【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

英雄

2010-03-30 18:34:46 | Weblog
 マケドニアからインドまで到達したアレクサンドロス大王やパリからエジプトやモスクワまで到達したナポレオンを英雄とする人は、秦の始皇帝や漢の武帝やチンギス・ハーンのことはどう評価しているのでしょう? インカやマヤの祖は?

【ただいま読書中】『東方見聞録1』マルコ・ポーロ、 愛宕松男 訳注、 平凡社(東洋文庫158)、1970年、2800円(税別)

 ニコロ・ポーロとその弟マテオが行なった商売(と冒険)の旅は偶然や必然によってクブライ・カーンのもとに導かれました。教皇へのカーンの使節とともに帰国したニコロは、妻はすでに死に、息子のマルコが15歳になっていることを知ります。教皇からの親書を携え兄弟は再びカーンのところに戻りますが、マルコを同行させることにします。さて、東方見聞録の、はじまりはじまり。
 道中は、宗教と人種のるつぼです。キリスト教(ただし著者は「ローマ教会のそれではなくて様々な点で邪道に陥った教法」と言っています)・イスラム・ペルシア教など、そして様々な人種が入り乱れて交易を行なっています。ここでマルコは言語の才能を示した様子です。
 旅の道筋の様々な珍しいものが紹介されますが、通過する諸国でマルコ・ポーロがまず興味を持つのが、宗教、産物、地勢、そして水です。水のせいで下痢をするとか、水のために風土病として住人の甲状腺が腫れているとか、けっこう細かい描写が続きます。
 興味深いエピソードとしては……若者が〈山の老人〉の用いる大麻(ハシシュ)によって刺客に仕立て上げられる過程があります(暗殺者assassinの語源はhashish)。心理学の悪用ですな。マルコ・ポーロの時代にはもう〈山の老人〉は討伐されていたのですが。あるいは「サラマンダー」。これはヨーロッパでは動物の名前になっていますが、本来は鉱物である、と著者は述べます。描写からすると石綿ですね。そして「プレスター・ジョン」の登場です。
 プレスター・ジョンから話はチンギス・カーンへ、そして「タルタール人(モンゴル帝国の住人たち)」へと話題は移行します。文字で旅をしているようで、なかなか巧妙な道筋です。葬儀や婚姻についてもいろいろ紹介されていますが、その中に「従姉妹を妻とすることができる」とわざわざ書いてあると言うことは、当時のヨーロッパ(少なくともイタリア)では従姉妹との結婚はタブーだったんですね。
 妖術や魔法についても“実在するもの”として書かれていますが、マルコ・ポーロは実際に見たのでしょうかねえ。
 彼が実際に見た偉大なものとして、クブライ・カーンがいます。本書では「アダムより以来今日に至るまで、かつてこの地上に実在したいかなる人物に比べても、はるかに巨大な実力を具有している」と書かれています。
 太陽暦での2月には元旦節の盛大な祝典が行なわれます。集う重臣は12000人。カーンにお祝いとして献上されるのは白馬10万匹(献上者は九の九倍、つまり81匹を揃えないといけないそうです)。尊ばれる色「白」の衣装を全員身につけ「白色の朝賀」(祝いの饗宴)が執り行われます。カーンからは集う重臣たち全員に13組の色違いの宴服(1年13ヶ月の各月の儀式のためのもの)が賜与されます。総計10万6千着、とマルコ・ポーロは嬉しそうに計算して見せます。……あのう……計算が合ってないんですけど……それとも本の方の誤植かな?
 首都カンバルックは、一説には100万都市だったそうです。マルコ・ポーロは家や人口を数える努力は放棄していますが、娼婦は2万人という報告はしています。娼婦や各地から集まる商人は城外に住みますが、城内よりは城外の方が人口は多いそうです。そこで流通しているのはなんと紙幣、とマルコ・ポーロは驚き「カーンこそ、錬金術師」と断言します。カンバルックから各地方には公道があり、駅伝制度が整備されています。(宿駅が25~30マイルごと、へき地では35~40マイルごとにあって、宿泊と馬の交換ができる) 飛脚は3マイルごとに配置され、普通は10日行程のところを1日で文書や軽い荷物を首都に届けます。
 「薪のように燃える石」も登場します。石炭ですね。
 マルコはクブライ・カーンのお気に入りとなり、元朝に仕えることになります。最初は雲南省への使節です。その道中もこれまでと同様、淡々と途中の地方のことが語られます。この「淡々」がくせもので、せっかくの「別世界の見聞」なのに、まるで気のないガイドがお客を「はいここは○○堂で××年に建立です。写真を撮りましたか。では次に行きます。こんどは□□の門。高さは5メートル幅は10メートルです。では次に行きます」とおざなりな仕事をしているかのような感じで、ちっとも臨場感が盛り上がりません。面白そうなエピソードが登場しても「オチ」なしで「この話はここまで」と次に行ってしまいます。この「淡々さ」は本書の発表当時にも問題になったようですが、解説では、まだ散文体が確立していない時代だから、と弁護されています。ともかく、本書を楽しむためには、相当想像力と注意力と過去の知識が必要です。
 「黄金の国」の登場は、下巻です。
 


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