一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

東明慧日禅師

2006年01月26日 | 禅・仏教
今日は、法要を中心に学ぶ宗侶有志の会で鎌倉散策に行ってまいりました。

私が日頃お世話になっているガイド役のご住職の案内で、鎌倉の旧道、いわゆる七つの切通しのうち、四つを歩いてまわるなど、得がたい体験をさせていただきました。
鎌倉時代往時の風景を想像しながら歩く鎌倉は、格別にロマンを掻き立たせられます。

初めに立ち寄った円覚寺では、塔頭寺院の白雲庵のご住職の案内で、特別に本堂に安置された東明慧日禅師坐像(写真:国重要文化財)を拝観させていただきました。

東明慧日禅師について
東明慧日は、中国曹洞宗宏智派の高僧。白雲山宝慶寺住職を経て(1309)に北条貞時の招請によって来日した。当時の鎌倉は臨済宗一色になっており、中国禅林のように各派の共存により活性化を図ることをねらっていた。時頼が道元禅師の招請に失敗したあと、貞時は東明慧日を招き、肥前国の善光寺、肥後国の寿勝寺を開いたあと、建長寺や円覚寺(第十世8年間)に住し、円覚寺内に塔頭(白雲庵)を構えた。後に白雲庵文壇を作り五山文学の拠点となった。東明の門弟の別源円旨は康永元年(1342)朝倉氏に招かれて越前に活動し、曹洞宗宏智派の隆盛が見られた。
(ガイド役ご住職作成のパンフレット引用)

宏智禅師の流れを汲む曹洞宗の東明慧日禅師が円覚寺(臨済宗円覚寺派本山)の住持になる。
とても感慨深いものを感じました。
時の執権貞時の命とは言え、宗派を超えた交流があったことにほっこりと心が和む思いがします。
来日当時、臨済宗一色だったであろう当時の鎌倉五山の状況をみて、この地に曹洞の禅風を興そう、という禅師の気概は否応なしに高まったことでしょう。

また本日は道元禅師の降誕の日、道元禅師鎌倉行化顕彰碑で一同、般若心経を挙げました。

鎌倉時代に思いを馳せた一日となりました。

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