本当の重役は、「重役出勤」をしても皮肉や文句を言われません。
【ただいま読書中】『ゾエトロープnoir』フランシス・フォード・コッポラ他 著、 小原亜美 訳、 角川書店、2003年、1000円(税別)
「優れたストーリー」を求めてコッポラが立ち上げた雑誌「ゾエトロープ」から編集された、日本オリジナルの短編集です。
目次:「you」アリシア・エリアン、「金のためなら」カレン・E・ベンダー、「ジルコフスキの定理」カール・ヤグネマ、「それぞれの獣の営み」デイヴィッド・ベニオフ、「ラグーンから忍び寄る怪物」リック・ムーディ、「ケンタッキー・フライドソウルズ教会の暑い日々、そしてダディ・ラブ師の華麗なる最後の日曜礼拝」トゥーレ、「魔女(あるチェーホフの物語にちなんで)」フランシーヌ・プローズ
映画化が容易かどうかは別として、けっこうスピーディーな文体の作品が並んでいます。というか、絶対にこのままでは映画化は不可能、というものもあります。
序文でコッポラは、映画産業の中で新しい才能を見出しそれを映画にすることの難しさを嘆いていますが(だからこそまったく新しい雑誌を立ち上げたわけです)、それと呼応するかのように「映画」と「原作」の関係について内省的に述べた短編も含まれています。また、いくつかの短編から共通して感じるのは「社会」が緩くなっていることです。かつては「教師と教え子の恋愛」「恋人が寝取られる」「同僚の妻に感じる欲望」といったものは「社会的な“背徳”」をベースとしてその上で個人の物語として描かれたでしょうが、今では基本的に“個人的なスリル”がベースとなっているように見えます。「社会の共通のお約束」が使いにくい時代になっているのかもしれません。
映像表現と文字表現、その両方で成功することはおそらくとても難しいことでしょう。どちらか片方でも難しいのですから。しかしコッポラは、その難しい領域に挑戦をしているように私には見えます。決して成功はしていませんが、その挑戦からおそらく“次の世代”が育っていくのでしょう。ただの観客(読者)にとっては、ありがたいことです。