さて、堂島米会所問題に戻ろう。
幕末の幕府、諸藩の財政窮乏化がまず会所崩壊の原因があった。この会所を利用して、担保となる米がないにもかかわらず、諸藩は過米切手、空米切手を呼ばれる融通手形を過剰に発行していた。これが全国に出回り、経済は大混乱に陥ってしまった。米価格は大暴騰していた。会所はもはや先物市場も価格付け機能も喪失していた。幕末の金融システムを破壊したものこそ、先物取引の堂島会所だったのである(酒井・鹿野[2000])。
明治新政府は、堂島周辺に蝟集していた諸藩の大名蔵屋敷を没収した。当時の堂島は大名を最大の顧客にしていた。大名の没落が会所を没落させたのであり、しごく、当然の歴史の成り行きであった。けっして繁栄する民衆の力を弾圧するために、明治新政府が会所を廃止したのではなかった。
明治政府は、明治四年、大阪に米会所を復活させた。しかし、新政府は、商品会所よりも株式取引所を渋沢栄一に調査させ、明治二年に「株式取引所条例」を発布したが、結局は明治一一年に株式取引所が東京と大阪に開設された。ただし、幕末の金融混乱の強烈な記憶から先物切手の取引は許可されなかった。
そして、昭和の戦後、周知の食糧難である。このような異常時には主食も米は統制下に置かれた。さもなくば、貧乏人は米を食べることはできなかったであろう。私などは米穀通帳をもって一九六〇年に京都に下宿した次第である。私などは、そのことによって権力に怒りをもつよりも、米を食べることができたことに感謝したほどである。一九九五年には阪神淡路大震災の直撃を受けた。コープをはじめ、神戸の商店は物資を無料に近い価格で大量に供給してくれた。このような異常時にデリバティブなどを放任すれば私たちには生活必需品は回ってこなかったであろうと断言できる。当時、市場は閉鎖状態にあった。民衆はそれに感謝こそすれ、怒りなどは覚えなかった(本山[1996])。
少なくとも日本を代表する良識派のNHKならば、幕末・明治維新の説明ぐらいは、日本史の知識に乏しい新古典派の領袖にご進講してほしかった。
追い打ちをかけるようで申し訳ないが、マートン・ミラーの政治感覚のなさにも唖然とする。
一九九八年一一月、マートン・ミラーは、北京の清華大学で講演し、次のように発言した
「東南アジア諸国は、まず通貨局を設立し、本国の通貨を日本園とリンクさせれば、東アジアが実現しようとする通貨連盟はスタートラインにつくことができる」(http://www.bjreview.cn/JP/04-16/16-zhongyao-l.htm)。
よくぞ、中国でこのような発言をしたものである。そもそも日中関係の険悪さを知っていないし、かつての円圏の記憶に中国人は覚えているとの感覚もない。しかも通貨局云々である。通貨局とは「カレンシー・ボード」(Currency Board)のことである。カレンシー・ボードとは、ハード・カレンシー(強国の通貨)を一〇〇%準備とし、その外貨額に応じて国内通貨を発行する機能を担うものである。それは、中央銀行の廃止を意味する。通貨局をもっているのは、英国の植民地であった香港であった。通貨局を設立して日本円にリンクしろとは、中国を日本に従属させることである。通貨発行権は日本のみにあることになるからである。
よくもこんなに恐ろしいことをシレーと言えたものである。支配・従属の歴史認識はおろか、通貨に関する認識ももっていないからこそ、言えたのであろう。この程度の人に世界の金融が掻き回されてきた。
幕末の幕府、諸藩の財政窮乏化がまず会所崩壊の原因があった。この会所を利用して、担保となる米がないにもかかわらず、諸藩は過米切手、空米切手を呼ばれる融通手形を過剰に発行していた。これが全国に出回り、経済は大混乱に陥ってしまった。米価格は大暴騰していた。会所はもはや先物市場も価格付け機能も喪失していた。幕末の金融システムを破壊したものこそ、先物取引の堂島会所だったのである(酒井・鹿野[2000])。
明治新政府は、堂島周辺に蝟集していた諸藩の大名蔵屋敷を没収した。当時の堂島は大名を最大の顧客にしていた。大名の没落が会所を没落させたのであり、しごく、当然の歴史の成り行きであった。けっして繁栄する民衆の力を弾圧するために、明治新政府が会所を廃止したのではなかった。
明治政府は、明治四年、大阪に米会所を復活させた。しかし、新政府は、商品会所よりも株式取引所を渋沢栄一に調査させ、明治二年に「株式取引所条例」を発布したが、結局は明治一一年に株式取引所が東京と大阪に開設された。ただし、幕末の金融混乱の強烈な記憶から先物切手の取引は許可されなかった。
そして、昭和の戦後、周知の食糧難である。このような異常時には主食も米は統制下に置かれた。さもなくば、貧乏人は米を食べることはできなかったであろう。私などは米穀通帳をもって一九六〇年に京都に下宿した次第である。私などは、そのことによって権力に怒りをもつよりも、米を食べることができたことに感謝したほどである。一九九五年には阪神淡路大震災の直撃を受けた。コープをはじめ、神戸の商店は物資を無料に近い価格で大量に供給してくれた。このような異常時にデリバティブなどを放任すれば私たちには生活必需品は回ってこなかったであろうと断言できる。当時、市場は閉鎖状態にあった。民衆はそれに感謝こそすれ、怒りなどは覚えなかった(本山[1996])。
少なくとも日本を代表する良識派のNHKならば、幕末・明治維新の説明ぐらいは、日本史の知識に乏しい新古典派の領袖にご進講してほしかった。
追い打ちをかけるようで申し訳ないが、マートン・ミラーの政治感覚のなさにも唖然とする。
一九九八年一一月、マートン・ミラーは、北京の清華大学で講演し、次のように発言した
「東南アジア諸国は、まず通貨局を設立し、本国の通貨を日本園とリンクさせれば、東アジアが実現しようとする通貨連盟はスタートラインにつくことができる」(http://www.bjreview.cn/JP/04-16/16-zhongyao-l.htm)。
よくぞ、中国でこのような発言をしたものである。そもそも日中関係の険悪さを知っていないし、かつての円圏の記憶に中国人は覚えているとの感覚もない。しかも通貨局云々である。通貨局とは「カレンシー・ボード」(Currency Board)のことである。カレンシー・ボードとは、ハード・カレンシー(強国の通貨)を一〇〇%準備とし、その外貨額に応じて国内通貨を発行する機能を担うものである。それは、中央銀行の廃止を意味する。通貨局をもっているのは、英国の植民地であった香港であった。通貨局を設立して日本円にリンクしろとは、中国を日本に従属させることである。通貨発行権は日本のみにあることになるからである。
よくもこんなに恐ろしいことをシレーと言えたものである。支配・従属の歴史認識はおろか、通貨に関する認識ももっていないからこそ、言えたのであろう。この程度の人に世界の金融が掻き回されてきた。