【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

支配者たち

2011-08-07 17:08:23 | Weblog

 リーマン・ショックで社会ががたがたになるのを防ぐために緊急の財政出動を米政府がしたら、その後になって、政府の財政ががたがたではないか、と「市場」がいちゃもんをつけて国債の評価をどうのこうのと言っています。だけど、本来なら市場が受け持つべきだった「がたがた」を米政府が“肩代わり”したわけでしょ? ならば財政出動をしない方が良かったと「市場」は主張しているのかな? でもその場合には「市場をがたがたにした責任」を政府に問うんですよね。
 「グローバル経済」の時代だから仕方ないのかもしれませんが、なんだか現代社会では「経済」からの「政治」への口出しが強力すぎる気がします。中世の人間が、聖と俗の二重支配を受けていたのと同様に、現代の人間は、政治と経済の二重支配を受けている、と表現したらよいのかもしれません。

【ただいま読書中】『サブプライム危機 ──市場と政府はなぜ誤ったか』滝川好夫 著、 ミネルヴァ書房、2010年、2800円(税別)

 著者は、本書の特徴を、歴史と学術、と定義しています。1936年に出版された『雇用・利子および貨幣の一般理論』(ケインズ)と『友愛の政治経済学』(賀川豊彦)をベースに、市場原理資本主義の総帥であるフリードマンの思想を加え、21世紀の世界金融危機について考察しています。本書の目的は、同じ危機を二度と起こさない・起きたとしても損害を軽くする、ことだそうです。
 事の本質は「本来借りられないはずの人が借りた」「本来借りられないはずの人に会社が貸した」「規制当局がそれを許した」で、それでも“バブル”が膨らんでいる間は皆がハッピーだったのです。遡れば、ブッシュ大統領の「所有者社会」(貧しい人も住宅などが持てて自立できる)政策があり、金融技術の進歩で新しいローンの証券化がありました。ここの理屈が面白い。さいころで1が出たらドボン、他の目が出たら目の数に応じて利益分配、というハイリスク・ハイリターンの金融商品があるとします。「デフォルトの可能性が1/6か」と投資家はためらいます。そこでそういった商品を二つまとめて「さいころ」を二つにします。すると「両方が1になる確率」(投資家がすべてを失う確率)は「1/36」と大幅に軽減します。それでも不安なら、さいころを3つにします。こんどはなんと「1/216」。こうして売り出された証券は大人気。また、当時は住宅の値段は右肩上がりで、貧しい人も「ローンが払えなくなっても家を売ればかえって儲かる」とどんどんローンを組みました。
 「サブプライムローン」というと「プライムローン」より“ちょっと下”といった語感ですが、債権だったら「ジャンク債」とか言っていたはず。名前になまじっか「プライムローン」が入っているからついつい安心感を持ってしまった人もいたのではないでしょうか。
 しかし「バブル」や「右肩上がり」は永遠には続きません。住宅価格の低下と住宅ローン利率の上昇が起きてバブルが破裂して「危機」が起きたわけです。実はさいころの目は「1/6」ではなかったし、そもそもいくらさいころを増やしても、「さいころ一つが『1』を出す確率」は全然変化していなかったのでした(それどころか、さいころはそれぞれ連動していて、一つが「1」を出すと他のさいころも「1」が出やすくなる構造だったのです)。
 本来この問題は「住宅ローン500億ドルの貸し倒れにすぎなかった」と著者は言います。ところが米国当局の危機に対する認識の甘さと対応の遅れによって「100年に一度の世界金融恐慌」になってしまったのだそうです(日本で「公的資金注入」が遅れたために景気回復が遅れたことが例に挙げられています)。大震災や狂牛病の時にも感じましたが、お役人の発想や反応(まずは情報を欲しがる。すべての情報がそろうまで決断をしない)には、それほど国による差はないのかもしれません。
 では解決法は? 1930年代の大恐慌を単純化すると、もたらしたのは「フーバー共和党政権の市場原理主義(新古典派経済学)」で解決したのは「ルーズベルト民主党政権のケインズ主義」となります。それを援用すると、サブプライム危機をもたらしたのはブッシュ共和党政権の市場原理主義ですが、解決するのはやはりケインズか、それとも?と著者は立問をします。
 私がケインズを知ったのは高校時代でそれほど詳しくは覚えていませんが、その理論のキモは「市場の不安心理の分析」にあるそうです。ケインズ理論によれば、暴落を起こすためには「投機的な確信(モノの世界の確信)」か「信用の状態(カネの世界の確信)」のどちらかが弱まれば十分だが、回復するためにはその両者がともに復活することが必要、だそうです。つまり、実体経済の回復と市場経済の安定化とが同時に必要。ちなみに日本の「失われた20年」では、(小渕内閣時代を例外として)、常にどちらかの政策しか採られていないそうです。




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