四 中国に地歩を築いたゴールドマン・サックス
本書第四章第五節注(9)でも若干触れたが、ゴールドマン・サックスと関係の深い中国側の投資家に方風雷(Fang Fenglei)という人がいる。後述するが、ゴールドマン・サックスの中国における証券部門である高盛高華証券(Goldman Sachs Gao Hua Securities Co.)の会長である。河南省政府役人になり、州政府が所有する企業の経営を任されていたが、一九九五年に中国最初の投資銀行、CICC(中国国際金融有限公司=China International Capital Corporation Limited )創設に加わった。当時の中国建設銀行(China Construction Bank)トップの王岐山(Wang Qishan)に抜擢されてのことであった。CICC総裁(President)には、当時総理であった朱熔基(Zhu Rong Ji)の息子朱雲来(Zhu Yunlai)が就き、方は副総裁になった。方は二〇〇〇年までCICCで働いた。チャイナ・テレコム(中国電信=China Telecom Corporation Limited)のニューヨーク株式市場、香港株式市場への上場に寄与。その他、、チャイナ・ユニコム(中国聯合通信有限公司=China Unicom Limited)、ペトロ・チャイナ(中国石油天然気集団公司=China National Petroleum Corporation)、シノペック(中国石油天然気集団公司=China National Petroleum Corporation)などの大型国有企業の海外株式市場上場に貢献している(ttp://blog.livedoor.jp/okane_koneta/archives/51256644.html)。
CICCは中国建設銀行とモルガン・スタンレーとの合弁であった。モルガン・スタンレーは、三四%を出資していた。しかし、方は次第にゴールドマン・サックスと組むようになった。
そして、二〇〇四年にゴールドマン・サックスとの合弁投資銀行である高盛高華証券が設立された。ゴールドマン・サックスが一億ドルを出資したものである。さらにゴールドマン・サックスは、〇七年、中国最初のプライベート・エクウィティ・ファンドの厚朴基金(Hope Fund)をも創設した。これは、六〇億人民元(七.九億ドル)の規模で、〇七年六月に成立した中国のパートナーシップ法(共同経営企業法)に則るものであった。ゴールドマン・サックスはこのファンドに三億ドルを出資した(http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=20601014&sid=amgdBItF2kyc&refer=funds)。
ゴールドマン・サックスは中国工商銀行(Industrial and Commercial Bank of China Limited)にも巨額の出資をした。二〇〇六年五月、同行の株式公開を助けるために、ゴールドマン・サックスは、二六億ドルという当時としては一回の投資額で過去最高の出資をしたのである。それによって、ゴールドマン・サックスは中国工商銀行株の五・八%を保有することになった。中国工商銀行は同年一〇月、株式を公開した。二一九億ドルという史上最大の株式公開であり、時価総額も二〇〇七年七月で世界第一位になった(豊島[二〇〇六])。
ただし、〇九年に入って逆流現象があった。〇九年六月二日のロイターによれば、ゴールドマン・サックスが、〇九年六月二日に中国工商銀行の株式三〇億三〇〇〇万株を一九億ドルで売却した。ゴールドマン・サックスは、中国工商銀行の株式を四・九三%保有していた。六月二日の売却はそのほぼ二〇%に当たる。ゴールドマン・サックスは、〇九年に入り、二〇一〇年四月まで持ち株の八〇%を引き続き保有すると表明していた(http://jp.reuters.com/article/financialCrisis/idJPJAPAN-38355420090602)。
ゴールドマン・サックスの保有する中国工商銀株は約七五億ドル相当で、一部売却により一〇億ドルの資金を確保できる可能性がある。ゴールドマン・サックスは、〇八年一〇月に注入された米国政府の公的資金一〇〇億ドルの返済に、株式売却で調達した資金を充当したものと推定される(http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPN-37118420090324)。
中国工商銀行の株主であるアメリカン・エキスプレス(American Express)とアリアンツ・グループ(Allianz Group)が、それぞれ保有する同行の株式一・九三%と〇・三八%をゴールドマン・サックス経由で売却すると〇九年四月二四日に報じられた。同行は〇九年三月にゴールドマン・サックスと協議し、四月二八日と一〇月二〇日に解禁される一六四・七六億株のうち八〇%は一般流通をさせずに、二〇一〇年四月まで延期することで合意した。残りの二〇%も解禁後は売却された。アメリカン・エキスプレスとアリアンツ・グループが保有する同株の解禁条項は変更されなかった。しかし両社とも同行に対し売却先については、株価を高め市場への影響を抑えるため指定法人に割当を優先することをすでに伝えた(http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0424&f=stockname_0424_056s.html)。
〇八年時点で、中国政府は、フレディ・マックとファニー・メイ関連の証券を三七六〇億ドルほど保有していた。ブッシュ政権下のポールソン財務長官は、米国の不良債権を中国に購入してもらうべく必死になっていた(http://www.redpills.org/?p=2224)。
ポールソンは、古巣のゴールドマン・サックス救済のために、一〇〇億ドルを注入した。〇八年一〇月三日に、紆余曲折を経て彼が成立させた、七〇〇〇億ドルを不良資産買い取りに投入するという金融安定化策であるTARP(不良資産救済プログラム=Troubled Asset Relief Program)に基づくものであった。ポールソンは、その責任者にゴールドマン・サックスOBで元部下のニール・カシュカリ(Neel Kashukari)をすえた。
カシュカリについて、インド系ジャーナリズムは以下のような興奮した記事を書いた。
「世界中の金融市場急落の中、米財務長官は〇八年一〇月六日、インド系米国人であるニール・カシュカリ次官補を、七〇〇〇億ドルの不良資産買い取り業務の責任者に選任した」、「カシュカリ財務省・金融安定化担当次官補は、ジャンムー・カシミール州にルーツを持つ」、「三五歳のカシュカリ次官補は現在まで財務省の国際経済・開発担当官として、国内では、投資環境育成のための財務省方針の作成と実施、対外的には世界経済成長の支援などの任務を遂行してきた」、「同次官補は二〇〇六年七月、財務長官ポールソンの上級顧問として財務省入りしたが、それ以前はサンフランシスコのゴールドマン・サックスで、IT証券投資銀行業務を統率、合併・買収、金融取引などについて官・民間企業から相談を受けるなどしていた」、「オハイオ州アクロン生まれの同次官補は、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校をエンジニアリングの学士・修士号を得て卒業。また、ウォートン・スクールから経済学でMBAを取得している」(http://indonews.jp/2008/10/gs.html)。