それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

肉じゃがとお酒

2011-07-27 20:58:10 | 日記
肉じゃがは男性の好きな家庭料理の第一ではない、とタモリが言っていた。

僕もそう思う。

昔から僕は肉じゃがが好きではなかった。

ところがイギリス生活2年目、しばしば肉じゃがを作る。

ふと食べたくなる肉じゃが。



ただ、僕の肉じゃがは少し変則的。

材料は、まず鶏肉とベーコン。牛肉でも豚肉でもない。

鶏肉はたっぷり。ドラムスティックと呼ばれる骨つきの部位がいい。

ベーコンは少し。

ジャガイモはきれいに洗って出来るだけ皮を残し、かなり大きめに切る。そして、たっぷり入れる。

あとは、ニンジン、玉ねぎ、長ネギ、マッシュルーム(仕方ない)。野菜は多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。



まず肉、ニンジン、玉ねぎ、長ネギを煮る。

水は具材が全部かぶるか、かぶらないかのギリギリの量で(野菜から出る水を計算)。

それを火にかけ、十分出汁を出す。

十分に出汁が出たところで、ジャガイモとマッシュルームを投入。

美味しいスープを思いっきり吸わせる。

ジャガイモが煮えたところで、ハチミツ、塩、醤油、ナンプラーの順で調味料を入れる。

さらによく煮て、火を止めたあと一度落ち着かせる。



僕は肉じゃがをご飯とは食べない。

ジャガイモが主食。添えるならカリッと焼いたパン。



ひと通り肉じゃがを食べたあとで飲むのが、最近ハマっているお酒。

2年目に入ってから、ほとんどお酒は飲んでいなかったが(誘われたときだけ)、つい先日晩酌をした。

パイナップルジュースにホワイト・ラムを少し混ぜ、氷を入れる。それだけ。

(いつかココナッツミルクも用意して、ピニャコラーダっぽくしてみたいけど、美味しいのだろうか?)

飲みやすくて、一気に回る。

好きな音楽、好きな料理、好きなお酒。

これで辛い論文執筆に向けてもう一度エネルギーを蓄える私。

なんでバッハなんだろう:サカナクション新曲評

2011-07-25 17:57:03 | コラム的な何か


サカナクションがMステに出演したしたそうだ。

「バッハの旋律を夜に聴いたせいです」という恐るべき題名の本作は、バッハの名に恥じないクオリティの高い楽曲であった。


バッハの楽曲がグルーヴィであったように、この楽曲のグルーヴィさには恐れ入る。PVでは一郎くんの(予想外の)華麗なステップが展開されているが、実際、体が自然に動いてしまいそうだ。

またインストのレベルが相変わらず凄い。一番、二番、・・・と曲が展開していくにつれて色とりどりの音色が出てくる。それが絶妙であるとともに、彼の意匠の深さが感じられる。

実際、これまでも多くのロックバンドがテクノの要素を楽曲に取り入れてきたが、ここまでのレベルに達したのはサカナクション以外には見当たらない(もちろん、スーパーカーやくるりがテクノを取り入れた時代と音色がずいぶん変わったという時代制約性はあるだろうけれども)。


コーラスも相変わらずうまく構成されている。合唱のようなコーラスはお得意のものだが、無機質な感じと人間臭さがうまい配合になっている。

「無機質さと人間臭さの絶妙な配合」が、このサカナクションの特徴の中核だと私個人は思う。センチメンタルすぎず、それでいて無感情ではない。


またサカナクションのメロディに関しては毎回思うのだが、「ポップなようでポップじゃない、でもキャッチー」である。コードの色は濃いようでいてそれほど濃くない。しかし耳に付いて離れない。

おそらく、彼らの楽曲のメロディの最大のポイントは、テクノのリズムに合っている節回しなのではないかと思う。

これまでのテクノを取り入れたロックバンドと最も異なるのは、最初からメロディがそのアレンジに合っているという点だ。彼らの楽曲を他のかたちで演奏するということは非常に想像しにくい。もちろん、リミックスと云うことがあり得るにしても、アンプラグドとかは考えにくい。


Jポップのレベルは毎年どんどん上がっていると思うが、こうした尖っていて、しかもクオリティのずば抜けた曲が堂々とMステで演奏されるということが素晴らしい。


正直、「なんでバッハ?」という気持ちはある(もちろん、他のクラシックの作曲家の名前は歌詞に向かいかもしれないが)。

バッハの楽曲を聴いてこういうセンチメンタルな歌詞になるのは、やはり普通の人ではないなと思う。

大抵、逆に落ち着くんじゃないかと思う。

バッハを聴いてこれだったら、夜、マーラーとかショスタコーヴィチとかを聴いたら、鬱になって死んじゃうんじゃないかという危惧がある。

あと、途中に出てくるピアノのフレーズが全くバッハっぽくなくて(いや、確かにバッハの曲のなかにもこういうフレーズはあったかもしれないが)、むしろ古典派っぽいと思ったのは私だけではないだろう。


(現在、私は論文執筆中。)

ノルウェーのテロについて

2011-07-24 10:18:47 | 日記
CNNがノルウェーのテロを報道したとき、真っ先に出てきたのがイスラーム過激派の犯行可能性だった。

報道されているようにノルウェーの人たちの多くもそう考えたかもしれない。

だが、おそらく多くの人が感じたように、イスラーム過激派がノルウェーを狙う意味は限りなく少なかった。

CNNで聞いた衝撃的的な意見が、「風刺画問題はデンマークでしたが、デンマーク、ノルウェー、フィンランドは一緒に見られがちですからね。」

バカか!!!!

そんな馬鹿げた類推は一夜のうちに吹っ飛んで、結局、極右勢力による犯行可能性が高まっている。

確かにアメリカはたびたび外部からテロリストが乗り込んできてテロを起こされているが、世界中の事件を見れば、国産テロリストによるテロ事件の方がおそらく多いだろう。

テロ時代の代表的テロとして、世界中の色々な本で取り上げらて来たのがオウム真理教によるサリン事件だ。

日本人はこれを日本の出来事として見るが(もちろんそれは正しい)、外国から見るとこれはテロ時代の一事件に数えられる。

言うまでもなく、これも国産テロリストによる犯行だった。

アメリカの炭疽菌事件もそうだった。

またテロの老舗といえば北アイルランドの過激派であって、これもイギリス帝国内部の話である。



テロは基本的に観客を必要とする。

誰かに見てもらって、彼らに恐怖してもらうことがテロの最大の目的である。

見てもらい相手とは誰か?

それは好きだけど振り向いてもらえない相手。

片思いの相手。

つまり想定される観客に対して特殊な思い入れが必要だ。

もしそうではなくて、殺す相手に意味があるとすれば、それはテロというよりは暗殺である(例えばビン・ラディンの殺害とか)。

だから外国を狙うというのは実際問題かなり特殊である。

北朝鮮が韓国を狙うとか事実上の戦争状態にある場合は別だが、外国を狙う相当重要な象徴的な意味が無いと外国は狙わない。

だから、我々が本当に注意深く観察すべきなのは、他者ではなく自己だということだ。

イスラーム=テロという安直なレッテルはもう捨てて、自己を見直す必要がある。

サーモンの酢味噌焼き

2011-07-21 19:40:45 | 日記
脂の乗ったサーモンを買ったので、それを酢味噌に漬けておいた。

それをさっきグリルで焼いて、久し振りの和食ご飯(と言いながら、副菜は中華スープ)。

酢味噌は、味噌、米酢、醤油。これを混ぜ合わせてサーモンに塗って寝かす。

味噌を取らずに、そのままグリルへ。

サーモンのコクのある味とさっぱりした酢味噌がぴったり。焼いてあるので酢も気にならない。

あとでネットで調べると、酢味噌を付けて焼くという調理法は色々な人がやっている様子。

これは定着しそう。

チョコレート事件

2011-07-19 19:14:23 | イギリス生活事件簿
最近、Tさんがいらっしゃいまして、それで一緒に夕飯を食べました。

その日はちょうど朝に大量にローストチキンを作っていたから、ローストチキンと生トマトのパスタを作ったのです。

「よし、これで完成♪」

と盛り付けた瞬間、それを見ながらTさんが一言。

「チョコレート食べていいですか?」

(゜д゜;)「え!?・・・・・・いいですよ。」と僕は答えたわけですが、

しかし、まさかの『チョコレート食べていいですか?』(笑)

ご飯前!

女の子(小さい)か!

僕がもし彼女だったら、「駄目だよ!!せっかくご飯今作ったんだから!!」とキレますよ。

そんな強烈に甘くて脂肪分の強いやつ食べたら、一時的に舌がバカになるじゃん!

生トマトの風味とか、ローストチキンの旨味とか、絶対分からなくなるじゃん!

でもその場合、Tさんはそれも計算しておいて、

「ウソだよ♪」と言いながら(彼女のおでこに)チュッなどという展開もあったかもしれません。

甘ーーーい!(チョコだけに)

ただ僕と彼は友人なので(ふたりともゲイではない)、それが無かったというだけで。

まさか・・・、もしあそこで僕が怒っていたら・・・?Tさん!?

そういう意味では、チョコをOKして良かったですね。