村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

神風特別攻撃隊

2019-08-14 09:21:24 | 日記
8月15日にちかくなると、我々の世代はやはり終戦のことが気になります。
我々の父親はほとんどが戦争に行っています。
どこの父親もあまり戦争体験を話したがりません。
その中でも神風要員であった叔父の話が強烈に残っています。

その叔父は昭和19年7月海軍の予科練に入隊、訓練を半年受け20年1月茨木の百里が原航空隊に搭乗員として赴任しました。
その頃にはもう特攻が始まっており、その基地からも多くの人が出陣して行きました。
頭は優秀、体力抜群の人が集められていましたが、もう飛行訓練も燃料が無かったり飛行機そのものが無かったりで当然、制空権もなかったりでやっと飛べる状態でだったそうです。

パイロットが少しづつ攻撃で減ってきて、見慣れた顔がいなくなってしまう。
1月赴任の隊員は飛行技術が訓練不足のためほとんど特攻に行ってないそうです。
一緒に話をした中の良い隊員、風呂で背中を流しあった先輩が突然出撃していなくなってしまう。
あわててその先輩の部屋に行くと模造紙に敵艦轟沈とかいっぱい書いて貼ってあったそうです。
基地からの見送りには間に合わなかったそうです。

叔父の乗っていた飛行機は99式艦上爆撃機22型、機体番号はリー22か23とか。忘れたようです。もう型が古くて。

特攻に行った隊員は優秀で性格の良い人から狙ったように出撃していったそうです。
特攻隊員は洗脳教育により生きた武器にさせられたのではなく、みんなまともな判断のできる人たちで人間兵器ではなかったそうです。遺書などが展示されていますが、みんな良い青年だったのです。

叔父はみんなに話しても理解できないから、話さないと長い間、口をつぐんでいました。
自分にだけには話してくれました、95歳で今も元気です。

20年の7月にはあまり空襲もなく終戦になります。
進入してくるアメリカのパイロットの顔がよく見えたそうです。

8月になると思い出します。

       (-_-メ)


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