【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

麦はどこに?

2021-08-18 06:38:09 | Weblog

 私が子供のころには「二毛作」があり、冬の田圃には麦が植えられていました。だから「麦秋」が春であることも体感的にわかりました。最近の田圃は、冬は稲が刈り取られたままがらんとしています。その割には讃岐うどんなどはあちこちで食べることができるのですが、あの麦は、どこから来ているのでしょう?

【ただいま読書中】『農協の大罪 ──「農政トライアングル」が招く日本の食料不安』山下一仁 著、 宝島社(宝島新書)、2009年、667円(税別)

 農協・自民党・農林省によって作られた「農政トライアングル」は日本の農業に重大な影響を与え続けていました。たとえば「大規模専業農家」を増やす構造改革は農協の反対で潰されました。「多数の零細兼業農家」の方が「票田」として“豊か”ですから。さらに農家の農業外収入や農地転用利益を農協は預金として吸い上げて運用して莫大な利益を上げました(農業収入は微々たるものです。また、資金運用は主に農業“以外”に対して行われました)。
 日本農業にはかつて「不変の三大基本数字」がありました。「農地面積600万ヘクタール」「農業就業人口1400万人」「農家戸数550万戸」で、明治初期から1960年まで大きな変化がなかったのです。しかし1961年からどの数字も減り始めました。グラフで見るとその状況は深刻です。GDPに占める農業生産は50年間で9%から1%に減っています。さらに、政府が農業保護に投じた金はGDPの約1%、つまり、保護がなければ日本の農業のGDPは0%(?)。
 1960年、日本の農業生産は戦前の水準に戻りました。そのため農村選出の議員たちは「農業予算削減」を恐れます。また、その数年前から農家所得が勤労者世帯の所得を下回るようになり、自民党は危機感を持っていました。そこで「農業基本法」が制定されます。この法律の基本理念は「農家が農業収入だけで暮らせるようになる」でした。しかし……
 食管制度はもともとは「乏しい食料を皆で分け合う」「国民の負担は少しでも少ないように」という「消費者保護」目的のものでした。ところが1960年に「生産者米価を上げる」ことに目的が変化します。「生産者および所得補償方式」が生産者米価の計算に用いられましたが、そこで使われる「労賃」は農村部ではなくて都市部の高い労賃(「都市均衡労賃」)が採用されました。「商品としての米の値段」ではなくて「農家の所得を保証するための米価」となったのです。これでは「必死に努力して『美味い米』を作る農家」と「適当に手を抜いて『米の形をした作物』を作る農家」とで扱いが全く同じで、その結果はモラルハザードでしょう。
 もちろん手を抜かない農家はたくさんいたはずです。でも……
 たとえば学校の試験で「カンニングしてもOK。もちろんモラルの点では良くないけどね。なお、試験の結果はそのまま成績表や内申書に直結させるよ」と教師が言ったら、歯を食いしばって真面目に勉強する人もいるでしょうが、カンニングをする人もいるでしょう。「良い」とか「悪い」とか、「正しい」とか「間違っている」とか言うのは簡単ですが、でも「ズルをした方が得をする制度」は最初から作らない方がいいんじゃないかなあ。
 大企業のサラリーマンの所得が増えると、それに連動して米価は自動的に上昇しました。しかし、日本の食糧自給率はどんどん低下していきました。これは生活の洋風化などに農業の構造改革で対応しなかったせい、と著者は考えます。実は農業基本法ではそれを考慮に入れていました。ところがその法の精神を骨抜きにしたのが「農政トライアングル」でした。食管制度が行き詰まると自主流通米、減反政策、とにかく「米」のことばかりに夢中で、実際には需要がある他の作物は輸入すれば良い、という態度です。EUの農業保護が「作りたいだけ作りたいものを作れ」として余剰になった農産物には補助金を付けて輸出する(だから食糧自給率が上がる)のとずいぶん違います。
 農作物の品種改良で一つの柱は「収量増加」です。ところが日本の米は、収量が増えると減反面積が増えるので、農協も(減反補助金が増える)財務も反対しました。その結果日本の米の単収(単位面積あたり収量)を増やす研究は“タブー”となり、国際的に置いて行かれることになってしまいました。さらに減反の割り当ては、主業農家にも兼業農家にも“平等”だったため、農業依存度が高い主業農家のダメージは大きくなりました。そして、高額の減反補助金を負担しているのは、消費者です。
 農地についても話はややこしい。戦前の小作制度の苦い記憶から農林省は「農地の賃貸は禁止」としていました。ところが売買によって農地をまとめることはできませんでした。だって便利なところは宅地に売れば農業やっているよりもお金が手に入るのですから。
 昭和の末頃、私が知っている農家の人は「農協が勝手に家の倉庫に農薬や肥料を配達して、使うスケジュールも指定してくる。できたものは一山いくらでまとめて農協が買っていく。なんだか、自分が農業をやっている気がしない」とぼやいていました。で、本書を読む限り、農協(と自民党と農林省(農水省))は「日本の農業」ではなくて「それ以外のこと」にずいぶん熱心だったようです。
 そういえば、最近大阪での米の先物取引を農水省が潰しましたが、この背景には農協の「自分たちが米の価格操作ができなくなる」という危機感があることが、12年前の本書にすでに書かれています。でもこれって、日本の農業のためになるのかな? 国際的な価格競争力がなくなっちゃうんですけど。

 



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