はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

七尾城跡

2022-07-19 23:39:25 | お城巡り

連休に久しぶりに百名城巡りに行きました。約半分くらい巡ってきたがだんだんと遠くになっていきます。

今回は石川県と富山県、七尾城跡と高岡城跡、金沢城に行ってきた。

コロナ感染がまたまた増えてきたが、もう慣れてしまって危機感がない。重症化率が低いし観光施設も閉鎖することもないだろう。

朝7時に家を出て11時すぎに石川県の七尾に着いた。この近くに学生時代に一緒に過ごした友の実家がある。1年の寮生活で一緒の部屋になり、2年からの下宿生活では近くに住んだ。新潟県で働いてたらしいがその後どうしてるだろう?卒業式以来会ってない。長男ではないし実家には居ないだろう。実家を継いでいれば探してみたかもしれない。

まず、標高380mの城山展望台へ・・遠くに見えるのは七尾湾と能登島。その向こうは能登半島だ。

標高300mの七尾城は日本5大山城のひとつです。ちなみに日本三大山城は岩村城、高取城、備中松山城で五大山城は春日山城、七尾城、観音寺城、小谷城、月山富田城です。誰が決めたか知らないが・・・

<公式サイトより>

七尾城跡は、能登国の守護・畠山氏(1408-1577)が16世紀前半(戦国時代)に築いた城館跡で、全国でも屈指の規模を有します。石動山系に築かれた城域は南北約2.5km、東西約1.0km、面積は約252.6haにおよび、一帯は「城山」と呼び親しまれています。

山上から山麓までの自然地形を巧みに利用し、七尾の地名の由来となった七つの尾根筋を中心に多数の曲輪(屋敷地)を連ね、山麓には城下の町並みが形成され京風の能登畠山文化が華やぎました。

天正5年(1577)の上杉謙信の攻撃によって落城、169年にわたる畠山氏の領国支配の幕が閉ざされました。落城後の七尾城は、一時、上杉方が入り、その後、天正9年(1581)に織田信長から能登一国を与えられた前田利家が入城します。天正10年(1582)から17年(1589)頃に、港に近い小丸山での新たな築城により、七尾城は城としての機能を失うこととなりました。

麓の七尾城史資料館でスタンプを押し、隣の懐古館(旧飯田家住宅)へ行った。

加賀藩の肝煎り(庄屋)の住まいとして江戸時代後期に建てられた茅葺きの家

「まるのうちに二つ引き」の家紋についてオジサン(先祖?)に聞いてみた。

家紋データ

名前 丸の内に二つ引き
読み まるのうちにふたつひき
種類 文様紋 モチーフ 引両
使用家 足利、一色、今川、畠山、遠山、松浦
代表家 室町幕府足利氏、丹後守護一色氏、駿河守護今川氏、能登守護畠山氏、美濃苗木藩遠山氏
使用者 一色義幸、今川義元、京極高次、畠山義総

史料館には「城門の扉」(戦国時代)が展示されてた。

七尾城本丸へ通う城山本道の入り口にあった薬医門である。(張り紙より)

 

その後、富山県の高岡古城公園に行きました。

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