金属中毒

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99 すでに滅びた街 エリス 

2007-01-05 20:19:02 | 鋼の錬金術師
99 すでに滅びた町、エリス

失われた街

らくだは替えを含めて5頭。1頭目に白水、2頭目にラッセル、後の2頭には食料と医薬品、後ろの1頭は予備に歩かせている。
「大丈夫か?」
ノリスの宿で見たときから北方系にしてもかなり色白の子だと思ったが、どうやら身体に不自由があるらしい。
横乗りの鞍に座り、らくだの首に寄りかかるようにしている。ちなみに横乗りの鞍は本来婦人用なのだが。
「素人にはこの鞍が乗りやすいそうだから」
誰かに教えられたようだ。確かに乗りやすいのは事実だが・・・婦人用とは知らないらしい。
(教えないほうがいいだろうな)
白水の錬金術師はまた振り返った。ノリスの町を出て半日。緑陰(ラッセル)の様子はあまり良くない。声をかけてもぐったりしているだけである。はたして聞こえているかどうかも怪しい。
休ませようと思うのだが以前にはあった水場が無い。術で探ってみると水脈があちこちで断ち切れている。
(この様子ではまた砂漠は広がるな。ノリスも時期に飲み込まれる)
二つ名が示すとおり白水は水系の術師である。
軍属として主に水脈調査に使われている。というとな―んだそんなものかと思われるかもしれないがどんな時代どんな集団でも水は命綱である。水脈を絶たれて敗北した軍隊は古今東西の例を挙げるまでも無いだろう。   日本人には白米城の話がわかりがいいはずである。
「緑陰」
白水は声を大きくして呼びかけた。
返答はないがわずかに身じろいだのを見ると聞こえているらしい。
「後3時間ほどで着くはずだ。・・・やすまなくていいか」
砂漠で半日も日に照らされたら、どんな色白のお嬢様でも少しは日焼けするのだが緑陰の色の白さは少しも変わらない。いや、宿にいたときよりもむしろすけるような透明な白さが増しているように見える。彼の肌を見ているうち白水は2人の死者を思い出した。
一人は1ヶ月しか生きられなかった息子。もう一人はその母。
息子は『青の病』で死んだ。息子を失って、妻は母の顔のまま急速に憔悴しある朝息をしなくなった。
病弱の妻とおそらくは弱い身体で生まれてくるだろう子供のためにもっと楽に生きられる土地をそのための金を求めて、白水は国家錬金術師になった。妻子は夫の父の与える暖かで幸福で豊かな時間をすごした。本当にわずかな時間を。
妻子を失ってから白水は当人も危うく医療ミスで死に掛けた。白水は現代医療に落胆した。
その後白水は青の病の解明と砂漠の環境の改善をライフワークに定め研究だけを生きがいにしている。
「   大丈夫です。急ぎましょう」
数秒間経ってから返答があった。
その数秒間、白水は亡き妻子を思い、緑陰は(オルスバンヲホウリダシテシマッタ)(どうしよう。かあさんにおこられる)(こわい。とうさん、とうさん、かえってきて)とどう考えても今回の行動とは関係がないような思いに囚われていた。
(だって、でたかった。ぼくだけおいていった)
(かあさん、ぼくをおこらないで。もうおこられたくない)
背の高いらくだは歩くたびに乗り手を揺らした。そのゆれが酔いを引き起こしていた。
ラッセルの意識は半分ぼんやりしており、お留守番ができなくて怒られて閉じ込められた小さいころに戻っていた。
誰かに強い口調で呼ばれた。身体を揺らされる。
白い髪、日焼けした肌の白水が目の前にいる。
いつの間にからくだから下ろされている。
崩れかけた家の壁、元は畑や牧場であったのだろう大きな砂場。ここが元は緑豊かなオアシス都市、すでに滅んだと見える街エリス。白水と緑陰の目的地。

「ここですか」
半分以上壊れかけ砂に埋もれた家が延々と続く。こんな街にまだ人が住んでいるとは信じられない。
「3年程前から砂塵嵐が増えてこの有様だ。昔はこの辺りは農場だった。あっちは祭りの広場でいつも市が出ていた」(君を見つけたのはあそこだった)かわいらしいレースの服を着た小さなころの妻が浮かぶ。
白水はあちこちを指差すがどこも砂に埋もれかけ、ラッセルの目には廃墟にしか見えない。
(ゼノタイムも今はこうなっているだろうか)
数年前ゼノタイムの全住民は町を放棄して移住した。環境の急激な悪化と流行病がその理由。それだけに白水の話は人事に思えなかった。
白水が遠慮しながらも手を貸して欲しいと言い出したとき、病人の中でも軽症だったものはすでに食堂でお茶にできるほどに回復していた。彼らの前でラッセルは二つ返事とでも言いたくなるほど軽く「いいですよ。すぐ行きましょう」と席を立った。
見ていた軽症者は唖然とした。冗談ではない。まだこっちにも面倒見るべき病人がいるのに簡単に受けられては困る。
口々に反対を述べる彼らをラッセルは1べつした。
『錬金術師よ、大衆のためにあれ。まして国家錬金術師は国の金で養われているのでしょう。大衆のために動くのは大総統のご意思にもかなうのでは』
正論ではある。ただし、正しくはないが。
さらにラッセルは付け加えた。
『おそらく原因は同じです。今のうちに原因をはっきりさせておけば今後この辺りでの軍事行動のリスクを軽減できます』
続けていくつもの理屈を述べた。
結局おっさんどもが何を言っても無駄でラッセルは意思を通した。
その有様を見ていた宿の女将は「坊やは『おんもにでたい』だけだね」と育児体験からもっとも正確な理由を洞察した。

言葉がわからない。どう見ても廃墟にしか見えない街のあちこちから出てきたやせた汚れきった人々。その人たちの話す言葉がラッセルには暗号以上に分からない。
白水は汚れるのもいとわず彼らの一人一人を抱きしめ大粒の涙をこぼす。
「もっと早く来れたら」
白水にはその思いが強い。
聞けば最盛期には1万人を超した人口は1年前には1000人を切り、はたして今は200人生きているかどうかという。
街を出ることのできる者はすでに去り、今残っているのは病人とその家族、行く当てのない年寄り。一度は出て行ったものの事業に失敗し借金に追われ故郷に逃げてきたものもいる。
杖を頼りに歩く老人、真っ白い髪、しみとしわだらけの肌。60歳を超えているとラッセルは見た。後で聞くとまだ43歳で白水の同級生だった。過酷な環境と生活の苦労、希望のない時間が人をたやすく老いさせる。その典型をラッセルはこの街に見た。
その人の子供がアメストリス語を解した。学校があったころ習ったらしい。この子供がラッセルについてくれた。ラッセルは子供を6歳くらいと見た。実際は11歳だという。
(栄養状態と衛生状態が悪いと子供の成長に悪影響がでると聞いたけど、なるほど標本にして取っておきたいような子だ)
優しげな笑顔で自分を見ているお医者のお兄さんがろくでもないことを考えているとも知らず、黒い髪青い目の子供は部屋のあちこちを指差してはアメストリス語でそのものの名を言う。ラッセルは優しいおっきい先生の笑顔で子供の発音を訂正していく。子供にとってアメストリスの言葉を覚えているのはこれからの人生で損にはならない。
数時間休んだ後、昔は病院だったという建物に案内された。すでに電気は止まり自家発電も燃料が切れたため停止している。建物は3階建てでいきなり3階に通された。1階と2階は死体置き場になっていたからだ。
実のところ「もう少し早ければ」という白水の思いが全てを説明していた。
疫病のピークはすでに終わり今は弱り果てた生き残りが座り込んでいる段階だった。
死者はまだ死んだ部屋で放置されていた。それが街中どこにでもあった。幸い砂漠地帯ゆえに腐敗する前に自然乾燥したため別種の疫病の原因にはならなかった。
3階で病人達を見ているラッセルはやたらに多いハエを追い払った。それが下の階の死体から来ていることはわからない。
(たちの悪い風邪。食糧不足と環境の悪さであっという間に蔓延した)
子供の幾分たどたどしい通訳を受けながらラッセルはこの街で起きたことを推測した。
〈参考までにここで言われるたちの悪い風邪は今日に言うインフルエンザである。この時期にはまだウイルスは分離できなかった。後の研究ではこういったシン国との国境に近い土地でじわじわと変化していったウイルスが対アエルゴ・クレタ戦の勃発で徴兵された若者があふれていた兵舎でさらに変化し、ついに1918年のアエルゴ熱の大発生になる。アエルゴ熱の死者は推定で4000万人である〉蛇足だが、もしマスタングがこの街と収容所を焼き尽くしていた場合、4000万人は死ななかったのではという後世の医学博士の言葉がある。この意見の医学的な妥当性については別にして正義とは見る角度によってころころ変わるものらしい。