格付けされるためには、債務が証券化されて、人から人に転売されるような形になっていることが重要である。証券を購入する人は、多くの場合、発行者のことをよく知らない。いわんや、新興国の国債となると、購入者は、発行国の信用についてほとんど知っていない。このようなときに、購入者が頼りにするのは、格付け会社の判定である。
こうした条件を作り出したのが、ブレイディー・プランによる債務の証券化である。
一九九〇年代、メキシコ政府のドル建て国債を大量に購入していた米国の銀行は、メキシコ政府によるデフォールトを受けて、米国の銀行は大打撃を受けた。メキシコのデフォールトが米銀を追い込み、そのことが米国のみならず世界に金融危機をもたらす可能を大きくしていた。
ブレイディは、米銀の対メキシコ・ドル建て債権(保有しているメキシコ国債)をさらに細かくして、額面以下(ほとんど一〇分の一以下)の価格でメキシコに進出したがっておいる企業に転売させるという「債務の証券化」という手法を採用した。企業は、手に入れた証券をメキシコ政府に渡す、メキシコ政府は、それをドル建ての額面相当の自国通貨のペソで買い取る。
ただし、自国通貨で買い取るといっても、実際にペソを現金で企業に支払うわけではない。メキシコ政府が支配しているメキシコ国内の企業の株式と交換するのである。多くの場合、国営企業の株式が渡される。国富の切り売りである。メキシコに進出したい外国の企業がこのシステムを利用する。
不良債権化してしまった手持ちのメキシコ国債を別の証券に組み替えて第三者に転売しようとする米銀が依拠したのが、格付け会社による格付けであった。ここに、新興国の国債が、格付け会社の格付け対象になったのである。
「債務の証券化」、「債務の株式化」として有名になったこのブレイディ・プランに沿ってメキシコに進出した企業の一つに三菱自動車があった。
当時、日本の自動車メーカーは、対米輸出自主規制の枠をはめられて苦しんでいた。日本からの洪水のように押し寄せる自動車輸入に苦しめられていた米国内の自動車メーカーの意を受けた米国政府の思惑に配慮して、暗黙裏に日本の自動車業界が「自主的に」決定したのが対米自動車輸出規制であった。
こうした制約を破るべく、三菱自動車は、メキシコに工場進出し、メキシコ法人としてメキシコ政府から認可を得るという戦略にでた。メキシコの現地法人による対米輸出なら、メキシコ政府に対米債務を支払わせたい米国政府は、メキシコによる対米輸出を禁止できなかった。
こうして、三菱自動車は、日本車の対米輸出自主規制の枠を軽減させることに成功したのである。ブレイディ・プランは、世界に進出しようとしていた日本の企業をうまく利用しのであった。
格付け業界は、事実上上位三社の寡占体制であって、格付けの競争などほとんど行われていない。
にもかかわらず、上位三社は、事実上、公的な機関として、企業の生き死にを左右する閻魔大王のような権力を保持しているのである。
二〇〇一年一二月に破綻したエンロンに対する格付けは、倒産の四日前のS&Pの格付けはBBBであった。これは、投資適格のランクである。その高い格付けの企業が一瞬にして倒産した。格付け会社の判定は正しいのかとの疑問が一斉に吹き出したのも当然であった。
そして、二〇〇二年三月二〇日、「上院政府問題委員会」(Committee on Government Affairs)において、格付け会社に関する公聴会が開催された。「格付け機関を格付けする─エンロンと格付け機関」というのが委員会のテーマであった。そこでは、格付け会社の寡占体制や、事実上政府機関に準じているのに、格付け会社はキチンとした説明責任がはたしていないといった批判が続出した。
そうした批判を受けてSECのコミッショナー、アイザック・ハットンが、SECで二つの点の検討を行うと委員会に約束した。
二点というのは、①SECによるNRSROの制定が、特定の格付け会社の市場への影響量を強めているのではないか。それはどの程度のものか、②NRSROに指定されている格付け会社をSECはどのように監督すればよいのか、であった。
しかし、その約束ははたされなかった。基本的にはなにも変わらず、格付け会社が下す格付けは、単なる一会社の判断にすぎず、特定の証券への投資を勧告したものではないとして、格付け会社が誤った判断をしても、一民間会社の一つの見解に過ぎないとして、判断の誤りを糾弾されることから免罪されてきたのがこれまでの経緯である。
一九八三年には、ワシントン州の原子力発電会社、WPPSSの倒産があった。一九九四年には、オレンジ・カウンティの破綻があった。いずれも、破綻直前まで、格付け会社は高い格付けを与えていたのである。この事件は、提訴にまで発展したが、結局は、格付け会社の責任は問われなかった(浅見唯弘「[2002]、五ページ)。格付け会社を規制したり監督を強化したりする方向にSECは進めなかったのである。
それにしても、すでに二〇〇一年時点での格付け会社の寡占化は、異常なものであった。二〇〇一年時点での世界での格付け会社の総収入は二一億ドルあった。うち、上位三社が九三%も占めていたのである。この時点では、S&Pが一位、ムーディーズが二位、フィッチが三位であった。収入において、S&Pは、四一%のシェアで八億七〇〇〇万ドル、ムーディーズは三八%の七億九七〇〇万ドル、フィッチは一四%の三億二〇〇万ドルであった。世界の証券がわずか三社によって格付けされていた。市場経済とは多数の競争者が競い合っているというイメージで理解されている。しかし、証券投資の世界では、無数の投資者が二人、せいぜい三人の閻魔大王の判定に従って、極楽行きか地獄行きかを決定されてしまのである。
しかも、ABS(アセット・バックド・セキュリティーズ)、ストラクチュアード・フィナンス・クレディット・デリバレィブ)などが、証券投資の大きな部分を占めるようになる。これがまた権威ある格付けを待っている。
加えて、二〇〇六年末、それまでのバーゼル協定Ⅰがバーゼル協定Ⅱに変更された。国際的に展開する銀行は、保有資産の時価評価だけでなく、格付けを内部で行い、自己資本をつねに査定しておかなければならなくなったのである。格付けを内部で行うとされても、実際には、各銀行は外部の格付け会社に保有資産の格付けを依頼することになるだろう。
こうして、格付け会社の需要は飛躍的に高まる。しかし、それによって、現在の金融システムが安定するようになったと言えるのであろうか。繰り返し世界を襲う金融危機の起こる頻度は、金融自由化が行われる以前に比べて高くなっているのではないだろうか。
二〇〇〇年九月、アジア開発銀行(ADB=Asian Development Bank)が支援して一三の格付け会社からなる「アジア格付け機関協会」(ACRAA=Association of Credit Rating Agencies in Asia)が成立した。これらが、米系閻魔大王の寡占化を食い破る日はいつになるのだろうか。
引用文献
浅見唯弘「[2002]、「格付けシステムの問題点は何か─日本国債の格付け論争を考えるー」、
『Newsletter』、No. 4、九月二日号、国際通貨研究所。『国際金融』第一〇九
〇号、二〇〇二年八月に収録。