支倉常長(はせくら つねなが) - ミューズの日記
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約400年近く前に仙台藩の支倉常長(はせくら つねなが)と言う侍がメキシコに渡り、スペイン、ローマと旅をして帰国した事をご存知でしょうか?そして彼の銅像がメキシコのリゾート地・アカプルコの砂浜に建っているのをご存知でしょうか?私がメキシコに駐在していた頃に読んだ本の中に支倉常長をモデルにした『侍』(遠藤周作)と言う小説があり、それはとても興味深く、強烈な印象を残した本でした。

以下、その小説のストーリーを基に書きますので史実と少し異なるかも知れませんがご容赦ください。

支倉常長は藩主の伊達政宗の命を受けてメキシコとの交易を結ぶために大航海の旅に出ました。それが江戸時代初期の1613年です。家来と商人併せて百数十人が日本の物産を積んだ船で3ヶ月かかってメキシコの西海岸のアカプルコに到着しました。そしてメキシコの総督に会うために今の首都・メキシコシティーまで荷物を担ぎながら500kmの陸の旅が始まります。しかし、言葉は通じないし食べ物も全く違い、次々と脱落者が出ます。そしてやっと総督に会ったものの、出向してから江戸幕府がキリスト教の禁止令を出して教徒の弾圧を始めていたため、交易は総督一人の判断では出来ないと言う返事でした。

そこでスペイン本土まで行き、スペイン国王に会って交易の許可を得ようとします。メキシコの東海岸のベラクルスから出航したときには百数十名が30名に減っていました。マドリッドに到着したのは日本を出てから1年と数ヶ月が経っていました。そして国王に謁見して交易許可を得るために悩んだ挙句、キリスト教の洗礼を受けてキリスト教徒になります。しかし、日本に於けるキリスト教徒弾圧に対して反発する者が多く、マドリッドで8ヶ月粘ったものの、結局国王も許可できないためローマ法王に会って判断してもらう様に言い渡されました。これでもう丸2年が経過しています。仕方なく常長一行はローマに向かいます。

この時には一行はたったの3名になっていました。
そしてローマ教皇に謁見は出来たものの、交易許可は下りず、ヨーロッパを追われるようにメキシコに向かいます。そしてメキシコのアカプルコから日本に帰国するのですが、時は既に7年が経過していました。また自分の使命を果たせなかった失意の帰国です。しかも、幕府がキリスト教を禁止して教徒を弾圧している時代に変わっていたのです。そんな状況の中、藩主の伊達政宗も幕府の手前、使命を果たすための手段とは言え、キリスト教の洗礼を受けた常長らを歓迎することも出来ず、自宅謹慎処分とし、数ヵ月後には切腹を言い渡したと言う悲しいお話です。

これは史実に基づいた小説で、アカプルコに彼の銅像が建っています。その彼の苦労と悲しい結末の事を考えると、私自身が当時経験していたメキシコの試練など取るに足らないものだと自分を励まし勇気付けられたものでした。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
すごい (Shigeru Takehara)
2005-10-20 02:43:01
山下さま、



すごいお話ですね。奈良時代(だったけ?)の鑑真と同じくらいすごい!



その、遠藤周作の本読んでみたいですね。



 
 
 
お薦めです (山下 高博)
2005-10-26 20:18:25
この本『侍』はお薦めですよ。

一気に読んでしまいます。
 
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