一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

ついに2位…マナ識の肥大化に注意!唯識のすすめ

2006年01月07日 | 禅・仏教
読者のみなさまの応援のおかげで、哲学ブログランキング2位にランクインすることができました。
みなさまには、いつも拙い文章を読んでくださり、とても有り難く思います。
仏縁に深く感謝します。
本当に夢のようです。

なんと言っても、哲学ブログランキング1位には、私の敬愛する先生のブログがあるのです。

こんなに光栄で嬉しいことはありません。

同時にとても恐縮してしております。

さすがにランキングサイトの2位のところに、拙ブログ名を見たときには、あまりにも急激なランクアップに対する驚きの念と同時に、何とも複雑な思いがしました。

一つには、はたして、みなさんに評価していただけるだけの記事を書いているかという不安があります・・・。

また哲学ブログランキングなるものに登録しているものの、私の語っているのははたして本当に「哲学」なのかどうかという疑念・・・。

記事を振り返ってみても個人的な葛藤や、私的事柄、雑多な所感ばかりが目立つ。

肝心の禅、仏教や哲学についても、ど素人の浅学な知識の披露に過ぎません。

しかしながら、それでも、一介の住職兼園長の内面的な告白が、どこかで読者の方になんらかのプラスの影響力を与えることができれば、と願っております。

大それた願いであることは承知の上で申し上げれば、拙ブログによって、私とみなさんがともに自己成長を目指していく励みとなれば、こんなに嬉しいことはありません。

それこそ私の悲願とするところの、ブログ上の自利利他の行となります。

これからも、肩の力抜きつつ(つい熱くなり、力が入ってしまうのですが…)、真摯かつ誠実な記事をこころがけて参ります。もちろんユーモアを忘れずに!

2位という結果に対して、舞い上がらず、おごらず、謙虚に、平静に、自己を客観的に見つめるよう心がけます。

そう、マナ識の肥大化に注意しよう。

さて、マナ識の肥大化と言いましたが、マナ識とは「唯識」で用いられる言葉で、一言で言えば、(どうしても)自己に執着してしまう働きを持つ深層意識と言えると思います。肥大化と言いましたが、当然形がないものなので、有頂天になってしまいがちな自分に対して、あくまで比喩的に述べたものです。

では、唯識とは何か?

「唯識(ゆいしき)」(※1)とは、「倶舎論(くしゃろん)」と並んで、仏教の基礎学とされた、非常に優れた思想体系です。
また、「唯識」は「空・中観」の思想と並んで、インド大乗仏教思想の頂点とも言われます。
「唯識」について、これから、ブログでも少しづつ話題にしていこうと考えていますが、思想内容は現代語を借りれば、ズバリ「大乗仏教の深層心理学」と言うことができるでしょう。
ただ、現代の深層心理学と異なるのは、唯識が、禅定(瞑想)体験を経て綿密かつ徹底的に観察された深層心理学であると言う点です。
従って、それだけ人間の心に関する理論は、現代心理学の内容を含んで越えているということができます。
また何より大事なのは、唯識が、凡夫である人間を究極的には「覚り」の仏陀にまで導くことを目指した点でしょう。
仏教が覚りを目指す教えである限りは、当たり前と言えば当たり前ですが、ここに唯識と現代心理学とでは、ビジョンの深さと広がりに大きな隔たりがあるのです。

余談ですが、個人的に、唯識は私の性格にとてもあっているように思います。
それは学べば学ぶほど、冷静に自己の心の観察及び点検ができるようになるからです。
ベンジャミン・フランクリンが自己成長のために考案した十三徳樹立のような、自己の心のチェック機能としても相当有効です。
もちろん、ただ思想としての唯識を学ぶだけでは片手落ちです。
いつまでたっても自分のものとはなりません。
そこに、行、つまり坐禅(禅定)が伴わなければならない。

今年の私の目標は、道元禅師の正法眼蔵完読、唯識の学び、そして坐禅の習慣化です。(宗侶のくせに恥ずかしげもなく申しておりますが・・・

唯識については、岡野守也氏の「唯識のすすめ <NHKライブラリー>」をおすすめします。
大変分かりやすく、また唯識の現代的意義と広大なビジョンが明らかにされています。
仏教初学者の方、及び唯識の効能(心理療法としての可能性が大いに期待できる)をすみやかに実感されたい方は、同じく岡野守也氏の「わかる唯識<水書坊>」をお勧めします。 

読者のみなさん、これからも応援のほどよろしくお願い申し上げます。

※1 唯識…インド2~3世紀。マイトレーヤ(弥勒)、アサンガ(無着)、ヴァスヴァンドゥ(世親)によって体系的な教学がほぼ完成された。

ちなみに一般にも西遊記で知られる玄奘三蔵法師は、唯識のサンスクリット原典を学ぶためにインドに行ったのが第一動機であったそうです。

<追 記>

岡野守也氏の本日のネット授業では、ヴィッパサナー瞑想に対する見解と、坐禅と唯識の兼修の意義が述べられています。

関心のある方は下記にアクセスしてみてください。
<伝えたい!いのちの意味――岡野守也の公開授業+α

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