【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

予告登板

2012-03-14 18:49:28 | Weblog

 今年からセリーグも投手の予告をするそうです。「先発が左ピッチャーだとわかったら、右バッターをずらりと並べられて不利になる」といった理由で難色を示す人もいたそうですが、さて、それについて私は疑問を二つ感じています。
 1)本当に投手と打者の「左対左」「右対右」「左対右」「右対左」で「有利」「不利」が統計的に有意の差をもって示されているのでしょうか?(差はあるのかもしれませんが、大切なのは「有意の差」があるかどうか、です)
 2)有利不利が明確にあるとして、たとえば「ずらりと右バッターを並べられた」としたら、さっさと中継ぎ以降を右投手にしたら、不利が一挙に有利に転じるのでは?
 野球って、そんなに単純なものでしたっけ?

【ただいま読書中】『心をもつロボット』武野純一 著、 日刊工業新聞社、2011年、1800円(税別)

 人は昔から、マリオネットやオートマタ(自動機械)を作ってきました。それがコンピューターの発達によって“新局面”に突入しています。
 著者は、「ヒトの精神」をコンピューターのプログラムに相当するもの、と規定します。コンピューターの研究からヒトの精神にアプローチしたら、脳科学をベースとした心理学が唯物論的心理学になるのと同じような結論に別の方向から到達した、といった趣です。ただこの「規定」から「ロボットは心をもつ」と言えることになります。十分複雑なプログラムだったら、ですが。そうそう、たぶん笑いを取るためでしょうが「アミニズム(ママ。本当はアニミズム)の考え方からは、機械(ロボット)に魂があると言っても良いだろう」とも言っています。
 「脳の内部には興味を持たない」という「行動心理学」も紹介されます。それをロボットに適用すると、外から見たら十分「心があるかのような行動」を取りさらに外からの刺激で行動が変容するロボットは「心がある」と言っても良さそうです。
 それ以外にも出るわ出るわ、心理学の総ざらいといった感じで次々心理学が紹介されます。これだけ心理学があるということは、「ロボットの心」を定める“基準”がない、ということになってしまいそうです。もちろん「人の心とはいかなるものか」の定義も。
 脳科学では、「脳細胞そのもの」に意識や心を生みだす機能があると推定して量子力学を適用して解明しようとする立場と、「脳細胞のネットワーク」がその機能を生みだしているとするコネクショニズムとがあります。
 著者が重要視するのは「ことば」です。人が何かを発言する場合、まず潜在意識で文章を作成し、発話前に内言でリハーサルをして評価し、それから意識的に発話をします。その基本的特徴を再現できるプログラムを作ることができたら、それは人の心に類似したコミュニケーションに利用できることになります。
 ここで、ドナルド・ヘップ(ニューラルネットワークの発明者の一人)が言った「共起性の原理による学習理論」のアナロジーが登場します。人が潜在意識で文章を作成しているとき、その文章のすべてのことばは同時に発生している(すべてのことばに、同時に発生したという関連性がある)、と著者は考えるのです。ならばロボットは、ことば同士の関連性を計算でき、その結果を利用できることになります。実際にネットで英語サイトの文章をデータベースに大量に入力して単語の関連性を求めておいてから試しに「President」と入力したところ、そこから芋づる式に導き出されたのは……「Bush」→「Iraq」→「War」で、その「感情的な意味」は「恐怖や嫌悪」だったそうです。その研究結果を発表したら、批判が殺到したそうですが……私は笑っちゃいますね。
 著者は実際のもの作りも行なっています。頭蓋骨標本から型を取り、プログラムに従って表情を変えるロボット作成です。そして、単語データベースと表情とを関連づけていきます。写真がありますが、けっこう不気味です。
 さて、お次は「鏡に映った“自分”を認識できるか」です。著者は、カメラで立体視をして障害物を避けて移動するロボットは作れました。しかしそれは「ものを見ている」のでしょうか?
 著者は「認知と行動の一致」とは、「ある一定の情報の静的な状態」ではなくて「ニューラルネットワークで情報がぐるぐると安定して回っている状態」のこと、と仮説を立てます。その「安定したパターン」への「入力信号」が「認知」で「出力信号」が「行動」です。そして「鏡に映った自分の姿を認識して反応できるロボット」を作ろうとします。それが成功したか失敗したかは、本書をお読みください。著者は成功したと思っているようですが、私は微妙だと思います。
 著者の研究は「ロボットの開発」ですが、それは実は「人の研究」でもあります。人と類似する回路が設計できたら、こんどはその回路の研究から「人」に迫ることもできる、と。ただしそれには「そのロボットが人の精巧なアナログである」ことが前提です。いくら似ていても本質が違っていたら(ロボットとしては有用ですが)人の研究には役に立ちません。それでも、じゃんじゃん人を解剖するよりは安全ですし、もしかしたらそのうちに「アトム」ができるかもしれません。それはそれで楽しみな未来だと私は脳天気に思っています。



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