それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

ノルウェーのテロについて

2011-07-24 10:18:47 | 日記
CNNがノルウェーのテロを報道したとき、真っ先に出てきたのがイスラーム過激派の犯行可能性だった。

報道されているようにノルウェーの人たちの多くもそう考えたかもしれない。

だが、おそらく多くの人が感じたように、イスラーム過激派がノルウェーを狙う意味は限りなく少なかった。

CNNで聞いた衝撃的的な意見が、「風刺画問題はデンマークでしたが、デンマーク、ノルウェー、フィンランドは一緒に見られがちですからね。」

バカか!!!!

そんな馬鹿げた類推は一夜のうちに吹っ飛んで、結局、極右勢力による犯行可能性が高まっている。

確かにアメリカはたびたび外部からテロリストが乗り込んできてテロを起こされているが、世界中の事件を見れば、国産テロリストによるテロ事件の方がおそらく多いだろう。

テロ時代の代表的テロとして、世界中の色々な本で取り上げらて来たのがオウム真理教によるサリン事件だ。

日本人はこれを日本の出来事として見るが(もちろんそれは正しい)、外国から見るとこれはテロ時代の一事件に数えられる。

言うまでもなく、これも国産テロリストによる犯行だった。

アメリカの炭疽菌事件もそうだった。

またテロの老舗といえば北アイルランドの過激派であって、これもイギリス帝国内部の話である。



テロは基本的に観客を必要とする。

誰かに見てもらって、彼らに恐怖してもらうことがテロの最大の目的である。

見てもらい相手とは誰か?

それは好きだけど振り向いてもらえない相手。

片思いの相手。

つまり想定される観客に対して特殊な思い入れが必要だ。

もしそうではなくて、殺す相手に意味があるとすれば、それはテロというよりは暗殺である(例えばビン・ラディンの殺害とか)。

だから外国を狙うというのは実際問題かなり特殊である。

北朝鮮が韓国を狙うとか事実上の戦争状態にある場合は別だが、外国を狙う相当重要な象徴的な意味が無いと外国は狙わない。

だから、我々が本当に注意深く観察すべきなのは、他者ではなく自己だということだ。

イスラーム=テロという安直なレッテルはもう捨てて、自己を見直す必要がある。