消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.162 市場波乱が儲け口

2007-09-13 00:00:47 | 金融の倫理(福井日記)


 NHKの『マネー革命1』で、ヘッジファンドが儲けるときは、市場が激しく動いているときであって、市場が落ち着けば儲からなくなるという言葉がヘッジファンド運用者から引き出されている。

 一九九三年に設立された、日本市場を専門とする「アベンティン・インベストメント・マネジメント」という米国の小さなファンドの運用者が、次のようにNHKの取材陣に語った。

 「突然、何かの災難が起きて、市場がひっくり返ったとしましょう。その波乱こそ、利ザヤを生むのです。僕たちが一番恐れているのは、市場の動きが止まって、利ザヤを取ることができなくなってしまうことなのです」(相田・宮本[1999a]、二二二~二三ページ)。

 これは怖ろしい言葉である。「市場がひっくり返った」ときが「利ザヤを生む」という認識があるのなら、市場に波乱を起こそうという衝動が生まれるのは自然の流れである。

 投機によって市場を安定化させる効果がヘッジファンドにあるということと、利ザヤを得るために市場に波乱をヘッジファンドが起こすということとは、紙一重の差しかない。

 取材陣は、ファンド運用者たちから重要な証言を数多く引き出している。一九九八年のことである。

 (エリック・スター(Eric Star)という運用者)「日本市場は情報が少ないために、きちんと評価されていない割安の株がたくさんあるのです。誰もそれで儲ける方法を知らないんです。今、世界で最も儲けるチャンスがある市場は日本です」(同書、二一九ページ)。

 ヘッジファンドには運用方法や資産内容などを当局に報告する義務がない。したがって、そこから上がる利益には税金がかかりにくい。そのため投資家も余剰資産をヘッジファンドに預ける。アベンティン・インベストメント・マネジメント(Aventine Investment Management)の場合は、顧客から預かる資金は一口一〇万ドルが最低単位。顧客の多くは企業年金などの機関投資家。運用の自由度を上げるには、大口の顧客を多く持ち、潤沢な資金を確保することが必要(同、二二三ページ)。

 社長のジェームズ・バーンズ(James Burns)は名門プリンストン大学の卒業生。マンハッタンにある会員制のプリンストン・クラブ玄関前で顧客に会う。顧客の信用を勝ちうるには、こうした演出も必要と取材班は納得(同、二二四ページ)。

 夜間に開催されているニューヨーク大学のビジネススクールは「ウォール街のエリート養成所」である。

 
ここでは、オプション理論の権威者、マイロン・ショールズと親友の金融工学専門家のインド人、マーティー・スブラマニアム(Marti Subramaniam)教授が教えている。彼は、アベンティン・インベストメント・マネジメントの顧問でもある。

 (同教授)「(ジェームズのような教え子である)彼らが理論を実際の取引に使ってくれることによって、私もまた、理論を洗練することができる」(同、二二六ページ)。

 一九九八年四月三日(日本時間)、日本市場は狂乱状態になった。後に、「ムーディーズ・ショック」と呼ばれるようになったものである。同日、午前一〇時三五分(東京時間)、米国格付け会社のムーディーズ(Moody's Investors Service,inc. 一九〇〇年に創立)が、日本国債の長期見通しの格付けを、それまでの「ステーブル(安定的)」から「ネガティブ(弱含み)」に変更するかも知れないと発表した。国債はリスクフリー(リスクにはさらされない)と思われていた日本国債の格下げの可能性で、日本市場は大混乱に陥った。

 格下げされるかも知れないという怯えが市場に走った。実際に格下げしたわけではないのに、日本国債は売られた、価格が急落した。ちなみに実際に格下げされたのは、同年一一月一七日であった。

 (エリック)「ムーディーズは実際に日本国際の格付けを下げたわけではありません。次の格付け時には下げるかもしれないといったにすごません。しかし、企業にとっては重大です。もし国債の評価が格下げされれば、日本の信用が落ちるわけですから、お金を借り入れるときの金利が高くなります。・・・それは企業の将来の業績不安につながると市場は考えますから、株価は下がりますね」、「そうでなくても、日本の市場には否定的で弱気な感情が蔓延していましたので、ムーディーズの発表が火に油を注いだわけです。日本国際の暴落だけでなく債券価格や株価の大暴落を招きました」(同、二三〇ページ)。 そして、
(ジェームズ)「二五万ドル儲けました。たった五分間でね」(同、二二九ページ)。

 転換社債を買い、株式を空売りしたからである。転換社債というのは、株式に転換できる社債のことである。社債なら、買ってもらった会社は、その額を負債として返済しなければならない。しかし、社債を買ってくれた人が、それを自社株に転換してくれれば、負債はなくなる。株式は負債ではないからである。

 国債が下がれば、株価も下がる。株価に連動して転換社債価格も下落する。しかし、連動するといっても、下落率は、転換社債と株式とでは異なる。転換社債の下落率が株式よりも緩やかであれば、転換社債を買っておき、株式を空売りすれば、下落局面では、借り株を売り、底値で買い戻せば、儲かる。転換社債も下がるが、下落率が緩やかなので、株式の空売りによる儲けの方が大きくなる。株価が上がれば、転換社債は理論値よりも十分低ければ、株式よりも価格の上昇率が高くなる。空売りした株式で損を出すが、転換社債の買いによる儲けの方が大きいので儲かる。こういう理屈で彼らは儲けたのである(同、二三一~三二ページ)。こういう手法が「マーケット・ニュートラル」という。理論値の算定が彼らの技術であり、そのリターンをαという。

 (ジェームズ)「最先端の金融工学の理論を使えば、複雑な条件に基づいた取引を簡単に分析することができますから、転換社債などのオプションの理論値やリスクを評価し、複雑な条件つき取引の真価を割り出すことができるのです」(同、二三四ページ)。

 そのさい、使うデータが生命線となる。当然、そうしたデータは機密事項である。
 彼らは数秒単位の取引をする。〇・五秒での取引で損得が決定されてしまう。秒速の取引が普通になっている時代、NHK取材陣は告白する。

 「私たちは、労働によって得た汗の結晶をそんな彼らの手に委ねるとしたら。思うだに、ぞっとする連想であった」(同、二五一ページ)。

 人間の生活はけっして単純なものではない。喜怒哀楽がないまぜになった複雑なものである。そうした生活を理解して人の脳裏に移し替える作業を行うのが経済学であるはずである。経済学を正しく習得するには気の遠くなるような膨大なエネルギーと時間を必要とするものであると私などはいまでも思う。しかし、最先端の金融を扱う専門家たちは、世間的な常識からすれば例外なく若造たちである。

 理系の大学を出て、ビジネススクールでトレーダーの手法を学び、大学卒業後、金融機関で三年間ほど実務につき、独立してファンドを創設する。つまり、二七~二八歳で独立する。そして大儲けする。未完成な人間が、物作りで生涯をかけた人の生涯収入の何百倍もの儲けを一瞬にして稼ぎ出す。彼らの収益の前で、多くの人間が生活の糧を奪われている。そして、世間の羨望を集めるのは、労働者ではなく、トレーダーたちなのである。そう言えば「金儲けは悪いことなのですか?」と問うた、つぶらな瞳のファンド・マネジャーがいた。
 
 引用文献

相田洋・宮本祥子[1999a]、『マネー革命1―巨大ヘッジファンドの攻防』NHK出版。


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