一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

H19年度 入檀式

2007年04月29日 | 思い・お寺の活動
今日は毎年恒例の入檀式。

本年は五軒の入檀があった。


般若心経読誦。

独自の差定(式次第)に従って略式の授戒作法(仏戒を授ける)を行う。

その後、法話。


この入檀式は、入檀者に当寺の檀家として、そして何より仏教徒としての自覚を持たせるという狙いで行っている。

なぜなら、ほとんどの入檀者は墓所を求めるために、寺の檀家になる人がほとんどだからである。

つまり端的に言えばまず「墓ありき」で、寺は後である。

キリスト教徒と異なり仏教徒の場合、信仰の道に入りたいから入檀したいというような人は皆無に近い。
彼らはあくまで、遺骨を供養する場としての墓所を、寺に求めているに過ぎない。とは言え、これは、日本人の一般的傾向なので批判するつもりはないのだが・・・

だがそれにしても、いまどき、公共・民間の霊園が巷に溢れているにも関わらず、わざわざ菩提寺との付き合いの煩わしさを覚悟しながら、檀家になることを選ぶのはなぜか。

それは彼らの心のどこかに、お寺に対して墓所オンリーとしての役割だけではなく、さらに+α の役割を期待する気持ちがあるからだと思う。

私としては、これから少しでもその+α のところに食い込んでいきたいと思っている。

その+α とは、やはり「心」、各人のメンタリティの部分に違いない。

ともあれ、こうした入檀式が入檀者の自覚を高める上で、どこまで功を奏しているかは分からない。

だが、少なくとも手続きだけ済まして「はい、今日から檀家です」というやり方よりは、いくらか仏教徒としての、檀家としての意識を高められるのではないだろうか。

さて、檀家が増えることは寺にとっても有り難いことだが、過疎化が進んでいる地方寺院の現状を考えれば、手放しで喜ぶことはとてもできない。

また当寺においてさえ、周辺地域の人口がいくらか増加傾向にあるとはいえ、周辺では霊園の進出が目覚しく、菩提寺との付き合いを面倒とする現代人たちは、比較的安価で求められる霊園墓所に流れる傾向が顕著である。

その背景にはほかにも種々の要因が考えられるだろう。

菩提寺の求心力の低下、家制度(家観念)の崩壊、個人主義の台頭、遺骨観の変化、既成仏教寺院への不信など・・・。

ともかく、既成仏教の将来的展望は決して楽観視できるものではない。

だが私はそれでもまだ既成仏教寺院にできることはあると考えている。

それは何もイベントごとといった、真新しいことに飛びつくことではない。

まずは足元から、暁天坐禅、坐禅会、写経会、各行事をしっかりと勤めていくことも大事なことだろう。

時代や現代人の表面的な要請にいたずらにおもねることなく、振り回されることもなく、しかし、適当な落とし所も模索しつつ、何より少しでも人々の実存的な要求に応えていけるような寺院活動を目指したい。

なんとしてでもこの寺の法灯を次代に憂いがないように繋がなければならないのだ。

それがすなわち、お釈迦さまに、道元禅師に、祖師方に、歴代住職に、報恩するということにほかならない。

それが私の使命。


※↓一日ワンクリックして応援してください!
  みなさんのワンクリックがランキングに反映されて励みになります!

にほんブログ村 哲学ブログへ