私個人の場合ですが、朝食は同じメニューが何日続いても平気ですが、夕食は2回続くとイヤになります。そういえば実家を出てから結婚するまでの約10年間、朝はほとんど「トースト、目玉焼き、コーヒー」で通していたのですが、本当に平気でしたね。今やったら耐えられるかしら?
【ただいま読書中】『朝食の歴史』アンドリュー・ドルビー 著、 大山晶 訳、 原書房、2014年、2800円(税別)
クロード・レヴィ=ストロースのアマゾン川流域の狩猟採集民の思考様式に関する研究に「朝食」が“不在”であることに著者は注目します。朝食には「貯蔵した食べ物」が必要ですが、狩猟採集民は「まず食料探し」に出かける必要があり、その結果として「朝食」はないのだろう、と。人類の歴史を見ても、「貯蔵した食べ物」または「昨日の残り物」が準備できるようになったのは、新石器時代よりはあとの時代のはず。
古代ギリシアには、一日の始まりに取る簡単な軽食「アクラティスマ」がありました(古代ギリシアではワインは水割りにするものでしたが、水を混ぜないワインにパンを浸したものがアクラティスマの典型でした)。一日の最後の食事は「デイプノン(正餐)」です。ところがデイプノンに先行する食事を示す「アリストン」ということばもあり、話が混乱します。アリストンを「昼食」と訳せば話は楽ですが、夜明けにアリストンを食べるシーン(たとえばオデュッセウスがエウマイオスと食べたアリストン、あるいはティベリアス湖岸でのイエスと弟子たちのアリストン)があるのです。
中世の英仏では「断食を破る」が朝食を意味するようになります。英語だと「breakfast」仏語だと「デジェネ」。これは、宗教的な断食が身近にあったからこそ、すんなり生まれた言葉かもしれません。日本の場合には「朝ご飯」「お八つ」と「時間」で決めてしまう傾向がありますが、文化の違いを感じます。
どの時間帯に食べるのか、軽いものですませるのかがっちり重い食事にするのか、などで「朝食」の姿は変わります。「イギリスのたっぷりの豪勢な朝食」が文学に登場するのは意外にも19世紀になってからです。著者はこの「豪勢な朝食」のルーツは、17世紀の王室の朝食にあるのではないか、と考えています。
「二度目の朝食」が登場するのは『指輪物語』のホビットたち。彼らは一日に6回食事をしますからねえ。実は第一次世界大戦前のドイツ人は「二度目の朝食」を重視していたようです(ドイツ人は「間食」、オーストリアでは「ヤウゼ」と呼ばれたそうです)。ミュンヘンでは白ソーセージが「二度目の朝食」の定番メニューだったそうです。
世界各地に「伝統的な朝食」が存在しますが、そこに登場した新顔が「朝食用シリアル」です。私も朝食に食べることがありますが、夕食に食べたいとは思いませんね。なぜでしょう?
本書の巻末は「世界の朝食 19のレシピ」です。レシピを見るだけでよだれが出そうになります。さすがに犬の肉は日本ではなかなか入手困難ですが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます