【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

葬儀と薪

2019-03-29 07:30:16 | Weblog

 チベットでは薪が十分にないから鳥葬が行われる、と『チベット旅行記』にありました。理に適った方法と思えます。では、同じく薪が十分にない環境である北極圏のエスキモーはどうやって葬儀を行うのでしょう? 『極限の民族』には書いてなかったように思うのですが、読んで忘れているのかもしれません。ということは、再読が必要?

【ただいま読書中】『米軍資料 原爆投下報告書 ──パンプキンと広島・長崎』奥住喜重・工藤洋三・桂哲夫 訳、 東方出版、1993年、5000円(税別)

 テニアン島の第509混成軍団は、日本に原爆を投下することを目的として特設された部隊で、その「特殊作戦任務報告書」の翻訳に、解説と写真を添えたのが本書です。日本に多い被爆者の証言が「キノコ雲の下の世界の報告」なら、本書は「キノコ雲の“上"(向こう側)の世界の報告」。
 特殊任務は1945年7月19日〜8月13日まで全部で18回発令されました。広島はその13番目、長崎は16番目の作戦です。数が多いのは、練習や訓練が行われたからです。通常爆弾より巨大で重く、とんでもなく高価、さらに空中で爆発させる必要があることから、迅速な退避の練習も必要です。
 練習に使われたのは「パンプキン」と呼ばれる、長崎型の原爆と形・大きさ・重さが同じで、中には通常火薬がぎっしり入っているものでした。米軍にとっては練習ですが、爆撃を受ける方からは1万ポンドの超巨大爆弾が降ってくるわけで、原爆ほどではありませんが、それでも甚大な被害が生じることになります(7月29日舞鶴では、海軍工廠の水雷工場に命中して97名の死者と負傷者百数十名を出しました)。
 原爆投下地の候補は、はじめは、小倉・広島・京都・新潟でしたが、「上部からの指示」で京都が外され、かわりに長崎が入ります。(最初の4つに絞られる前には、名古屋と東京も候補地となっていましたが、どちらにも大規模な焼夷弾空襲をしてしまったため「原爆の効果を測定しにくくなった」と候補から外されました)
 飛行路は、テニアンから硫黄島まで真っ直ぐ飛び、そこから目標に向かって進路を変更することになっていました。あれだけの損害を出しても硫黄島を攻略したのには、ちゃんと理由があったんですね。
 心理戦として、「日本國民に告ぐ」のビラの複写も載っています。おやおや、「原子爆弾」を「廣島に投下」ってしっかり書いてあります。
 爆撃行に対する日本軍の反応は「対空砲火は問題にならなかった」「敵空軍の抵抗は皆無だった」などとあります。どの任務でもB29は小編成だったので、局地戦闘機は出撃しなかったのかもしれません。一機だけ、大阪上空で砲火による損傷を受けています。
 燃料消費や消費弾薬なども細かくデータが残されています。もちろん(原爆を含む)爆弾による日本側の損害もまた「データ」として扱われます。あれだけの被爆者も、米軍には「データ」でしかないのでしょうね。「キノコ雲の下」では「数多くの悲劇」なんですが。




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