「あいつは魔女だ」と告発して、もしそれが真実だったら告発者は魔女によって瞬殺されるでしょう。魔女は人びとに害を為すコワイ存在なんでしょう? その存在の秘密をバラす者はあっさり排除されるはずです。でも、もしその告発が口から出まかせのデマだったら、「魔女ではない人を魔女だと誹謗し魔女裁判でその命を危うくする」という、とっても失礼で陰険な行為を告発者はしていることになります。
どちらにしても、「あいつは魔女だ」という告発は軽々しくはやらない方が良いと、私は考えます。
【ただいま読書中】『われに千里の思いあり(中) 快男児・前田光高』中村彰彦 著、 文藝春秋、2008年、1800円(税別)
大坂冬の陣・夏の陣、長男の誕生、徳川家康の死……前田利光は多忙です。(文字通り奥御殿におわす)奥方のお珠の方(徳川秀忠の娘)は年子を次々と生み、腹が空いているときがありません。子だくさんなのは「御家」のためには良いことですが、母体には過酷だったことでしょう。結局お珠の方は若くして死んでしまいます。子供の死亡率も高く、人の命が簡単に失われる時代だったから「家族が亡くなる」ことは身近な現象ではありますが、慣れた分だけその悲しみが軽かったわけではないでしょう。
徳川家康は前田家を警戒し続けました。大坂の先陣で「忠義を見せよう」と勇猛に戦えば「あの勇猛さをこちらに向けたら危ない」と考えます。それがわかるから前田家も徳川家との関係を大切にして「前田家が裏切るわけがない」と信頼してもらう必要があります。まして秀忠が外様だけではなくて譜代・親藩まで次々大名を取りつぶしているのを見ると、ますますその「信頼」が大切になります。お珠の方が亡くなることで「関係」が切れてしまいましたが、そこで秀忠が利光の娘の亀鶴姫を養女に望んだことから、「関係」が復活することになります。
利光は「将軍家光」をはばかり名前を「利常」に改名。すると将軍は利常の息子に「光」の字を与えます。前田光高の誕生です。将軍家と前田家の関係は良好に見えました。しかし、金沢の大火、大御所(秀忠)の不例などで、前田家にまたもや改易あるいは御家断絶の危機が。この時代、「泰平の世」のはずですが、まだ戦国の記憶は新しく、日本中に武装集団(あるいは個人)が充満しています。人びとは泰平を楽しみながらもまだ緊張感を緩めるわけにはいかないのです。最近の日本の政治家でにやけた顔で平気で「緊張感を持って」なんて言っている人がいますが、本当に緊張の中に生きている人はそんなことを口に出す余裕はありません。
本書には、俗謡や踊りなども所々に差し挟まれ、「時代」の雰囲気を“リアル"に伝えてくれます。歴史の教科書で無味乾燥な記述や年表を見ているだけとは違う「歴史」がここにはあります。
島原一揆が起き、疝気の病に苦しむ利常は引退を考えます。ただし、単純に引退するだけだとまた幕府にあらぬ疑いをかけられるかもしれません。そこで「120万石」を三人の息子で分割統治することで小さく見せる(その分「脅威」が減って感じられる)、などの工夫を利常は考えます。「緊張」は彼が引退するとき、引退した後まで続くのです。そして、その後を襲った光高は、父や祖父の「武の政治」とは違った道を歩もうとしていました。しかし(著者の見立てでは)急性心筋梗塞で光高は若くして病死。引退したはずの利常は孫の幼君の後見として現場に復帰することになります。