二 権力を動かす力
本書第二章の「おわりに」において、ゴールドマン・サックスの華麗な人脈を紹介しているので、それと重複しない形でゴールドマン・サックスが英米の権力機構に送り込んだエリートたちを列挙したい。
財務長官ガイトナー(Timothy Geitner)の首席補佐官(Chief of Staff)、マーク・パターソン(Mark Patterson)。国務長官ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)の経済顧問(Economic Adviser)、ロバート・ホーマツ(Robert Hormats)。CFTC(商品先物取引委員会=Commodity Futures Trading Commission)議長(Chairman)、ガリー・ゲンスラー(Gary Gensler)。ブッシュ政権下の経済・実業・農業担当国務次官(Under Secretary for Economic, Business, and Agricultural Affairs)、ロイビン・ジェフリー(Rueben Jeffery)。NYSE(ニューヨーク証券取引所=New York Stock Exchange)元CEOのジョン・タイン(John Thain)、現CEOのダンカン・ニーダーアウワー(Duncan Niederauer)。SEC是正勧告部門主任(chief operating officer of the SEC's enforcement division)、アダム・ストーク(Adam Storch)。ゴールドマン・サックスが雇っているロビイストのマイケル・ペーズ(Michael Paese)は米下院金融委員会議長(Chariman of the House Financial Services Committee)のバーニー・フランク(Baney Frank)のスタッフとして働いている。
こうした人脈は英国にも強力な根を張っている。政界入りする前にシティにおけるゴールドマン・サックスで働いていた大物として以下の人がある。
英大蔵大臣(Chancellor)、ダーリング(Alistair Darling)。彼の右腕のイングランド銀行総裁(Governor of the Bank of England)、キング(Mervyn King)。ロンドン証券取引所(London Stock Exchange)CEO、ザビエル・ロレット(Xavier Rolet)。FSA(英金融サービス機構=Financial Services Authority)COE、ヘクター・ハンツ(Hector Sants)(4)。
ゴールドマン・サックスのチーフ・エコノミストのガビン・デービス(Gavyn Davies)の妻は、ゴードン・ブラウン(Gordon Brown)首相の特別顧問であるスー・ナイ(Sue Nye)である。デービスは、ブレアー(Tony Blair)政権下でBBCの会長を務めた。デービスのあとのゴールドマン・サックスのチーフ・エコノミスト、デビッド・ウォルトン(David Walton)は、イングランド銀行の金融政策委員会(Monetary Policy Committee)に席を得ている。二〇一二年の夏期ロンドン・オリンピック運営委員会(London Olympic Games Organising Committee)を牛耳るポール・ダイトン(Paul Daighton)もゴールドマン・サックスで活躍していた人である。
まさに、ゴールドマン・サックスとはガバメント・サックス(Government Sachs)である(Arlidge[2009])。こうした政治権力への人脈形成が、他行より有利に営業できる条件をゴールドマン・サックスが得ているであろうと、推測することは間違いではないだろう。
二〇〇八年、ノーザン・ロック(Northern Rock)を売却するに当たって、ブラウン首相はアドバイザーにゴールドマン・サックスを起用した。
先述のコラムニストのソーキンは、『大き過ぎて潰せない』という著作を出している(Sorkin[2009b])。ソーキンによれば、ゴールドマン・サックスは政界に送り込んだ元自行幹部をあらゆる機会を通じて利用しているという。リーマン破綻後のブッシュ政権の対投資銀行政策を探るべく、会長のブランクファインが当時の財務長官ポールソンに接触した。二〇〇八年六月、ロシアにおいてのゴルバチョフ(Mikhail Gorbchev)との夕食会であった。ポールソンは、政界入りしてからは、ゴールドマン・サックス行員とは接触しないことを公言していたので、ゴールドマン・サックス幹部たちは、米国内で公然とポールソンから情報をとることができなかった。ところが、ゴールドマン・サックスの理事たちがモスクワでゴルバチョフと会食をしていたときに、ポールソンは偶然を装ってその席に立ち寄った。おそらくは仕組まれた田舎芝居であったのだろう。その席で、ゴールドマン・サックスの幹部たちは、ポールソンにベア・スターンズのように投資銀行の破綻があるのか否か、それは救済されるのか否かの質問をした。彼らは、リーマン破綻放置の可能性をそこで知り得た可能性がある。あるいは、リーマンを潰す相談をしたのかも知れない。
その二、三か月後、AIG救済問題が浮上した。電話記録によれば、ポールソンは六日間で二四回もブランクファインに電話している。そして、実際にAIGは救済され、ゴールドマン・サックスは上記のように、AIGへの投資額のほとんどを公的資金によって回収できたのである(Sorkin[2009b])。
あらゆる金融取引がゴールドマン・サックスを結節点として進行している。重要な情報も政治家を通じてゴールドマン・サックスの幹部に入ってくる。インサイダー取引とはいわないまでも、正確で豊富な情報が、ゴールドマン・サックスの地位を不動のものにしているのである。
しかし、ゴールドマン・サックスはつねにその貪欲さのゆえに人々の憤怒の標的にされている。カネに耽溺することを英語で"addiction"というが、なんと、ゴールドマン・サックス・インターナショナルCEOでロンドン・オフィス代表のマイケル・S・シャーウッド. (Michael S. Sherwood)が誇らしげにこの言葉を出した。シャーウッドは、「カネへの耽溺」を恥とするのではなく、人を駆り立てる熱情という意味で使っている。本書「はしがき」でも述べたように、彼は豪華ヨットの帆走を楽しむのではなく、ただ何台も所有したことを誇示するためにだけ次々と豪華ヨットを買い換えた。
彼のカネへの耽溺ぶりは、二〇〇九年一一月にも示された。彼は、この月、ストックオプション(自社株購入権)行使と株式売却によって九七〇万ドルの利益を得た。ゴールドマン・サックスの発表によれば、シャーウッドは二〇〇九年一一月一三~一九日の五営業日で、一〇万八一二五株についてストックオプションを行使した。彼は、ゴールドマン株を八二・八七五ドルないし九一・六一ドルと、二〇〇九年一一月の株価の約半分の水準で購入し、その後、一七四・〇三~一七八・〇五ドルの価格レンジで売却することができた。ゴールドマン・サックスは、二〇〇九年一~九月期に過去最高益を計上し、株価は年初来で二倍余りに上昇していた。シャーウッドによる株式売却は、米国など各国の監督当局が幹部報酬を企業の業績に連動させる報酬制度を検討する中で実施されたのである(http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=a05ENxzFHiC0)。
シャーウッドには、不評がつきまとう。にもかかわらず、その強引なカネ儲けによって、ゴールドマン・サックスは彼をCEOとして遇しているのである。
二〇〇六年六月、BAA(英国空港会社=British Airports Authority Ltd.)がスペインのインフラ会社、フェロビアル(Ferrovial)率いる買収コンソーシアムに一〇三億ポンドで買収された。フェロビアルは、他のインフラ・ファンドと同様に、安定した収入が見込まれる空港を格好の投資物件と考えて、レバレッジで余剰資金が溢れていた信用市場の絶頂期にBAAを買収したのである。しかし、未曾有の世界経済の低迷による航空需要の大幅減少で、この目論見が狂うと同時に信用市場の崩壊で資金調達(負債の借り換え)にゆき詰まり、再度売却先を探している(http://www.japan.phocuswright.com/.)。
買収の攻防戦で、BAA側は、ゴールドマン・サックスのロンドン・オフィスに防衛を依頼した。しかし、シャーウッドは、防衛するどころか、自らBAA買収に乗り出し、英国人の顰蹙を買ったのである。あわてて、米国の本社からポールソン会長がロンドン・オフィスを叱り飛ばす文書を出したという経緯がある。シャーウッドは結局、買収戦から手を引き、BAAはスペイン側に買収されてしまった(Arlidge[2009])。
ゴールドマン・サックスのロンドン・オフィスは、二〇〇六年、インドの鉄鋼王、ラクシミ・ミタル(Lakshmi Mittal)によるヨーロッパの鉄鋼会社、アルセロール(Arcelor)買収に荷担した。敵対的買収額は一七〇億ポンドであった。これもヨーロッパ人による憤激の対象になった。
高額報酬への批判に対しても、シャーウッドは、英国国教会の権威に頼って、防衛している。英国で著名なグリフィス卿(Lord Brian Griffiths)による弁護がそれである。グリフィスは、一九八五~一九九〇年のマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)の経済顧問、イングランド銀行理事、敬虔なクリスチャンとして、英国国教会大司教(Archbishop of Canterbury)のランバス・ファンド(Lambeth Fund)の委託者である。そのグリフィスが二〇〇九年一〇月、セント・ポール寺院(St Paul's Cathedral)で、高額のボーナスを出さねば、有能な金融マンたちはスイスやアジアに逃げてしまうであろうとシャーウッドを露骨に防衛したのである(Arlidge[2009])。
危機の最中の二〇〇八年でも、総帥のブランクファインは一〇〇万ドルのボーナスをせしめた。高級住宅街セントラル・パーク・ウェスト(Central Park West)に三〇〇〇万ドルのアパートを所有し、ニューヨークのエリートたちの行楽地であるハンプトンズ(Hamptons)に六五〇〇平方フィートの屋敷を構えている。まさに、カネが成功の証なのである。
こうした貪欲さが、米英を超えて、いまや中国に入り込もうとしている。これが、米中融合時代であり、オバマ時代である。