一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

法事用にラミネート加工した般若心経

2006年09月12日 | 禅・仏教
法事の際には、はじめに本尊上供(ご本尊さまへの挨拶)という回向をあげます(する・しない、また作法は山法によって異なります)。

このとき読むのが般若心経。

これまでは私(導師)だけが読経していましたが、檀家さんにも法要に参加する意識を持っていただこうと、今回ラミネート加工した檀信徒用の般若心経(A4判)を50部作りました。

苦労したのはA4判に収まった既製の般若心経がないので、経本を拡大コピーして切り貼りしてレイアウト・編集したこと。

出来上がりは思った以上にいい。

いい働きをしそうです。

従来頒布されている経本は綴り方が特殊なため、経本の持ち方、手繰り方を知らない在家の方は、パラパラと床に落とすことが多い・・・。

その点、A4ペラにラミネート加工した般若心経なら、ページをめくる手間もなく丈夫なので何度でも使えます。

実はこのアイデアはオリジナルではありません。

教区のR寺さんで使われているのを真似させていただきました。

さらにR寺さんでは、法事用に『修証義』の各章もラミネート加工されていました。

そちらも今後検討しようと思います。


さっそく昨日の法事で使用。

檀家さんも大きな声で般若心経を読経してくださいました。

法事が終わった後は、このラミネート版を使って、般若心経についての簡単な法話もしました。

少しでも檀家のみなさんにお経が身近なものになればと思います。

これから有意義に活用していきたいと思います。


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17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
acqua_cieloさんへ (りょう)
2006-09-19 20:10:25
ありがとうございます!

「聖霊」についての記事、楽しみにしています。

ですがどうぞ、ご無理はなさらずに、ご都合のつくときに。



確かに聖書は福音記者によって受ける印象が異なりますね。

でも、それがある意味、自然なんだと思います。

釈尊も、当時から人によって受け止め方が違ったんではないかと思いますし。

ちなみに岡野先生は、マルコによる福音書を著書の中でよく引用されていたように思います。

深く学んだわけではありませんが、印象としてマルコはわりと主観をいれずに淡々とイエスの活動を記述しているような感じがしました。



>「お経(福音書)は、仏(神)の言葉、釈尊(イエス)の教えを確信して編まれたもの」

つながりました



まさに、つながりましたね!

acqua_cieloさんの感性は素晴らしい!

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聖霊 (acqua_cielo)
2006-09-19 00:04:24
お題をありがとうございます。

「聖霊」を感じていただける文章になりますよう、聖霊の助けを願いながら書いてみます。



と、

これってすばらしい分かちあいだと思います。



> 般若経典、般若心経は、名も無きブッダ(仏)が、これこそが釈尊の教えであるという確信のもとで創作したお経



あー、このご説明はよくわかります。

共観福音書とまとめられる4つの福音書はイエスの言葉を福音記者が記したものですが、イエスが書き記したものではなくてもイエスの言葉が詰まっています。



「お経(福音書)は、仏(神)の言葉、釈尊(イエス)の教えを確信して編まれたもの」

つながりました
返信する
acqua_cieloさんへ (りょう)
2006-09-18 21:25:48
拙い解説を読んでださいまして、ありがとうございました。

さて、

>般若心経はそのまま、仏様の言葉を伝えられたものなのでしょうか。

とのことですが、そうでないとも、そうとも、言えます。

般若経典は厳密に言えば、紀元前後1世紀に成立した大乗仏教初期の頃のお経なので、実際の釈尊の言葉ではありません。

ですが、仏様というのを釈尊に限定しなければ、般若経典、般若心経は、名も無きブッダ(仏)が、これこそが釈尊の教えであるという確信のもとで創作したお経なので、そういう意味では仏様の言葉と言っても嘘にはならないでしょう。



>どこかやさしさと穏やかさを感じる、とのこと。

ご存知かもしれませんが、私たちに一般的に知られている般若心経の翻訳は、あの西遊記で知られている「玄奘三蔵法師」によるものです。

玄奘三蔵は中国の代表的な翻訳僧の一人です。

訳が素晴らしいせいもあるかもしれませんね。



ほかにも後世になって創作されたお経の中には、「維摩経」、「涅槃経」、「法華経」、「華厳経」、「浄土三部経」などがあり、日本仏教が依拠する大乗仏典が多くあります。



私の拙い解説にもかかわらず、意図を深く汲み取ってくださいました。

そうですね。

全宇宙はすべてひとつにつながっている・・・。すべての存在は支え、支えられて生きている。そう思うとき、孤独や絶望は和らいでいきますよね。

反対に自分と他者をバラバラの存在として捉えてしまうと、人間はどんどん孤独になる・・・。

あと、岡野先生の著作では『生きる自信の心理学 PHP新書』もお勧めです。



では、お言葉に甘えてリクエストします。

三位一体の「聖霊」の位置づけについて、思うところを記事にしていただければ幸甚です。



返信する
ありがとうございます! (acqua_cielo)
2006-09-17 02:37:12
般若心経はそのまま、仏様の言葉を伝えられたものなのでしょうか。どこかやさしさと穏やかさを感じるのです。



桜の喩え、よくわかりました。

私は満開の桜に見守られて生まれてきたもので、殊の外憧れる花です。



私たちは桜を美しいと愛でる感性を備わったけれど、今年のこの花をそのまま持ち続けようとするところが「空」の逆になるのでしょうね。散りゆくものをなんとか留めようとするから辛い。

人の命もそうですね。



私は一時悩みのうちにあり、疲れ切って消えてしまいたいと思ったこともありましたが、そんな自分でも全宇宙のつながりの中にあるのだと思うと、何か支えられているという安心感が生まれ、不思議に視野が広がります。

いいお話をいただきました、ありがとうございます。岡野先生の著作も拝読させていただきます。



ところでカトリックの教義のリクエスト(うひゃ)、私は普通の信者でカテキスタ(教義を教える資格者)ではありませんが、がんばってみます。なにかキーワードをいただけますか?
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acqua_cieloさんへ (りょう)
2006-09-16 22:55:32
こんばんは!

ん~困りましたね・・・(笑)

般若心経の解釈だけで、一冊の本ができてしまうくらいですから、コメントでどこまでお伝えできるか自信がありません。

それだけの力量が私にはないので・・・。

ですが、ご要望ですので少し私見を述べさせていただきます。



般若心経は、端的に言えば、「仏の智慧(覚り)の内容を、『空(くう)』という真理に基づいて説いた教え」と言っていいと思います。

さて、「空(くう)」ですが、これが難しい。



あえて言葉で説明すれば「空(くう)」とは、



・それ自体で存在するものはない(すべての存在は無限の関係性の中で生起・成立している)ということ。

・それ自身の固有の性質というものはない(関係性の中で性質は流動する)ということ。

・すべての存在はつながりあっていて全宇宙が一体であるということ。

・すべての存在は無常であるがゆえに変化をし続けるということ。



「空(くう)」の真理を言葉で表すと以上のようになります。

この「空」が仏の智慧、すなわち仏の覚りの内容だと言ってもいいでしょう。

この「空」を覚ったときに、人間は「仏」になり、あらゆる恐怖や苦悩から解き放たれる。二度と迷うことはありません。



わたしたち人間はなぜ苦しみ悩むのか?



実はこの、「空」という宇宙の真理と正反対の思考をし、正反対の行動をしてしまうからだと考えられます。



抽象的過ぎるかもしれませんね・・・。



では、acqua_cieloさんはお花がお好きなようですので、「桜」を例えにしてみましょう。



私たちは、暗黙裡に「桜」というそれ自体単独で存在できる樹木があると思ってしまう。

ですが、「桜」は大地がなければ根がつかず、適度な水量と、日照がなければ枯れてしまいます。また全体の絶妙な生態系の中でバランスを保ちながら生きているわけです。

また桜の花が美しい思うのは、人間の価値判断に過ぎないわけで、全宇宙の視点では「美しい・醜い」ということはない。桜の花が、散ってしまうとわれわれは名残惜しく思いますが、桜にとっては、散ってこそ、生命のサイクルが果たせるわけです。

この「桜」の変わりに、「私」とかさまざまな事物を入れても条件は異なりますが、同じことがいえると思います。



お経中に印象的なフレーズ、「色即是空」という言葉がありますね。



この言葉を私流に解釈してみましょう。



この宇宙のあらゆる存在は、現象として(表面上の)区別はできるけれど、本質的な違いはない。

私とあなた、全人類、全生物、全存在、全宇宙一杯が元々ひとつながりで一体なんだよ、ということを言っているんだと思います。



この真理を全身心、全宇宙一杯に体得することが「覚り」なんだと思います。



拙い私見を述べました。



般若心経については、さまざまな優れた解説本が出ていますね。最近では文学者の新井満氏や生命学者の柳澤桂子さんが訳したりして、話題を集めてもいますが、、、

私としては、『よくわかる般若心経 岡野守也<PHP文庫>¥571』を強くお勧めします。

手を替え品を替え、優れた比喩で分かりやすく「空」の教えが説かれています。岡野先生は、私の先生でもありますが、著者の文章は、つねに真摯で誠実です。もちろんユーモアもあります。



今度機会があればacqua_cieloさんのブログでぜひカトリックの教義について、紹介してください。





返信する
般若心経 (acqua_cielo)
2006-09-16 11:00:54
ご住職にお願いがございます...

私も般若心経が心に響くのですが、この解釈がどうも難しく知りたいと思っています。



私たちカトリックでは聖書がありますが、これも行間を読むものと言われるほどに、その都度感じる物が違ったりします。お経もそのときにより響く物が違うのではないかと思うわけです。

特に私は文章を理解するために、その場面を頭の中で描くという作業が必要なもので、人より少々時間がかかります。



そこで、もし差し障りなければ、ご住職の感じるところを少し、お分けいただけないかという事なのですが...

もしくはこのblog内で該当の場所があればお教えください
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風月さんへ (りょう)
2006-09-15 21:28:28
風月さん、ご助言ありがとうございます!



ラミネーターはお寺の什物です。

一台あるとかなり便利ですよ。



配布するのは、いいアイデアですね。

ただ、檀家さんに複写したものを配布するとなると、経本の発行元の著作権の問題とか発生しそうですが、どうなんでしょう・・・



確かにA4サイズだとルビが小さいので、B4拡大版も検討しようと思います。



それにしても般若心経は、短い中にも大乗仏教のエッセンスが詰まった優れたお経ですよね。



一生参究するに値すると思います。



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acqua_cieloさんへ (りょう)
2006-09-15 21:18:40
なるほど、カトリックのお祈りの言葉は、1960年まではラテン語で、後にそれぞれの母国語に訳されたということですね。

で、そのときの文語体の訳が口語体に改められつつあると・・・。



そう、愛宮神父でしたね。聞いたことがあります。曹洞の原田祖岳門下であったということ。おそらくは、きわめて厳しい禅修行をされたんではないかと思います。原田老師は、死者が出るほど厳しく指導したと聞いておりますから・・・。



>ピラミッドを上から見れば四角、横から見たら三角、でも同じピラミッドであるということだと思います。

とのこと。

おぉ!まさに言いえて妙ですね。

素晴らしいたとえです!使わせてください(笑)

禅の道はあまりにも深く、まだ入り口にもたどり着いてないような私ですが・・・よかったらこれからもいらしてください♪
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Unknown (風月)
2006-09-15 12:29:25
般若心経は私もいつも法事で皆さんと誦していますが、そのラミネート版というのはお寺の付囑物ですか。



印刷したのを配りますと、皆さんの法事用ハンドバッグや鞄にいつも入っていたりして、お家でもお唱えして下さいね、などと般若心経を広められると思うのですが。



りょうさんのお寺用の般若心経の一枚を印刷するなんていう案はいかがですか。例えば、先師の菩提のための印施とか。



ただ願わくは年寄り用(自分で実感していますが)に字を大きく(お経本ぐらい)して頂けると嬉しいのですが。



お節介のお勧めを書いてみました。
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ご丁寧に(^^) (acqua_cielo)
2006-09-14 21:36:29
ありがとうごさいます<訂正

カトリックは決まった祈り(というか例文)があるので、言葉の豊かさはプロテスタントの方には敵いません(笑)



1960年代初めに開催された第二ヴァチカン公会議以後は、祈りは母国語に訳されましたがそれまではラテン語で唱えていたそうです。

日本語はヨーロッパの言語でしか表現できないものを無理に訳したようなところがあり、それが信仰の足かせになってしまうこともあったようですが、このとき用いられたのが文語体です。そして2000年の「主の祈り」を皮切りに、伝統的な祈りが次々に口語訳されてきました。



そうそう、禅道場を開いたのは愛宮(えのみや)神父です。私の家からは車で1時間少々かかる秋川に道場がありますね。

http://yutaka901.fc2web.com/page9r01be.html



>霊性において本質的な違いはないと考えています。



私もそう思います。ラクダとカラスの話じゃありませんが、ピラミッドを上から見れば四角、横から見たら三角、でも同じピラミッドであるということだと思います。



これから少し、禅のお話も知って行きたいと思っています、よろしくです
返信する
訂正 (りょう)
2006-09-14 14:22:36
>acqua_cieloさん

うっかりしてました・・・

玉川の小宮路先生は、カトリックではなくプロテスタントの誤りです。

『歩いてゆこう』という児童歌の作曲家でもあります。

音楽で人を元気にする伝道師です。
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法慧さんへ (りょう)
2006-09-13 22:03:26
こんばんは。お久しぶりです。

実はこれ、すべて私の手作りなんですよ。

ラミネーターという機械と、ラミネートフィルムがあれば比較的簡単にできます。

ラミネーターはピンキリですが、安いもので10000円以内で購入できます。私の使っているのは7000円くらいです。ラミネートフィルムも市販されているものを使っています。

般若心経の原稿は、大きな声では言えませんが・・・タ○キという出版元から出している携帯用修証義を、拡大コピーしたり、切ったり貼ったりしてA4サイズに編集しました。

よかったらお試しください。
返信する
イッツカーへ (りょう)
2006-09-13 21:55:26
オォ!そういえばその道のプロだったね!

しかしスキャナとやらはあったと思うが使い方が分からない・・・。それをデータで送るとなるとなお分からん・・・。終わってるね。

何かのときは頼むよ。

うちにも写真送られてきたよ~。目元とかタコオショウそっくりだね!これからの成長が楽しみだよ。

つ~か、相変わらずイッツカーは毒舌だね(笑)

大丈夫だよ!頭皮は奥さんの方の受け継ぐかもしれないじゃん。って、男の価値は髪じゃないよ(笑)
返信する
acqua_cieloさんへ (りょう)
2006-09-13 21:43:04
acqua_cieloさん、こんばんは。

再訪問ありがとうございます!

最近では私の身近でも、お経というよりも、法要の際に読む香語(故人へのはなむけの言葉)ですが、口語で読まれることが多くなってきました。私も漢詩を作るのが苦手なこともあり、口語体の香語を作って読んでいます。とはいえ、格調が失われないように気をつけていますが・・・

なるほど、カトリックの世界もそうなんですね。。。普通お祈りの言葉?はラテン語で読まれるんでしょうか・・・。

>私の実家は曹洞宗の檀家です。

とのこと。

曹洞宗にご縁がおありなんですね。

すでに、このブログを読んでご存知かと思いますが、私は永平寺で3年間修行して、現在曹洞宗寺院の住職をしています。

般若心経は私も好きなお経です。

永平寺の朝課も捨てがたいですが、グレゴリオ聖歌もいいですね(笑)



>ちなみに、神父なのに禅を組むイタリア人の友人がいます。

とのこと。

禅はヨーロッパのキリスト教系の方たちに関心を集めていると聞きます。宗教を越えて共感するものがあるのでしょう。

>日本に帰化して、禅道場を創った宣教師もありました。

とのこと。

そのお話は聞いたことがあります。その方の名前は忘れてしまいましたが、そうとう深い禅の境涯であられたと聞きました。

>道元禅師とアシジのフランチェスコの比較を卒論

私は良寛和尚とアシジの聖フランチェスコの比較研究をした本なら持っています。とても興味深いですね。



さて実は私もキリスト教世界には少なからずご縁があります。

まず私が師事している岡野守也先生は牧師です。

また幼稚園を運営しているので、ミッション系の幼稚園の牧師の園長先生と懇意にしています。

あと、私が敬愛する玉川大学の小宮路敏先生は、敬虔なカトリックです。

ん、プロテスタント系ばかりですね・・・

ですが、私の学生時代の愛読書は聖アウグスティヌスの『告白』や、マイスター・エックハルトの説教集です。



私は他宗教間が説いていることは、霊性において本質的な違いはないと考えています。

教えの表面上の違いは地域性や時代性による表現の違いに過ぎないと思うのです。

ですから、うちの神様が正しくて、あちらの宗教の神はダメだ、嘘だとか言って他の神を誹謗したり、異教徒は救われない、地獄に落ちるなどと否定するのではなく、他宗教間をクロスオーバーして、すべての教えに共通する普遍的な霊性を抽出して合意する作業が、今後の宗教界において何よりも必要になるのだと思います。



長々と私見を披瀝したことをお許しください。

これからもよかったらお越しくださいませ。
返信する
真似 (法慧)
2006-09-12 18:10:59
お久しぶりです。

ラミネート加工の心経、真似させてください。

業者や価格、納期等もお教えいただければありがたいです。
返信する
お経 (イッツカー)
2006-09-12 08:59:33
拡大コピーして切り貼りとは原始的だね(笑)

ムーのとこにスキャナとかある?メールでデータくれればいくらでも加工してあげるよ。一応その道のプロだからね。何かあったらメールでもちょーだい。

昨日タコオショウから赤ちゃんの写真がきたんだ。タコオショウ似なのかなぁ。目が爬虫類っぽくて子供の頃のタコオショウの面影があるよ。将来ハゲるのかと思ったら涙が出てきた。

ハゲにもめげぬ強い子に育って欲しいものだ。

赤ちゃんに幸あれ!
返信する
再びお邪魔します♪ (acqua_cielo)
2006-09-11 22:28:06
お寺さんもいろいろ工夫をされているのですね。最近は口語のお経が多くなって、よりわかりやすくなったのですがお坊さまはいかがでしょうか。私が集うカトリックも、伝統的な祈りが次々に口語に訳されていますが、個人的には文語の韻が心地よく思ったりします。



私の実家は曹洞宗の檀家です。曹洞宗というとお経が長いらしいのですが、私はわからないまでも般若心経のリズムが子供の頃から好きでした。永平寺で聴いたお経は感動しまして、CDを購入してしまいました。



ちなみに、神父なのに禅を組むイタリア人の友人がいます。日本に帰化して、禅道場を創った宣教師もありました。

駒澤大学で修士を修めたそうですが、道元禅師とアシジのフランチェスコの比較を卒論にしたそうです。かの地では坐禅に関心が深くなっているそうですが、坐禅の姿勢はどなたの目にも美しいものなのですね。

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