。固定した基地を持たずマスタングの大まかな命令のみに従い実権は指揮官が100パーセント握る。それは発足時点から内内で問題視されていた。血の気の多い若者ばかりを集団にして統制が取れるのかというのが表向きの問題。そして、何より問題視されたのは 若者の性衝動をどう処理させるかということ。・・・ばかばかしいと思わないで欲しい。士官学校を出たばっかり。やりたい盛りのガキが集団で。
普通の軍団基地なら、まるで双子の街のように自然発生した色町がすぐ近くにある。そこに連れて行けばすむ。
しかし、機動性重視。固定基地なしの翼竜隊がどこで女を手にできるのか。
いっそ、公娼を一緒につけてやろうかという意見まで出たらしい。[さすがに、この意見は軍の公式記録からは削除されている]。
結果的に言えば、闇の情報分析力は軍の諜報部門より優秀だった。
翼竜隊の行く先に必ず、この世で一番古い職業の女たちが待っていた。
行く先の情報が漏れる可能性は無かった。知っているのは私とヘルガだけ。そういう点ヘルガの信頼度は私自身よりも高いほどだ。
若かったせいもあり私も部下と一緒にずいぶん羽目をはずした。そういう行為が軍内で問題視されていたのも知っているが、当時はそれが必要だった。 報告を受けてあの潔癖症の兄が苦虫を何匹噛み潰したのだろうか。
そうだ、あの頃の私は兄が私に不満を持つ、それさえうれしくて、だからついつい羽目をはずしすぎた。本当は好きな女などいなかった。
そして今、兄に消えられた私にはヘルガの手が必要だ。
大人になるべき時期に無邪気な子供であることを自ら決めた私は大人になれなかった。
一人では立てない。
兄の手を欲しい。
子供のころ、本当に小さな子供のころ、迷子になって涙と鼻水でギショグショになっていたとき、手を引いてくれた、あの兄の手が。
欲しい。
アニヲホシイ。
「いいわけだな。欲しいなら欲しいだけでじゅうぶんだ。俺にはな」
無意識に口にしたのだろう。ヘルガがあざ笑う。困ったことにこいつはこういう表情がよく似合う。ヘルガは普通にしていてもいい男だが、こういう表情で見下げられると、奴隷根性とでも言うのだろうか、この人に打たれたいと女は思うらしい。
こいつのために女同士で殺人事件までおきたという。真偽は不明だが、部下は全員信じている。さらに極めつけのエピソードがある。ヘルガは憲兵に協力を求められたおり、捜査本部で『殺された女も殺した女も覚えていない』と答えた。唖然とする憲兵に『諸君は歩いた道にいくつの石が落ちていたか覚えているのか?』と逆問したと聞く。
私とヘルガは、女に処理以上の感情を持たないという点では共通している。しかし、私はどんな女だったかについてはきちんと答えられる。私が処理のために抱く女は全員 長い銀の髪をしている。
また、舌で唇をこじ開けられた。何かが口の中に押し込まれる。
(冷たい)
のどを冷たい感覚が落ちていく。
それは口付けのご褒美に与えられた小さな氷の粒。
「もっと」
ねだるとさらに押し込まれた。こんないいものがあるなら最初からくれればいいのに。ヘルガは変なところでけちだ。
すっかり気持ちよくなったのどに今度は熱く焼いていく液体が流される。
(酒?違うな、これは!)
「ふん、一応医者だな、わかったか」
「クスリだな」
飲まされたのは、ある種のドラッグ。薬事法の規制対象ではないが、合法ともいえない。
強力な鎮痛作用があるため一時的に軍が採用した。しかし、とんでもない副作用があるのですぐ取り消された。副作用、それは数時間後に起こる。強烈な媚薬効果。
「すぐ痛みは収まる。とにかく広間に顔を出せ。後は何とかしてやる」
(何とかしてやるって、それはつまり・・・・・)
「お前がナニを考えているのか見当はつくが、それ以外にもすることはある」
悪魔の笑い。そんなものがあるならこの男にこそふさわしい。
私はすっかり、悪い男にはまったようだ。
数分後、確かに痛みは治まったが力がさっぱり入らない。
出血の影響もある。シーツを濡らした血の量を医者の目で判断する。
800ミリリットル以上はある。
多少貧血気味のようだ。
ヘルガに着せられたのはいつもの軍服。慣れたこの服があまりに重い。足元がよろける。
ぐっと髪を引っ張られた。身長差を利用して引っ張りあげる。ヘルガは私より4センチも高い・・・。エドにいさんあなたの気持ちが今になってよくわかります。
やっている最中の女にすら触らせなかった私の髪、この髪で遊んだのはたった2人。天に歩み去った兄と、地に縛られた兄。
昔、どういうわけだったかよくわからないが、二人して三つ編つくりの競争を始めて、 兄達2人が額をこすり合うようにして夢中になって僕の髪を編んでいく。少し小さい手の熱さと、細い指先の冷たさが今も肌に残っている。それいらい、『軍人にあるまじき長髪』といやみを言われながらも一度も切ったことがない。『兄弟そろって』そういわれたときにはさりげなく闇討ちしてやった。私をどう言おうとかまわない。だが、兄を口にすることは許さない。
その髪をヘルガは犬の鎖扱いしている。
「離せ」
「ヤー(了解)」
命令形に対して、ヘルガは部下の言葉で答える。
ぱっと音がするくらい勢いよく手を離した。
ひざが崩れた。情けない姿だが、ヘルガの腰に腕を回してかろうじてそのまま崩れるのを防ぐ。
客観的に見たら、男を止めようとする男娼。
自分の姿勢と発想に大量の嫌悪を覚える。
将官以上の位になると軍服のデザインが少し変わる。
形式的ではあるがサーベルあるいはそれに類するものがつけられる。(これは皇帝時代の名残である)。
あの兄ですら儀式の折にはクリスタルのサーベルを飾りつけた。
普通なら大剣を飾るのだが、あのころの兄の体力ではそれを形式的にかざすどころか、立ち上がるのも不可能だった。
ヘルガは大佐、フレッチャーは准将。それゆえにフレッチャーの腰には剣がある。
「今なら殺せるぜ」
ヘルガが口の端をゆがめた。
「上官強姦罪。証拠はお前の身体」
微笑するヘルガを見ると、こいつは死にたいのかと思えてくる。
長い付き合いだが、私はヘルガのことはあまり知らない。
貴族の嫡男で、有能な軍人で、兄と同じ年で、誰よりも私を混乱させる男。私が知っているのは士官学校で出会ってから後のことだけ。それ以前はまったく知らない。
ヘルガの瞳が青の中に闇を潜めているのも今日はじめて知った。青い瞳。私の知っている青い瞳はみな空を見ていた。色の濃淡はさまざまだが、青い瞳は未来を見る色だった。
スカイブルー、ジャン・ハボック。
すみれ色、キャスリン・マリア・エル・アームストロング。
駆け抜けていく秋の空の色、ウィンリィ、ロックベル。
兄がただ一度だけ見た海の青、兄を連れ去ったあの人の瞳の色。
思えば、どの人もあの義兄につながる人。
彼らに未来を見せていたのはあの義兄だったのか。
ぐっと力を入れてサーベルを握る。私の剣は兄のそれと異なり本物だ。一振りで何人切れるか。
大きく振り上げる。
ザン
床に金のオーラを散らばらせた。
15年間のばしていた髪が床に散った。
兄達の手が触れて愛撫した髪。
もういらない。
私はあなたを取り戻す。私のあなたを。
そのためなら悪魔の手でも取る。
ヘルガが剣の鞘をささげ持つ。その中に無造作に剣を差し入れる。
角度はちょうど金の髪に青い瞳の悪魔の心臓を貫ける。
ヘルガの手が未練のように刀身にまといつく金の髪を払い落とす。
鞘に口付けて私に返す。こうして私たちは新しい関係を受け入れた。
広間の入り口が開かれた。
この建物も民間からの借受だが、あつらえたかのように部隊に必要なシステムがそろっているので部隊設立以来利用している。そのためここでは多少の羽目はずしは大目に見てくれるし、いろいろと無理な注文も聞いてくれる。
5年前、隊員の一人が結婚したときにここの広間でドンちゃん騒ぎの披露パーティを行った。何しろ、独身者ばかりのこの部隊で結婚したのはそいつが最初。あまりの乱きちぶりに招待された花嫁の両親があきれ果てていた。
それでも最後には部隊全員の祝福を受けた娘婿に最高の式だったとシャンパンでぐしょぬれの燕尾服で抱きついた。確かに普通の軍団では隊員全員が顔見知りで式に参加など考えられない。 本当にいい結婚式だった。あの後、この場所であいつの葬儀を行うことさえなければ・・・。
開かれた扉に一瞬記憶が混乱する。壁にかけられた黒の国旗。
喪章をつけた隊員たち。あの時、部隊は始めての大きな人的被害を受けた。作戦の失敗と言ってよい。
機動性重視のため火力に欠ける翼竜隊は他の軍団と統一戦線を組むことが多い。
その戦場で組んだ軍団の司令官は翼竜隊の存在を苦々しく思っていた一人。
予定の援護が全くなかった。司令官として、部隊の本体を指揮して弾幕の中央から突破させるのが最優先だった。
先発隊として出たやつらを見捨てるつもりはなかった。普段はまったく使わない錬金術を使ってでも間に合わすつもりでいた。
あの作戦の日普段はおとなしかったあの男が自ら志願した。
「恋女房にいいとこ見せたいんだろ!!」
仲間たちにからかわれ、赤くなった彼に先発隊の指揮をゆだねる。家族を持ったやつのほうがむちゃをしないと見ての選抜だった。
正しい選択だった。
翼竜隊を弾幕の的にしようとしたあの司令官の動きさえなければ。
後で受けた報告では四方八方を敵に囲まれたとき、あいつは「そうか、四面楚歌というのはこういうことなんだな」と平静に言ったという。あいつの花嫁の父はシン文化の研究家だった。
その後「虎穴にとか言うんだよな」と言うと一点を指した。敵の弾薬庫のある方向。
「あそこを突破する。運がよければ通り抜けられるだろ。最悪でも走って死ねる」
確かにこのまま的に嬲り殺されるよりは生きる可能性があった。
先発小隊の全員がその計算を受け入れた。軍では指揮官の命令が絶対のはずだが、翼竜隊は特有の気風があり1個人1指揮官であった。命令できる範囲にいるとは限らないし、目的意識に沿って自分で考えろとなる。
結果、30人中生存率50パーセント、あの状況からすれば奇跡の数値。
だが、このような形、味方の軍に裏切られた形での被害に隊の全員がショックを隠しきれない。本来、司令官がどうにかしなくては成らないのだが社会的経験に乏しい指揮官は対応法を知らない。
そのときこの宿営地の支配人が隊のご葬儀の用意をさせていただいておりますと伝えてきた。こんな形で殺された仲間にどうしてやっていいかわからなかった青年たちはやることを教えられた。
無駄と思っていた儀式が意味を持っていること、生きているものには死んだものと分かれるのに形が必要なこと。人生を生きていれば自然につく知恵が優秀な青年たちには欠けていた。
フレッチャー・トリンガムが見たとき会場は黒で染められていた。
全隊員が集まっているのに会場は静かだ。
普段と違い重く感じる自分の足音だけが聞こえる。
それにしても誰の葬儀だ?前回の戦場では被害はなかったのだが。
「准将の兄上の追悼を全員が希望してまいりました」
静かな声が伝える。
「あっ」
兄に捨て去られて、たった一人になって、そう思っていた。
だが、私にはここに家族がいた。
自分でここに帰ってきたのになぜ忘れていたのだろう。
その夜、ベッドを降りながら今後の予定を語るヘルガにふと聞いてみた。
どうして広間にみんながいることを最初から言わなかったのか。それを聞いていれば、 。
それに対してヘルガはにやりと笑って答えた。
「先に教えたらお前をものにできるチャンスを逃すだろ。」
私は本当に正直な男に恵まれている。
失踪18チョコレートの生る木
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