村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

改元

2019-04-08 15:55:04 | 日記
安政7年3月18日が万延元年に改元で2年の2月18日が文久元年に改元。
万延元年6月28日(東大和)芋久保の久蔵来て藍葉を買う、とあり、この頃畑に藍の葉を作って染色に使っていたことがわかります。

結納、結婚などいろいろなことが書かれています。

和宮様が将軍にお嫁入で、11月11日京都より御姫宮御参向に付き、村々より人足、百石に16人、18歳より50歳までの壮夫に勤めしむべき由を申し渡さる、後家、病夫を除けば、軒別にて人不足の村多し、大行院・予が宅にも勤むべき由に付,保十郎行く。
和宮様が来られるので村々からお迎え、警備に駆り出され、15日無事和宮内親王の神輿、江戸御着。
偉いお姫様ですよね、江戸に来て幕府と朝廷の結びつきを強くしたんですからね。

農家は養蚕で稼げるようになったら、ばくち打ちが横行して村を暴れまわるようになった。
村々は一致団結して守った。結構温泉に湯治に行ったりして。
6月23日、三ツ木村より芋久保辺までの博徒、所沢博えきの宿に押し入りて駒札を取り来る。

7月29日には田舎一統麻疹の死者おびだだし。
8月7日府内コロリと名付け病みつくと即日死す。コロリはコレラのことです。
だいぶはやったようです。大勢の人が亡くなりました。
ばくち打ち、強盗、泥棒、伝染病、天変地異、政治の混乱など世情騒乱で大変だったことでしょう。

すぐに人が亡くなる、今よりはるかに死が身近にあったんでしょう。

テレビでやっている時代劇は、ここに書かれていることはだいぶ違っています。



    早春



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