それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

田渕ひさ子が凄すぎる:ベース・ボール・ベアーを完全掌握するギター

2016-09-25 16:52:25 | テレビとラジオ

祭りのあと2016


 バンドでも室内楽のアンサンブルでもそうだが、楽器の間の関係は完全に平等ではない。

 バンドのリズム、グルーブを決めるのは、最も説得力のある演奏ができるメンバーである。



 おそらく、こんなことを言っても意味が分からないと思うので、リンクしたライブ映像をよく聴いてみてほしい。

 リード・ギターを弾いているのは、元ナンバーガールの田渕ひさ子。とにかく迫力のある力強い演奏で有名なギタリストだ。

 彼女の弾くリフに注目してみてほしい。そして、ベースの音と比べてみてほしい。

 ベースはかなり入り込んで演奏している。しかし、曲全体のグルーブから見ると、音が少し軽く乗っていることに気が付くはずだ。

 例えば、本来ベースが8分音符を連打する場合、それぞれの♪の強さは異なる。そして、コンマ数秒の違いによって、グルーブを強めることになる。

 しかし、ここでのベースは、8分音符が少し走っていて、音も軽くなっているのが分かるだろう。

 実際のところは、田渕ひさ子が弾くギターのリフが曲のグルーブを作っている。

 ドラムとベースのリズムセクションが曲全体を軽くしそうになるところを、田渕のギターがそれを引き留めている。

 元ギターの湯浅がいた時は、湯浅は他のメンバーが作るグルーブに乗っかっていた。

 リード・ギターなのだからそれでいいのだ。

祭りのあと2015


 2015年の演奏と比べてみると、よく分かるだろう。

 2016年のライブでは、田渕ひさ子のギターのレベルがあまりにも高いため、逆のことが起きてしまっている。

 繰り返しになって申し訳ないが、田渕のギターが実質的なグルーブを決定しているのだ。リード・ギターであるにも関わらず。



 どうしてこういうことになかというと、最初のテーゼに戻るが、バンドというのは最も説得力のある演奏ができるメンバーによってリズムが決まるからである。

 「説得力」というのは、音の重さ、大きさ、さらには気持ちの良さなど、様々な要素で構成されている。

 グルーブは演奏家ひとりひとりのなかにあるが、実はそれぞれに優劣があることも少なくない。

 説得力は必ずしも音の数で決まるわけでもない。

 例えば、マイルス・デイビスはモードジャズに移行してから、どんどん音数が減っていき、最終的に最小限の音でバンドのグルーブをコントロールしていた。

 だから、結局のところ、演奏のレベルの違いということになってしまう。

 久しぶりに楽器の上手さ、ということについて考えさせられる恐ろしい映像だった。

NHK『SONGSスペシャル「宇多田ヒカル』:宇多田の6年間、僕の6年間

2016-09-25 09:58:16 | テレビとラジオ
 宇多田ヒカルは僕の一歳上だ。僕の世代はあえて括れば、宇多田ヒカル世代であり、これからもずっと宇多田ヒカルのことを考えながら生きなければならない軛を負っている。

 ここでは、宇多田がSONGSのインタビューのなかで語ったデビューから活動再開までの軌跡と、僕個人の軌跡を勝手に重ねて振り返る。

 すごく私的でどうでもいいことだろうが、しかし、同じような世代にとっては「何か」に触れるものだと思う。



 宇多田のFirst Loveの発表は1999年で、僕は高校に入ったばかりだった。最初はまったく何も思わなかったが、いつの間にか日本の音楽はブラックミュージック中心に変化し、その数年後には、ギターロックまでもブラックミュージックに寄っていくのである。

 以前、このブログにも書いたが、宇多田の楽曲のグルーブの作り方は、それまでのJPOPがやりたくても出来なかったもので、日本のヒップホップの登場と合わせて、JPOPのリズムそのものを大変革してしまった(詳しくは以前書いたので割愛)。

 そういう時代の大変革を体験しつつも、僕個人は宇多田の歌詞の世界にあまりしっくりきていなかった(楽曲は好きだったし、歌詞のあまりの見事さもある程度理解してはいたが)。

 それは楽曲の歌詞が自分のリアリティとずれていたということと、宇多田のキャラクターである「背伸びした女の子」(今回のSONGSで彼女が語ったように)が非常に苦手だったということが理由だった。



 その宇多田ヒカルが活動を休止した時、僕は勝手に納得したと同時に、どこかで安堵していた。

 関係ない一般人である私にとっても、宇多田がどんどん消耗していくのを見るのは非常に辛かった。

 楽曲の世界は前にも増して暗くなっていたし、楽曲の構造も過度に複雑化していた。

 どういうわけか、自分も研究者としてのキャリアをスタートさせながら、(主観的には)混乱の一途をたどっていた時期が、宇多田の活動休止直前と重なる。

 宇多田の活動休止は2010年で、その時、僕はイギリスにいた。日本での限界に直面し、イギリスに留学したのである。

 宇多田が人間として自分を作り直し、今回のSONGSで「遅れてきた青春」と呼んだものを体験しているとき、僕もまた「遅れてきた青春」を経験していた。

 宇多田と同じように自分も20代後半に入り、自分を成長させ、置いてきた「何か」をやり直す最後のチャンスだと思ったのは、偶然の一致だろうか?

 いや、恐らく偶然ではない。20代後半から30代前半にかけて、現代人の多くが第二の青春と呼ばれるものを体験する傾向にある。

 それは現実からの逃避ではなく、むしろ現実との戦い、あるいは現実との宥和の試みである。

 「もう少しだけ、自分を作り直したい。人間として生きる力をつけたい。」という思いを実現したり、あるいは諦めたり。それはどちらでもいい。ただ、それを終える儀式をしたいのだ。



 宇多田はその間に再婚し、母を失い、子どもを産み、人間としての大きな変化を体験した。

 そして、およそ6年間の活動休止を経て、再度活動を再開する。

 SONGSでのインタビューによれば、その過程のなかで、自分の人格を形成した多くの体験(しかも、完全に忘却する宿命にある体験)を思い出したのである。

 要するに、幼少期の記憶を子育てのなかで疑似的に「思い出した」わけである。

 そこで彼女は、おそらく色々な自分と宥和したのだろう。

 その宥和の過程が今回のアルバムの世界につながっている。

 彼女が語る言葉、歌詞は、インタビューのとおり、等身大の彼女であり、裸の彼女である。

 朝ドラの歌を聴いたとき、僕は初めて宇多田の歌詞に共感めいたもの感じていた。その理由がSONGSのインタビューでようやく分かった気がしている。

 そこにはもう「背伸びした女の子」も「傷ついて消耗した女性」もおらず、等身大でそれなりに成長した自分と向き合っている宇多田ヒカルがいる。

 だから、その世界観が僕にぴったりと寄り添ってくる。



 ところで彼女が活動を休止した6年間は、必然的に6年間でなければならなかったわけだが、どういうわけか、僕にとっても同じだった。

 僕はイギリスでの留学を終えた後、日本に戻って結婚し、大学で駆け出しの教員生活をはじめたが、すぐ東京にひとりで引っ越し、まだ自分を作り直していた。

 友達をつくったり、街を散策したり、最初から勉強しなおしたりしていた。

 30代に突入すると、体や心も大きく変化する。それは良い方向ではなく、悪い方向での変化で、僕はそれにしばらく苦しむことになる。

 自分を作り直しながら、変化している自分と折り合いをつけていく。

 妻によれば、東京で僕は大きく変化したらしい。

 はじめて自分らしい居場所を見つけ、自分なりの研究スタイルを完成させつつあった。

 そして、その終わり際、単著を完成させ、いよいよ本格的に大学教員として活動をはじめることになる。

 奇しくも宇多田が活動を再開したタイミングとほとんど同じだった。



 宇多田がSONGSに出演するとなった時、不思議な気持ちになった。彼女が語る言葉をどうしても聞きたい、と。

 それはファンとして聞きたいのでも、野次馬的に聞きたいのでもなく、ただひとりの同じ世代の人間として「君の6年間、どうだった?」と聞きたかったのだ。

 インタビューは、デビューしてからのことから、活動休止、さらに再開までのことに及んだ。

 彼女の人間としての軌跡がかなり赤裸々に語られ(離婚のことは触れられなかったが)、今回のアルバムの背景を余すところなく、映し出した(ように見えた)。

 これからも彼女は惑い続けるだろう。

 僕もまたそうなる。

 それぞれの体験や文脈は永久に交わらないだろうが、それでも同じ時代を生きていることに変わりはない。

 その時々で彼女が紡ぎだす言葉や音楽を僕はこれからも見続けるだろう。

 今そうしているように。