それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

女性、シンボル、買い物

2010-10-09 19:35:19 | 日記
クリスはすぐに10ポンド返しにきたのだが、彼女との時間を過ごすために買物には行かず。

僕としては買い物には行っても行かなくても良かったし、学会用に懸命にペーパーを書いていたので、そのことはすでに忘れていた。

ペーパーをついに書き終わり(!)、というか直し終わり(!)、ぐったりしてしばらく横になっていた。

ものを書くとき、自分で思っているよりも自分をすり減らしていくのか、書くこと以外ほとんどしないで、気付いたら一日終わっている。

そして、日に日に体調が悪くなっていく(笑)

一人暮らしの強みは、おそるべき集中である。しかし、それは若干無理しているのだろうか?

そんなこんなで夕方になったところで、ジャニンが部屋に来た。

「ねえ、今日買い物行かない?」

僕は体調が悪くて動く気にならなかったが、ジャニンはまだここに来て間もなく、買い物にもバスで行くには心細い(あるいは本当に知らない)のだな、と察し、一緒に行くことにした。

道すがら話していると、「クリスが今日買い物連れてってくれるって言ってたから、一日待ってたんだ」と言っていた。

僕は「彼女が来てるから仕方ないね」と返したが、おそらくクリス自身、本当に買い物には行く気だったのだろうと思う。

しかし、男というものは、彼女の気持ち次第で予定も捻じ曲げるのである。

僕は彼の気持ちも分かるので、仕方ないとは思うのだが、ジャニンにとってはおそらく死活問題だったらしく、ちょっとイラッとしていなくもない様子だった。

彼女の英語はさすが「国際英語」と言うだけあって明瞭だが、何より素晴らしいのが、僕のひどい発音を一度ですぐに聞きとることだ。ありがたい。




彼女と歩いていると、僕は例によって、「帝国と女性」という問題を考えてしまうのである。

ずっと前に書いたが、アジアの女性がイギリス帝国の男性によって、しばしば「誘惑するもの」「救い出すべき存在」として描かれていた。

パーティで溶け込めない有色人男性の集団と、白人男性が近づいていくアジアの女性。そういう構図を僕が目の当たりにした時のちょっとしたショックの話。

今日はその逆で、有色人男性にとっての白人女性の意味について考えていた。

有色人の男性は、黒人と白人が混ざった国では、白人の女性と関係を持つことで処罰されるという法律がしばしば存在していた。

今はもうそういうこともおおっぴらには無いのだ。

ただ僕のなかには、というか、社会のなかには、白人で金髪で青い目の女性(それはまさにジャニン)に対して付与されている何らかの「意味」が、まだあるのではないかと思うときがある。

今日のバスの運転手さん(黒人男性)の、ジャニンに対する恐縮したような様子に僕は一瞬驚いてしまったと同時に、そのことがどうしても帝国の問題を僕に思い起こさせずにはいなかったのである。

人種と女性に存在するヒエラルヒー。

有色人種にとって「白人で金髪の女性」というシンボル。

東欧の研究者によれば、中・小国それぞれでどの民族の女性と結婚するとステータスが高くなる、というのがあるそうだ。

シンボル化される「女性」。

社会的に構築されていく、民族=女性のヒエラルヒー。




これを書いている今、クリスが「買い物に行くけど、なんかいる?」と部屋に来た。

おそいわッ!とジャニンは思っただろうが、クリスは確かに筋を通したと思う(笑)