赤駒を 山野(やまぬ)に放(はが)し 捕(と)りかにて
多摩の横山 徒歩(かし)ゆか遣(や)らむ
=巻20-4417 武蔵の国の防人の妻=
乗っていくはずの赤駒が山野に逃げてしまってつかまえられないから、夫は多摩の横山を歩いて越えなければならないのだろうか。という意味。
防人として遠く九州に旅立つ夫を気遣った歌である。山野=やまぬ といった方言が使われている。
府中市の郷土の森博物館の一角に歌碑がある。歌碑のあたりからかすかに多摩の横山(多摩丘陵)が望めるようだ。
武蔵の防人らはまず武蔵の国府だった府中の地に集合し、多摩川を渡り、目の前に横たわる多摩の横山を越え、さらに足柄を越えて、難波まで歩いて行ったと考えられている。便利な現代では考えられない苦しい生還の困難な旅であった。
今は赤駒ならぬサラブレッドがここ府中の近くにある競馬場(東京競馬場)で疾走している。万葉の赤駒の地に現代によみがえる駒の姿が重なる。
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