【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

暴力の効能

2018-01-29 07:03:17 | Weblog

 暴力賛美主義者は、栃ノ心が優勝できたのはゴルフクラブで殴られたからだ、と主張するのでしょうね。だったら他のお相撲さんもみんなゴルフクラブで殴られたら続々優勝できることに?

【ただいま読書中】『トーキョー・レコード ──軍国日本特派員報告(下)』オットー・D・トリシャス 著、 鈴木廣之・洲之内啓子 訳、 中央公論新社(中公文庫)、2017年、1300円(税別)

 日本の「無比の国体」について深く知るにつれ、著者はナチスとの類縁性に気づきます。日本人はナチスの全体主義の手法を借用しようとしているように見えますが、反対にナチスは自分自身の「無比の国体」を作り出すために日本の神話体系(体制を支えるための心理的で精神的な基盤)を借用したのではないか、と。かつてエーリッヒ・ルーデンドルフは『総力戦』で「ドイツを蘇生するために必要なのは、ある種の神道の体系である」と書きました。ただルーデンドルフはその実現が可能とは思っていませんでしたが、ヒトラーは可能だと思い権力を奪取すると同時にそのための努力を始めた、と著者は考えています。日独ではどちらでも、合理主義・知性主義・自由主義・民主主義が忌み嫌われ、言論の自由と「危険思想」が抑圧され、軍事力の背後で大衆が組織化されました。「人種」を基盤としたナショナリズムが高揚し、天皇や総統は神格化されます。「男性国家」と集団主義が強調され、古代的な「神の倫理」が再生されます。著者にはその「共通点」がはっきり見えています。
 8月、日本軍は仏領インドシナからタイ国境を目指します(英米がそこから侵略しようとしているからだ、と日本の新聞は報じます)。イギリス軍はシンガポールの守備を固めます。アメリカへの船便は停止され、日本に残ったアメリカ人600人(外交官、実業家、教師、宣教師など)は不安を募らせます。書店で売られている新しい「日本地図」から、南沙諸島を日本が併合したことを著者は知り「特ダネ」として打電します。これはフィリピンのすぐそばに日本が基地を作れることを意味しているのです。
 閣僚暗殺の試みが続きます。ドイツからの特派員ゾルゲが逮捕されますが、その容疑の詳しいことはわかりません。女子を含む勤労動員の計画が内閣で了承されます。
 9月、10月、11月……歴史の歯車は、じりじりと回転し続けます。アメリカ大使館は在日アメリカ人全員に退去を促します。全ての人が戦争が起きることを疑っていません。それでも、戦争を回避するための努力、あるいはそう見せかける努力は続けられます。
 1941年12月8日朝7時、著者は警察に逮捕されます。国防保安法第8条(敵対する国の機関に、政治・外交・経済の情報を流す罪、懲役10年以下)違反の疑いです。著者は「日本政府に正式に認可された海外特派員であること』「流した情報はすべて検閲を受けていること」を主張しますが、警察官は聞き流します。そして、戦争捕虜として東京拘置所へ。赴任時に日本に持ち込んだウール製の下着が役立ちます。
 42年1月、尋問が始まります。「スパイであることを自白しろ」という尋問です。著者は“白状"しません。すると拷問が始まります。拷問は執拗に続き、膝と足の甲が変形し、平手打ちの連続で歯のブリッジと詰め物が緩み始めます。著者は嘘の自白をする気はないが「いっそ殺してくれ」と願うようになります。しかしそこで拷問は終わり、そこから「本当の取り調べ」が始まります。著者は「外国人と交際のある日本人に罪をかぶせる」ことが取り調べの一つの目的ではないか、と疑い、答える内容には最高度の注意を払うようにします。検事は警察とは違った観点から著者を取り調べ「送った記事がアメリカの政府や世論に影響を与えて、開戦に導いた」と「著者に戦争責任がある」と結論づけます。弁護士を付けるように、という嘆願は無視されます。そして4月18日空襲警報。ドゥーリットルによる東京空襲です。5月1日裁判。告訴状の内容も知らされず、弁護士もなく、著者は自分を弁護しなくてはいけません。5月15日判決。懲役1年6箇月、執行猶予3年。上告の権利を放棄し(やったとしても良いことがあるとは思えませんから)著者は判決を受け入れます。
 拘置所を出ても自由はありません。「敵国人」ですから強制収容所(菫家政女学園)に直行です。「日本で最悪の強制収容所」という評判の「スミレ」でしたが、著者にとっては(拘置所で拷問を受けることを思えば)「贅沢な環境」でした。そして、アメリカとの捕虜交換船が出発します。船内での情報交換で、自分が受けた拷問はまだまだ生ぬるいものであったことを著者は知ります。そういえば、開戦後に自国の外交官が受けた国際条約に反する仕打ちに怒ってブラジルが自国にいる日本外交官に同じ仕打ちをしたら即座に扱いが改まった、という話も紹介されています。そこから著者は「日本人が理解できるのは『仕返し』だけ」と結論を導いています。
 本書の記録は非常に詳細なものですが、それは、厳しい取り調べの時に自分がおこなったインタビューや記事について資料を要求したりして可能な限り正確に述べようと努力したことによって、記憶が詳細に刻みつけられたからだそうです。すると拷問や尋問にも“良い効果"もあったということに?