飛鳥への旅

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万葉アルバム(奈良):桜井、長谷寺

2010年05月10日 | 万葉アルバム(奈良)

こもりくの 泊瀬(はつせ)の山は 色づきぬ
しぐれの雨は 降りにけらしも
   =巻8-1593 大伴坂上郎女=


 こもりくの泊瀬の山は色づいた。時雨の雨が降ったのだろう。という意味。

大伴坂上郎女が、竹田の庄で作った歌。竹田の庄は、坂上郎女が現在の奈良県橿原市東竹田町に所有していた田荘で、かなたに望む泊瀬の山が紅葉しているのを見て、「泊瀬では、きっと時雨が降ったのだろう」と思いをめぐらせている。時雨の雨を予測することは田荘の農作業に大切であり、この田荘を所有している大伴坂上郎女の気配りでもあるようだ。

この歌碑は長谷寺納経堂前にある。犬養孝先生の揮毫。
隠国(こもりく)は、初瀬(泊瀬・はつせ)にかかる枕詞で、奥深い山間に隠れた地のことで、万葉の時代も歌に詠まれていた。
こもりくの初瀬の地には長谷寺があり、「初瀬寺・泊瀬寺・豊山寺」とも呼ばれてきた。長谷寺は真言宗豊山派の総本山。朱鳥元年(686)、道明上人が天武天皇のために千仏多宝仏塔を安置されたのが始まり。その後、神亀4年(727)に徳道上人は聖武天皇の勅願により、本堂に本尊の十一面観音菩薩をお祀りして依頼、全国の観音信仰の聖地になった。平安時代の王族・貴族からも「長谷詣で」といわれて手厚い信仰を受けていた。

 長谷寺はまた一名「花の御寺」と呼ばれ四季折々花々で彩られるので名高い。桜・ボタン・シャクナゲ・秋の紅葉・・・などなど。

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