【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

文系の学者を嫌う人

2015-09-30 06:43:48 | Weblog

 日本に限りませんが、政治家の中には学者嫌いの人がけっこういます。日本でも「違憲かどうかを決めるのは政治家で学者ではない」とか「文系の学部は役に立っているのか?」とか妙に文系の学者を敵視しているような言動をする人が最近目立っていましたっけ。
 何を好んで何を嫌うか、は本人の自由ですが、日本の官僚組織ってほとんどが文系の学部出身者で占められていません? 官僚の出身母体を頭から否定する政治家が上手く官僚と“政治”ができるのか、ちょっと不思議に思います。

【ただいま読書中】『人文学と批評の使命』E・W・サイード 著、 村山敏勝・三宅敦子 訳、 岩波書店、2006年、1900円(税別)

 著者は、パレスチナの人権闘争にずっとかかわってきましたが、コロンビア大学では文学と音楽の教師としての立場を崩しませんでした。ただ、人文主義者(ヒューマニスト)として、人文学について省察しようと本書を著したそうです。
 構造主義とポスト構造主義は「作者(のコギト)」に死の宣告をし、反人間主義的なシステムの優越性を主張しました。著者によると、フロイトの「無意識」もまた「システム」の一部だそうです。著者はこの「フランスの理論」に賛同していますが、同時に「個人の絶対主権」「正義と平等の理想」にも賛同しています。(丸山圭三郎は「19世紀を20世紀に転換させた4人」としてソシュール・マルクス・ニーチェ・フロイトを名指ししていますが、この4人ともサイードは「フランスの理論」の一員としています。この中に「フランス人」はいないのにね)
 文献学に関しては、「読むこと」が自分自身の中で循環し、さらに先人の読みとも関連していることが示されます。すでに誰かによって読まれている文章を、自分自身が精読をすること、その意味は? そして、古典を精読するのと同様の態度で、この現実世界をも“精読”するのが、現代の人文学者の責務である、と著者は主張します。だからこそ著者は、アイデンティティが危機にさらされているパレスチナにかかわろうとしているのでしょう。
 ……そう、「読む」とは「特定個人の行為」です。集団的な「われわれ」の行為ではありません。「われわれ」が「やつら」をやっつけてやる、というスローガンの前で、「私」が何が言えるか、それが人文主義者の立場です。「イラクには大量破壊兵器がある」と主張する人に対して「ではイスラエルには?」と問える人、それがアメリカの人文主義者です。著者は「アメリカの」と限定することで、人文主義者の定義に新しい意味を盛り込もうとしているようです。そしてそれは、単にアメリカでの反権力運動になるのではなくて、一般化されることによってインターネットとグローバリゼーションで結ばれていく人類のこれからのあり方にも大きな疑問を投げかける「新しい意味」であると私には感じられます。



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