消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.158 サフラとアメックス

2007-09-08 00:58:43 | 金融の倫理(福井日記)


 一九八〇年代、エドモンド・サフラは、アメックス(American Express)のマーチャント・バンキング担当重役をも務めていた。社長のサンフォード・ワイル(Sanford Weill)とは、強力なコンビであった。

  あまり、議論の対象にされていないが、現在の米国にはグラス・スティーガル法(Glass Steagall Act=The Banking Act of 1933)はなくなっていて、証券と銀行との垣根はとっくになくなっている。ロバート・ルービン(Robert Edward Rubin, 1938~)が財務長官時代に成立させた「金融近代化法」(Graham-Leach-Bliley Act=Financial Modernization Act of 1999)にグラス・スティーガルが取って代わったからである。一九九九年のことである。その意味で、シティグループは、投資会社そのものであるといってよい。このグラス・スティーガル法が制定されたのは、一九三三年であるが、ワイルはこの年に生まれた。その彼が、グラス・スティーガル法の廃止を梃子に、世界最大の金融コングロマリットのシティグループ(Citigroup)を作り上げたのである。

 ワイルは、一九七〇年に投資ブローカーのヘイデン・ストーン(Hayden Stone,Inc.)、七四年にシェアソン・ハミル(Sheason Hammill & Co.)、七六年フォークナー・ドーキンズ・サリバン(Faulner Dawkins Sullivan) とラムソン・ブラザーズ(Lamson Brothers)を買収した。

 不思議なことに、ユダヤ人社会では名門中の名門、しかも、世界ユダヤ人会議会長のエドガー・ブロンフィマン(Edgar Bronfman)一族の経営になるウォール街の老舗、レーブ・ローズ・ホーンブロワー(Loeb Rhoades Hornblower)を七九年に買収したことである。一九七九年のことである。無名のユダヤ人が、世界のユダヤ人のまとめ役である長老の経営する、栄光の老舗をなんの反対もなく買収できたこと、無名の彼に豊富な資金を融通したのは誰なのかと広瀬隆氏は問い、フランスのロスチャイルド財閥の投資銀行のラザール・フレール(LazardFreres)を創業した一族の末裔で、ウォール街を支配した、マイケル・デビッド・ワイル(Michael David Weill)がいたがが、もしかしたら、ワイルはこの一族につながっているのではないか、したがって、豊富な資金の出所はロスチャイルドではないかと推測されているが、十分、頷けることである。それほどワイルの買収は積極果敢なものであった(広瀬隆[2002]、八三ページ)。

 買収したレーブ・ローズ・ホーンブロワーとそれまでに買収した金融組織を併せて、その名をシェアソン・レーブ・ローズ(Sheason Loeb Rhoades)とした。この組織は、メリル・リンチ(Merrill Lynch)に次ぐ全米第二の投資銀行となった。
 一九八一年に、シェアソン・レーブ・ローズは、投資銀行、つまり、証券会社なのに、純然たる商業銀行のボストン・カンパニー(Boston Company)を買収した。本来、この買収は、グラス・スティーガル法に抵触するので違法であった。しかし、時のSEC委員長、ジョン・シャド(John Shad)はこれを黙認した。自らも、委員長に就任する前までは、投資銀行、E・F・ハットン(E. F. Hutton)を経営していたからである(広瀬隆、同、八四~八五ページ)。

 ワイルは、シェアソン・レーブ・ローズごと、アメックスの傘下に入った。一九八一年のことである。アメックスに買収されたという形を取ったが、一九八三年には、吸収されたはずのシェアソン側のワイルがアメックス社長になった。

 そして、それこそ、名門中の名門、クーン・レーブ(Kuhn Loeb)を一九八四年に買収してしまう。快挙というよりも大変なことである。クーン・レーブには、日露戦争時、日本の国債を買うことに貢献したジェイコブ・ヘンリー・シフ(Jacob Henry Schiff, 1847~1920)がいた。オットー・カーン(Otto Kahn)、ポール・ウォーバーグ(Paul Warberg、FRBの生みの親))など伝説上の人物が経営していたユダヤ人の金融機関である。ワイルに買収されたときには、クーン・レーブも合併を繰り返していて、リーマン・ブラザーズ・クーン・レーブ(Lehman Brothers, Kuhn Loeb Inc.)となっていた。これをワイルは三・六億ドルで買収したのである。そして、自らは、シェアソン・リーマン・ブラザーズ(Sheason Lehman Brothers)に改名した。なんと、老舗のクーン・レーブの名を落としてしまったのである。

 この大型買収劇で活躍したのが、サフラであった。彼は、自ら経営していた貿易開発銀行を、一九八三年にアメックスに売却したのである。その縁で彼は、マーチャント・バンカー担当重役として、アメックス経営陣の一角を占めることになった。そして、ワイルとコンビを組んで、リーマン・ブラザーズ・クーン・レーブ買収に関わったのである(同、二九三ページ)。

 アメックスは、もともとは、トラベラーズ・チェックとクレジット・カードを扱っていた旅行金融・カード会社であった。当時のジム・ロビンソン(Jim Robinson)会長が、アメックスも銀行業に進出しようとして、買収相手を探していた。その点、サフラのジュネーブにおける個人銀行、貿易開発銀行(TDB)は格好の対象であった。TDBが、富裕な顧客を多数抱えていたからである。買収は成立し、サフラはアメックスの筆頭株主になった。

 サフラの先祖は、一四九二年のスペインにおけるユダヤ人追放によって、レバノンに移住した人である。ユダヤ人としての分を超えないサフラと対照的に、ロビンソン会長は万事に派手で、二人の性格は正反対であったという。結局、サフラはアメックス株を売却して、アメックスを去り、TDBよりも規模の大きい、サフラ・リパブリックを一九八八年に設立するのである。

 それまでは、マスコミを騒がしていなかったサフラが、この頃から執拗な反ユダヤ人キャンペーンの標的になった。いわく、サフラは、CIAと組んで、イラン・コントラに関わった。いわく、サフラは南米の麻薬取引のマネーロンダリングに便宜を図っている。サフラは、こうしたゴシップの震源地を探り、それがアメックスであることを突き止めて刑事告発をした。ロビンソン会長は八億ドルの和解金で示談とするが、結局は、株主訴訟を起こされて会長を解任されたのである(村上龍編集『Japan Mail Media』(JMM)、第165回「野蛮な来訪者」;http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report1_1072.html)。
 上記の経緯は、Burrough, Bryan[1992]による。

 そして、一九九九年、HSBCによる買収劇が展開されているさなか、ふたたび、サフラは、マネー・ロンダリングの渦中に放り込まれることになった。

 
サフラらのリパブリック・ナショナル・ニューヨーク銀行がその舞台となっていたとされたのである。新生ロシアの誕生を支援するために、米国からロシアに経済援助や銀行融資として巨額の資金が流れた。これが、ロシアの政治家や財界人たちに着服され、ルーブル危機を回避するために、米国に逆流し、不正な金だとは分からないように操作されているのではないかという疑惑が発生した。

 不正を疑われたのは、サフラのリパブリック銀行と、ニューヨークの老舗銀行、ニューヨーク銀行(Bank of New York)であった。この銀行は、一七八四年という古い時期に設立されたものである。

 米国司法省がこれらの銀行の調査に入り、ニューヨーク銀行に不正な口座を発見した。その額は、一〇〇億ドルを超し、ロシアの国家財政の半分に匹敵すると言われていた。サフラの銀行もこの取引に関わっているという疑惑をかけられて。しかし、調査はうやむやになり、両行の対ロシア取引が禁止されただけのことであった。

 サフラはともかく、ニューヨーク銀行はかぎりなく黒に近かった。まず、ロシアで銀行や石油会社をもつ「メナテプ」(Menatep)を経営するカガロフスキー(Konstantin Kagalovsky)の妻を行員として雇い入れ、夫の会社の金をタックスヘブンに移転させる役目を妻が担っていた。しかも、カガロフスキーは、一九九二年から九五年まで、IMFのロシア代表を務めていたのである。マネーロンダリングされたうちには、IMF分が二億ドルあったとされている。

 また、ロシアに「ベネックス」(Benex International)という会社がある。マフィアを支配するサムヨン・モギレビッチ(Semion Mogilevitch)資金を運用していると囁かれていたいわくつきの会社であった(Los Angeles Times, September 3, 1999)。その役員の一人であるベルリン(Peter Berlin)の妻もニューヨーク銀行は雇った。一〇〇億ドルの疑惑額の半分近くに当たる四二億ドルがニューヨーク銀行経由でタックスヘイブンに送られた。 

 西側の銀行が、ロシアと取引するさいに、スイスの銀行を通すことが多い。スイスこそ、秘密口座が命綱だからである。しかし、ニューヨーク銀行に関しては、スイスの金融当局は米国司法省の捜査に協力的であった。

 
一九九七年からナチスによるユダヤ人資産没収にスイスの銀行が協力していたのではないかとの疑惑が取り沙汰されたことが大きな影響をスイスの銀行に与えたのであろう。スイスの金融当局は、五九もの口座が捜査が済むまで凍結した(田中宇「ロシアとアメリカ:『冷戦後』の終わり」、1999年9月8日;http://tanakanews.com/990908russia.htm)。

 しかし、どうしたのか、この事件も封殺されてしまった(広瀬隆[2002]、二九五ページ)。

 引用文献

Burrough, Bryan[1992], Vendetta: American Express and the Smearing of Edmond Safra, Harper  Collins.
広瀬隆[2002]、『世界金融戦争─謀略うずまくウォール街』NHK出版。


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1 コメント

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お久しぶりです (ほうつき)
2007-09-08 01:32:26
本山先生お久しぶりです!
元ゼミ生のほうつきです。覚えてらっしゃいますか?

先日実家に配送された同窓会会報をながめていて、先生のブログの存在を知りました。
いまは福井にいらっしゃるそうで、ますます研究に精をだされているとか。いやはや先生の衰えを知らない知的好奇心に、感服です。

私は東京で教育のベンチャーを立ち上げ、まる二年がたちました。卒業論文のテーマとしたeラーニングがいよいよ形になり始めています。

先生に、自分の挑戦をご報告にあがれるまであともう少し!お会いできるのを楽しみにしております。



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