それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

友人Kと

2010-10-24 02:20:31 | 日記
昨日は学部時代からの友人と昼食。

謎のうどん屋さんに行く。

メニューなし。鍋やきのみ。

そこのお店の魅力は、鍋やきの優しい味わいと、白髪のママさんの人柄。

江戸っ子みたいな気風の良さと、フランクさ。

多くのお客さんが虜になってるようです。



その後、これまた謎の喫茶店へ。オーストリアの首都の名を冠しているだけあって、そのお店の
売りは音楽。

衝撃なのは、その10人ばかりお客さん誰一人、話をしない。音楽を堪能しているのです。

というか、文字通り「恍惚」の表情すら浮かべています。

店内には大きくて高級なスピーカーが4つ。

交響曲がひたすら流れています。その日は3曲ほど聴いたのだけど、名前が分かったのは、シベリウスの二番のみ。お恥ずかしいかぎりですが・・・。

しかし、本当に音響が良くてびっくり!地下にあるそのお店は音響の具合も色々工夫されているのであります。

ただし弱点も。まず飲み物がまずい。どういうわけか、まずい。工夫とかいらないから、もっとチープなものでいいから、もうちょっと味を向上させてくれ、絶対できると僕は言いたいです。

次にトイレが汲み取り式。まさかの!しかし友人と僕との結論は、トイレがこのシステムであるのは、おそらく音響のためだろうということ(笑)

そこでは喫煙OKなのですが、おそらく「タバコも大人の嗜み」という具合なのであります。



夜は後輩を何人か呼んで、盛大にあんこう鍋パーティ。

友人と厳選した材料とお酒は、若い人たちの胃袋に吸い込まれて行きましたとさ。

僕たち年をとったものたちの楽しみは、若い人たちの話を聞くことであり、聞いてもらうこと。

みんな、とても大人で年齢差を感じさせないたち振る舞い、ありがたいです。

にもかかわらず、僕は友人の陰謀で泥酔させられ、暴走。大暴走したらしい。本当に断片的にしか覚えていない。

キーワードをもらい即興でピアノとともにR&Bを歌うという酔っぱらいのひどい芸を披露した後は、フリースタイルでラップ(はぁ?そんなこと、一度もやったこと無いし)。

さらに恋愛談議では、恋愛における権力や洗脳を議論。続いて、友人と恐るべきスピードでの恋愛に関するディベート(社会科学を長年やってきたもののみが可能な、ありえない理論展開)。

後輩たちは大爆笑していたのだけど、僕はおそらく激しく生き恥をさらしていたと思います。「またぜひイギリスに帰る前に飲みましょう」と言われたけど、同じようなことを期待されているとしたら、それはいけません。これ以上、生き恥をさらしては・・・。