一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

今日のできごと、三つの事件

2006年01月21日 | 休憩
<今日のできごと>


Ⅰ 雪事件

目が覚めて驚きました。

境内は一面銀世界!

美しい!

雪国でご苦労されている方のことを思えば、はしゃいでもいられませんが。

センター試験を受ける受験生も気の毒です。

午後は父と参道を雪かきしていい汗を流しました。

我が家の犬たち(3匹)は、雪のなかを大喜びではしゃぎまわっていました。

雪やコンコンの歌は真実ですね!(犬は喜び庭駆け回り♪)


Ⅱ 眼鏡屋事件

近所の大型ストアに入っている眼鏡屋さんに行きました。

普段はコンタクトなんですが、休み用の眼鏡が前から欲しかったんです。

眼鏡、あることはあるんですが、永平寺修行中に使用した、ぶっといセルロイドの黒縁眼鏡。
ちなみに私の修行時代は眼鏡も指定されていました
これが、そうとうイケてない・・・。はっきり言ってやばいです・・・
実際、身内の評判も悪かった・・・

そんなわけで、ちょっと奮発して(自分にとっては)かっこいい眼鏡を購入しました。
ちなみに最近の流行は、ウルトラマンセブンみたいな細いカクカクした切れ長眼鏡なんですね。

私が掛けると、おしゃれな人ではなく、単にヤバイ人になるんで、そのタイプはやめました・・・

そして、そのお店のサービスとして驚いたのが、無料のネームサービス!
眼鏡の蔓の先のところに、文字入れをしてくれるのですが、名前以外にも四字熟語や名言なども入れられるとのこと。
販売員のお兄さんが、サンプルを見せてくれました。
そこで、ビックリ!

サンプルの中から選べる言葉の一つに「青雲の志」ならぬ「星雲の志」なる言葉があったのです!
「星雲の志」??はて、こんな言葉があったっけ??と思いつつ、ハッと閃きました!「待てよ、星雲をコスモスと直せないこともない」ではないか!
「コスモスの志」!!こいつは実にかっこいい!!!

即座に、この「星雲の志」でお願いします!と販売員さんに頼んできました(笑)

一週間後の受け取りが楽しみです。「青雲の志」に直されていないことを祈ります

もしやビジョンメガネの社長は、「コスモロジー」ファンなのかもしれません。

私の知る限りでは、スポンサーではないようですし・・・。

ひとりで密かに受けてました(笑)


Ⅲ ケンタ事件(ありえない話)

ケンタ(関西ではドチキンと言うらしい)ことケンタッキーフライドチキンが、無性に食べたくなることがあります。

眼鏡屋さんを出て、持ち帰りでケンタを買いに立ち寄りました。

ハバネロホットチキンセットと、ツイスターを注文する。

なかなか来ない・・・。

レジの前で10分待った・・・。

その間、お店の女の子が怪訝な顔で、「お客様、ご注文はおありですか?」と二度ほど尋ねる。

私「いえ、もう注文しました」と答える。

女の子は、いっそう怪訝な顔をする・・・。

やっと、女の子から声がかかる。

「お客様、お待たせしました~」

ところが、内容を聞いたら私の頼んだものではない。

私の後に頼んだ人のものだ。

あれ~!?なんだ~!?

この時になって、やっと何かがおかしいのに気がついた。

ふと腕に目をやると、私の腕にはすでに持ち帰りの袋がぶら下がっている。

そう・・・私は、お店の女の子から、ずっと前に、品物を受け取っていたんです

んぉ~恥ずかすぃ~

「あ~っ、もうもらってました~っ」と言ってそそくさと立ち去りました

わたしの脳みそは大丈夫でしょうか・・・。ちょっと、いやかなり心配です・・・。

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クリックありがとうございました!




今日も元気だ!ブログが書ける!

2006年01月20日 | 思い・日常
ブログ。

さすがに毎日の更新は、しんどいものがあります・・・
話題にしたい素材は念頭にあるものの、それを文章化する時間的、精神的余裕がないことも多い。

駄文は承知の上ですが、それでも自分なりに読み応えのあるものにしようとすれば、普通に2時間、時には3時間くらいはかかってしまいます。

これは、かなりテンションが高まらないとキツイ作業です。

とは言うものの、ほとんど休みなしに更新している。

新年明けてからは一度も休みなし。
これは、長続きが苦手な私には奇跡的なことです。

時には、意地になって更新するときもありますが・・・

それだけ、人に伝えたいという思いが強いのかもしれません。
きっと内に秘めた自己顕示欲も強いのでしょう・・・。

私にとってブログはそんな欲求を解放してくれる時間になっています。

考えてみたら、自分に元気がなければブログもできませんね。
どうにかこうにか、毎日更新していると言うことは、私が「今日も元気だ!」と言うことの証なのかもしれません。

今日も元気だ!ブログが書ける!

ですが、ムキになって、更新をMUST化するのも馬鹿げています…。

また長文でもないし、大それたテーマでなくても、
日常の些細な気付きの中に、含蓄が込められた簡潔な文章を書かれる方もいらっしゃいます。
そんな文章はさらりとしていて、とても爽やかです。

見習いたいところです。

これからも自然体を心がけ、時には熱く、時には爽やかに、私らしい記事を投稿していきたいと思います。

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至福のとき

2006年01月19日 | 思い・子どもたち
朝礼後、本堂前階段で、一足早く卒園記念の写真撮影があった。

風が冷たい。

撮影が終わり、年長の男の子が私の手をギュッと握る。

「わ…、あったか~い」と一言つぶやく。

すると、ワーッと、つられたように子どもたちが一斉に私を取り囲んで手を握ってくる。

次から次とたくさんの小さな冷たい手が私の手や腕をギュッと握る。

ニョキニョキ、ギュギュギュ

私もギュッと握り返す。

彼らの手が少しでも温まるように心の中でおまじないしながら。

○○先生(私の名前、ちなみに園長先生とはあまり呼ばれない…)の手、すごいあったか~い!なんでだろう~。ね~なんで~。

みんなキャーッキャーッ言っている。

普段は作務衣にスニーカー姿だが、記念撮影なので改良服(僧侶の略式の法衣)を着ていた。

余計にすっかり良寛さま気分。

雪駄を履いていたため、足袋は子どもたちの靴に踏まれて真っ黒。


かけがえのない至福のときが私を包んだ。

この子達とも間もなくお別れだ。

彼らに出会えてよかった。


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ありがとうございました!

玉塚氏のストップウォッチ方式を採用

2006年01月18日 | 自己啓発
最近、仕事がどんどんたまっているような気がします。

ん~現実に向き合わなければ!

たぶん無駄に過ごしている時間が多いのでしょう・・・。

さて、以前テレビで、(株)ファーストリテイリング(ユニクロ)の元社長、玉塚元一氏(元慶応大、ラガーマン)がストップウォッチを首からぶら下げて、仕事をしている姿を見ました。

ストップウォッチを使うと、
仕事を時間内に処理することに集中できるということ。

ストップウォッチで
時間に追われるか、時間を追うかはその人次第なのかもしれません。

かなり評価が分かれそうな方法ですが、
おもしろそうなのでやってみることにします。

飽きっぽいたちなので、続くかは自信ありませんが・・・

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ありがとうございました!

愛別離苦

2006年01月17日 | 禅・仏教
愛別離苦(あいべつりく)

一昨日、メリとグリの赤ちゃん、テラとハナは新しい飼い主さんに引き取られました。

テラは姉の知人に。

ハナはブリーダーさんを通して、大阪の方に。

親犬には分からないように、メリとグリが散歩しているすきにお別れをしました。

散歩から帰ってきた二匹は、「あれ?どこ行ったんだろ?」っていう表情をして、一時間くらいウロウロとあちこち探し回っていましたが、諦めたのか徐々に普段通りになってきました。

もっとも、寂しいとか、辛いとか声に出せるわけではないので、
メリとグリの胸中まで察することはできません。

ただ、すでに乳離れは進んでいたので、親犬としての役目は済んでいたのかもしれません・・・。

人間より、親離れ、子離れの時期をしっかりと見極めているのかもしれません。

姉の知人に引き取られたテラは、すでに食欲も旺盛で元気に跳ね回っているとのこと。少し安心しました。

さて、「愛別離苦(あいべつりく)」。

この言葉は、仏教では、私たちの人生の苦しみの一つとして挙げられています。

根本的な苦しみとしては、生・老・病・死(しょうろうびょうし)、つまり生まれ・老いゆき・病にかかり・死ぬという、人間が避けては通れない苦しみがあり、
そして、それに付随した人生上の苦しみとして、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦があります。
愛別離苦とは、愛する者と別れる苦しみ。
怨憎会苦とは、怨み憎む者とも会わなければならない苦しみ。
求不得苦とは、欲して求めてもなかなか得ることができない苦しみ。
五蘊盛苦とは、人間の身心を構成する五つの要素(色・受・想・行・識)から生じる苦しみが盛んに起こることを言います。

生老病死を「四苦」、以下の苦しみを合わせて「八苦」と言い、一般的にも使用される、「四苦八苦する」という慣用表現の由来はこの教えにあります。

主題に戻り、「愛別離苦」。

愛する者と別れる苦しみ。

僧侶をしていると、この苦しみの場面にいやと言うほど立ち会います。
つまり、今生のお別れ、お葬式です。

また、私個人においてもみなさんと同様、これまで愛する者との別れと出会いを繰り返してきました。

愛する者との別れに人生の不条理を感じ、心が張り裂けそうになることもありました。
人生に虚しさを覚えることもありました。

まだまだ修行が足りません・・・。


ですが、少しづつ考え方が変わってきています。

 別れと出会いがあるからこその人生なんだ。
 別れがあるから出会いがあり、出会いがあるから別れがある。
 愛する者との別れは、辛く悲しいものだけど虚しいものではない。
 その人のことがこころに刻まれている以上、(現象的には)別れても(本質的には)つながっているのだ。
 別れは、新たな出会いへのスタート。
 新たな自分が踏み出す一歩。
 出会いと別れがあるからこそ人生は美しい。
 諸行無常だからこそ人生は素晴らしい。

だんだんとそう思えるようになって来ました。

 もちろん、まだまだですが・・・

 四苦八苦の定義だけを見れば、「人生=結局苦しみ」と捉えられる恐れがあります。
 しかし仏教ではもちろん、凡夫の人生のあり方を「四苦八苦」として捉えているのであって、だからこの世は虚しいとか、人生は不条理で無意味だと言うことを説いているのではありません。
確かに「無明」と言う凡夫の病にかかっている限りは、この苦しみから逃れることはできないけれど、この苦しみを、仏の覚りの智慧に転じていくことによって、人生を軽やかに、爽やかに、そして限りなく豊かにかつ深く生きていくことができるということを説いています。

覚っても、決して無感動、無感覚、無関心になるわけではない。

道元禅師は「正法眼蔵 現成公案巻」で述べています。
「万法ともにわれにあらざる時節」、つまり万法が「空」なることを覚っても、
「花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり」、やはり花が散ることは名残惜しいし、雑草がはびこることは鬱陶しくも感じる。

空なる体験を徹底すればするほど、物事に過剰にこだわることはなくなる。

だが、それは決して無感動になることではない。
むしろ、凡夫とは天地の開きほどに差がある、深く生き生きとした「世界・生」がそこに立ち顕れるのではないでしょうか(ほとんどが分別知による推測ですが)。 
そうした境地、境涯は間違いなくあると確信しています。

すこしでも、今生で近づいていきたい目標です。
 

「出会いと別れ」 
 コスモロジー的に言えば、わたしたちの人生は「星と星との出会いと別れの繰り返し」と言うことができるかも知れません。

詩的で素敵ですね!

この記事を打っている間、頭の中で中島みゆきの「時代」が流れていました♪

好きな歌です。

ま~わる~ま~わる~よ、時代はまわる~わか~れと出会いをくりかえ~し、
今日は~た~おれた、たび~びとたち~も生まれ変わって歩きだ~すよ♪

歌詞あってますかね・・・

薬師丸ひろ子バージョンも好きです。

*参照文献 「仏教語大辞典 中村元著 東京書籍」
      「道元のコスモロジー 岡野守也著 大法輪閣」

愛別離苦   りょう - 書き初めくん - はてなセリフ

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ありがとうございました!


OH!ビューリィ・フォー!『世界「夢の旅」』!

2006年01月16日 | 
最近は「アマゾン」で本を購入してばかりだったが、昨日は久しぶりに近所の書店を覗いてみた。

自然風景の写真集コーナーで素敵な本に出会った。

タイトルは『世界「夢の旅」*講談社』

題名に惹かれて、立ち読み!

ページをめくるたびに、あまりの美しさにため息が出る・・・。

世界中に、こんなに夢見るような美しい場所があるのか・・・。

そんで即買い!

いわゆる、有名スポットの写真もいくつかあるが、今まで見たことのなかった素晴らしいスポットの写真が盛りだくさん。

具体的な内容については、ぜひ本書を手にとって確かめて欲しい。

百聞は一見にしかず。

紙面上で、まさに「世界夢の旅」をしている気分。

ちょっとアンビリーバボーな美しさである・・・。

地球をこの手でギュッと抱きしめたくなるような気分(無理だけど

この素晴らしい地球をどうにかして守っていこう!いきたい!って気持ちになる。

続編『世界「夢の旅」Ⅱ』も出ていることを知り、アマゾンで即買いした!

いつかは世界一周してこんな景色を目の当たりにしたい!

なんて淡い希望を抱いている。

還暦過ぎたらできるかな・・・。

生きてれば。

生きよう

それまでは地道に精進しよう

お寺で、幼稚園で・・・

とりあえず写真集を観てがまんすること

ちなみに姉妹編に『日本「夢の旅」』も出ている。

こっちも買ってみよう!

世界一周旅行より、ずっと現実味がある!!!

ちなみにこのシリーズ、一冊1600円也。

この手の写真集としてはお手ごろである。

ぜひお求めあれ!


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ありがとうございました!


「沈まぬ太陽 全5冊」、ズバリ熱い、厚い、篤い本

2006年01月15日 | 
「沈まぬ太陽 全5巻 山崎豊子 新潮文庫」

私はとにかく「熱いヒーロー」が好きだ。

いわゆる熱血漢。

だが、一口に熱血漢と言っても、見るからにギラギラしたバイタリティの塊というタイプより、
表面上は爽やかでありつつ、燃え盛る情熱の炎を内に秘めながら、ジンワリ熱いオーラを発しているようなタイプが好みである。

本書の主人公、恩地もそのタイプに近い。

本書の内容を一言で言うのは難しい。

あえて言うなら、国家権力と癒着した日本航空の利益追求至上主義、安全軽視の腐敗構造を、日航によって翻弄された、主人公「恩地」の半生を通して暴露した、限りなくノンフィクションに近い小説である。
また、本書中盤の佳境に入り、御巣鷹山日航機墜落事故をめぐって、その隠蔽された企業体質が明らかになる。

こうしたノンフィクション(事実)の小説化は、山崎豊子氏のもっとも得意とする手法であるが、彼女の著作の中でも、これほどの力作はあるまい。

一応、小説であることが建前であるが、山崎氏の、あの有名な執拗なまでの取材に裏付けらているので、事実と本書の内容との整合性は高いのではないだろうか。

実際、主人公の恩地は、実在の人物「小倉寛太郎氏」をモデルにしており、小倉氏においてはかなり長期間にわたる缶詰取材を受けたということだ。

主人公の恩地は、熱い情熱を内に秘めた正義感である。
お前は馬鹿か・・・と呆れてしまうほど「真っ直ぐ!」だ。
背中からかっこよさがにじみ出る戦う男のイメージ!
弱きを助け、強きを挫く、典型的なタイプ。
だから日航という巨大企業にネチネチといじめられる(左遷されまくり)。
それでも、絶対にへこたれずに、なんとか従業員の幸せと、日航の企業体質改善の活路を見出そうとする彼。

本書を読んでる間、ずっと恩地を応援せずにはいられなくなる。

「恩地ガンバレー!」と声に出しそうになる。

とにかく情熱が熱い、志が篤い、そして本が厚い。

そんな本である。

だが、実は本書に対する評価も、近ごろは微妙になってきている。
私の価値観が、青年期と比べいくらか変化しつつあるからかもしれない。
山崎氏があまりにも善悪、正邪の境界線を明確に設けていることに対していささか違和感を覚えるのである。
つまり「日航→悪・邪、小倉氏(恩地)→善・正」
グレーゾーンが全くない。
完全なMUST化である。
基本的には、その構図に誤りはないと思うが、MUST化は分かりやすい分、価値観の硬直化と自己正当化、自己とは異質な他者への排他性をもたらす。

主人公恩地にしても、高い理想を掲げ、真に改革を望むなら、もうちょっと戦略的になれなかったものだろうか。
例えば、あえて権力側にまわって、内部から機を捉えて変革するといった術はなかったのかと思うのである。

あまりにも不器用なのだ・・・
それが恩地のかっこよさだとも思うが。

だがともかく、実にいい男であることは間違いない!

本書を読むと「日航の野郎!こんなひでぇことやりながら澄ました顔しやがって!畜生!」なんて悪態の一つも付きたくなる。(汚い言葉を吐いてちょっと反省)

だから私は全日空(ANA)派だ・・・(笑)


さて、当寺の檀家Sさんは、図らずも日航の整備士だった。

好奇心旺盛の私は、勇気を振り絞り、本書についてどう思うか、また、Sさんは小倉氏(恩地)の労組側か、日航よりの御用組合側か、どちらの側だったのか、尋ねてみた(日航には、恩地側と日航側の労組がある…系統別にいくつかの労組が細分化されていたと思うが忘れてしまった)。

これが、Sさんが日航の御用組合側だったら、完全にアウトである。
かなり気まずい空気になるに決まっている。
一か八か。
確率としては、弱小の恩地労組より、日航御用組合に所属している割合の方が圧倒的に高い。
だが、私はSさんの凛として澄んだ眼差しに賭けた。


的中!恩地側(小倉氏)だった。安堵のため息・・・。
本書の話は本当のこと、小倉氏は従業員のために大変な苦労をされた、会社にいじめ抜かれたと言葉少なげに、だが真っ直ぐに誠実に話してくださった。

また数年前、飲み会(もう何年もやってません)に日航のスチュワーデスが来ていた。
ここでも私は湧き上がる好奇心を抑えられずに、同じ質問を投げかけた。
ある意味、空気の読めない奴である・・・


彼女も小倉氏側にシンパシーを感じているとのこと。
日航内の彼らに対する差別は今でも激しいと言っていた。
彼女自身は、ノンポリらしかった。
彼女もまた、いやな顔一つせず真剣に答えてくれた。

そんな思い出もあって、本書はとても印象深い本の一つとなっている。

そして、御巣鷹山の墜落事故にまつわる忘れられないできごと。
墜落現場に残されていた、操縦室でのやり取りが録音されていたボイスレコーダーの記録である。
機長が最後の最後まで、若い副機長たちを励ましている声が聞こえる。
「がんばれー!ど~んと行こうや!!」
死を目前にしている人間が発した言葉とは思えない。

テレビで録音された肉声を聞いたときには涙が出た・・・。

これこそプロだ。本物の機長である。

人としても一流であろう。

御巣鷹山、いつか訪れたい場所の一つだ。

多くの犠牲者に哀悼の意を捧げたい。

また熱い書評になってしまったようである・・・

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ミスター「絶好調!」が来たっ!!

2006年01月14日 | つながりコスモロジー
今日の法事はいささかドキドキしていました。

あの、元読売巨人軍のムードメーカー、「絶好調!」の決めゼリフで有名な、N氏が今日の法事に列席するという話だったからです。

ここまで言って分からない方は、残念ながら野球にご縁のない方でしょう・・・。

かなりのヒントを出してますよ~。

ちなみに私の大学の大先輩でもあります。

お会いするのは数年前の葬儀の席以来でした。

N氏に対しての印象は、やはり「元気」だということ。

気さくで爽やかで、そして、なかなかハンサム(言い方古いかな…)。

有名人にありがちな、尊大なところがないにもかかわらず、やはり、ある種の強い力のオーラを感じました。
いるだけで華がある感じ

N氏を意識して多少緊張してしまいましたが、例によって法事の後に、コスモロジー(岡野守也氏のネット授業)の縁起法話をしました。

法話が終わって、何かを問いたいような真剣な眼差し。

そこで、Nさん、何か質問ありますか?と聞いた。

以下、N氏の質問。
話を聞いて「縁起」の教えの大切さは分かったけれど、自己と他者の壁を乗り超えると言っても、お坊さんのように修行できる環境にある人(ちょっと複雑な私…)はともかく、僕らのように普通に生活している人間はとても無理な気がする。どうやって、この「縁起」の教えを生かしていったらよいのか。

私の答え。
Nさんがおっしゃるように、確かに一般の方は、なかなか坐禅をする機会を持てないというのが現実でしょう。
ですから、これまでお話した、私たち人間一人ひとりに宇宙137億年の歴史が詰まっているということ。そして、137億年かけて宇宙の無限のご縁、ご先祖様がこの私の命まで、途切れなくつないでくださったことを、まずは、頭でもいいから理解することが大事だと思います。そうすれば、その尊い私の命が、この人生で何をなすべきかと言うことが、だんだんと分かってくると思います。

N氏は、自分で答えを見つけたように言った。
まず僕らができるのは、その無限のご縁に手を合わせて感謝をする気持ちを忘れないと言うことだと思いました。

N氏にちょっと一本取られた気分

なかなか鋭い感性、豊かな感受性の持ち主だと思いました。

これまで法話に対して質問をされたのは初めてでした。

心に届いたかどうか分かりませんが、反応が返ってくるというのは嬉しいものです。

巨人軍にはあまり興味がありませんが、N氏はなかなか、かっこいい方でした。

母からあとで聞いたのですが、法事が終わり、お墓参りからまたN氏が戻ってきて、住職に聞きたいことがあると言ってきたということ。

あいにく私は次の法事を勤めていたので対応できませんでしたが・・・。

今度は何を聞きたかったんでしょう?

とても興味があります。

好奇心、向上心旺盛で熱い思いを持った人は素敵ですね!

N氏の場合は、体で熱い思いを表現するタイプの人だと思いました。


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行って来ます!(坐禅・信心銘講義)

2006年01月13日 | つながりコスモロジー
これから、参宮橋(代々木近く)の不二禅堂で行われる坐禅と信心銘の講義に行って来ます。

開き直ってしまえば、以前の怠け者の私では考えられないアクションです。

われながら変化しつつある自己を感じます。

さて「信心銘」とは、禅宗の三祖鑑智僧さん(さんの字が出ない)禅師の作で、禅の真髄を示したものとして珍重され、禅思想史上でも重視されている韻文とのこと。(大修館書店 禅学思想大辞典参照)。

「信心銘」については、とてもシンプルで力強い禅の教えとの印象を持っていましたが、これまで学んだことはありませんでした。

これから少しづつ参究して行こうと思います。

では!

あ、その後は新年会!こっちも楽しみであります!

ではでは!

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自分を捨てる快感(体操に燃える私)

2006年01月12日 | 思い・子どもたち
毎朝の全体朝礼では、日替わりで2種の体操を行う。

レパートリーは30種くらい。

内容は実にさまざま。

キャラクター系、二人組み系、アニメ系、古典系・・・etc。

中でも個人的には、マツケンから始まる、気志団、セーラームーン、ゴリエ、デカレンジャー等のメドレーが一番好きだ。ミーハーなんだな・・・

もちろん子どもたちにも大人気!

最近やらなくなったので、主任にどういうわけか聞いたら、ある保護者から歌詞の内容にクレームをつけられ自粛しているとのこと。

聞けば実に他愛もないことである。
歌詞の中の「お金持ちにな~れたらいいな~♪」(アニメのプリキュアかな?)というのが、マズイらしい。
お笑いの「まちゃまちゃ」ではないが「ハァ!?」って言いたいところだ。
お金持ちになったら何かまずい事があるのだろうか?

だがその保護者の言いたいことも、もちろん分かる。
ある意味、金銭至上主義を嫌う真っ直ぐなお母さんなんだろう。
それは私も共感するところだ。
しかし、ここはナーバスになるところではないと思うのである。
実に了見が狭い。
木を見て森を見ず。

主任には私が責任を持つので、メドレーを復活させるようにと言っておいた。


さて、私が7年前に朝礼に出るようになった当初は、この朝の体操が恥ずかしくてたまらなかった・・・。

だって、そうだろう。

大の男が、子ども向きの体操をするのに抵抗がないと言う方がおかしいと思う。

実感が湧かない人は、NHKの体操のお兄さんを想像してほしい。

あ~あ~恥ずかしいな~って思っているはずだから・・・(笑)

しかし、恥ずかしがってやっていると、これまた余計に恥ずかしくなってしまう。

それに、モジモジしている方が、主観的にも客観的にもよほどかっこ悪いのである。
実にみっともない。

しばらくして吹っ切れた。

こうなったら、

いかに楽しそうに体操するか。

いかに生き生きと踊るか。

誰よりも!

燃えてやる!

こうなると、朝の体操が快感に変わる。

つまらない自分のプライドが捨てられる。

子どもたちと一つになれる。

これは本当に気持ちいい。

私の楽しさが子どもたちに伝わり、
子どもたちの楽しさが私に伝わってくる。

歓びの輪が生まれるのだ!

だから私は朝の体操が好きだ!

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