【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

火中の栗

2021-08-04 06:30:53 | Weblog

自民二階氏、総裁選で「首相続投を思う声、国民に強い」」(朝日新聞)
》「しっかり続投していただきたいと思う声の方が、国民の間にも党内にも強いんではないか」

 国民はともかく、自民党内では「続投希望」が多いかもしれません。だって今の状況では誰も火中の栗を拾いたくないもの。
 “前回”は谷垣さんが体を張って自民党を支えましたが、現在の自民党に「谷垣さん」は不在のようです。

【ただいま読書中】『歴史を変えた自然災害 ──ポンペイから東日本大震災まで』ルーシー・ジョーンズ 著、 大槻敦子 訳、 原書房、2021年、2800円(税別)

 1755年のリスボン地震はヨーロッパ社会を揺さぶりました。ポルトガルでは、地震によって権力を持ったデ・カルヴァーリョがイエズス会を司法・商業・教育から公的に排除します。ヨーロッパ各地では「自分の罪に対する神からの罰」とされていた地震に対する疑問が大きくなりました(なにしろ最大数の死者は倒壊・炎上した教会に集まっていた「敬虔な信者たち」だったのですから)。また、地震発生のメカニズムを科学的に解明しようとする発想も登場します。ただしこれは知識人層での話で、啓蒙思想によってヨーロッパが「科学の世紀」となるのは19世紀まで待つ必要があります。ただ、リスボン地震が「科学の世紀」を準備した、と言っても過言ではないでしょう。しかし「リスボン地震は神による天罰だ」と主張するキリスト教徒でも、カトリックは「プロテスタント教会がリスボンに“侵入”して汚染したからだ」とリスボンで宗教裁判を開いてプロテスタント教徒を処刑し、プロテスタントは「カトリックの中心地だから神が罰したのだ」と考え、イギリスは十万ポンドの義捐金を送ったのにプロテスタント国のオランダは援助を拒否する、という「外交」が展開されています。もしかしたら、地震による死者よりも宗教による死者の方が多かったかもしれません。
 火山の爆発もまた「神の怒り」とされていました。1783年〜84年アイスランドのラキ山の噴火は、アイスランドに壊滅的な被害を与え、人々を救うために奔走した「火の牧師」ヨン・ステイングリムソンという英雄を生みました。しかしその影響は世界中に及びます。大気圏にまき散らされたフッ素によってヨーロッパ各地で健康被害が続出。成層圏に吹き上げられた二酸化硫黄によって、地球は寒冷化。数百万人が飢饉で死亡しました。
 「カリフォルニアの大災害」と言われたら、私は「地震」と答えます。1989年のサンフランシスコ地震、94年のロサンゼルス地震の記憶は強烈ですから。しかし実際には、最大の破壊をカリフォルニアにもたらしたのは、洪水でした。1861年11月〜翌年1月の2箇月で数年分の雨が降り、州都サクラメントは数ヶ月水に浸かったままとなりました。被害を受けたのは州都だけではなく、ほぼ全滅した町が多数ありました。固定資産税の記録から、税の対象となる土地の1/3が破壊されたことがわかります。その後2年間はひどい干ばつとなり、カリフォルニアが依存していた牧畜は全滅しました。ただ、本当にこわい話はここから。著者のチームが地震だけではなくて水害についても予測モデルを作って被害を推定したところ、人々は、地震についての大被害は受け入れたのですが、洪水については予測を拒絶したのです。「地震の4倍の1兆ドルの損害」が受け入れられなかったようです。だけど、「災害は起きない、と強く信じたら、災害は起きない」のでしたっけ?
 関東大震災も当然登場します。1905年に「東京で大地震が起きたら被害は甚大」と予測した今村に対して、東京大学地震学部長(つまりは今村の師匠)大森は激怒、神聖な帝都にこの先数百年大地震など起きないと公の場で今村をやっつけました。そして1923年。被災者は、朝鮮人を拷問・虐殺することで何かを解消しようとしました。著者は、生贄を捧げることで地震を引き起こした汚れから浄化されると考えたのかもしれない、と述べています。平時には差別して、非常時には生贄として殺す、というのは、ひどい話とは思いますが。おそらくパニックで内なる暴力衝動が解放されただけでしょう。だけどそれだと日本人は本来は暴力的な民族、ということになってしまいます。あれまあ。
 1926年ミシシッピ河の氾濫ではアフリカ系の住民が「平時には差別されて、非常時にはひどい目に遭わせられる(時に殺される)」の目に遭います。連邦政府もそれを公然と認めました。そして、それによって、(リンカーンの)共和党に絶対忠実だった「黒人票」が民主党に大量に流れるようになってしまいました。「差別される怒り」は社会を動かすのです。
 中国は1975年に「海域地震の予知に成功して数千人の救命に成功した」と大々的に発表、しかし76年の唐山地震の予知には失敗して数十万人が死亡しました。もっともそのころの文化大革命では少なくとも二千万人、下手すると三千万人の死者が出ていた、と著者は苦々しく書きます。文化大革命で「知識人」もひどい迫害を受けましたが、周恩来の「地震予知計画」によって一定数の知識人が“救われた”そうです。となると「中国の地震予知」については、「科学」だけではなくて「社会」の方からも見つめる必要がありそうです。
 そして「コロナ禍」もまた、これらの「災害」に将来はつけ加えられることになるでしょう。
 本書は「災害」の物語ですが、同時に「人間(の心理)」についての物語です。正常バイアスや確証バイアス、差別、記憶、処罰感情……様々な要素によって「被災」は大きくもなり小さくもできます。特に「災害の後の被害(つまりは人災)」については、小さくしないといけませんよねえ。

 



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