消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

本山美彦 福井日記 03 六条大麦のこと

2006-06-02 14:47:32 | 路(みち)(福井日記)
九頭竜川の下流域の福井市、あわら市、吉田郡永平寺町松岡、坂井郡の旧4町(三国、丸岡、春江、坂井)には、九頭竜川の右岸と左岸を併せて約1万2000haの農地があり、福井県の耕地面積の約4割という重要な農作地帯である。

 福井はコシヒカリの生まれた土地であり、このコシヒカリの生産を中心に、早稲のハナエチゼン、最近はイクヒカリという新しい品種も開発されている。
 また、直播きという、非常に低コスト化できる農法が採用されだした。福井県の直播き面積は、1200haであり、農地に占める比率では、全国第1位である。
 さらに福井県の大麦は、日本一の生産量を誇る。転作作物として生産されだしたのだが、福井県の六条大麦は、全国の4分の1のシェアをもつ。

 これらの農地は、鳴鹿大堰からの農業用水で潤っている。主として、京大元総長の沢田敏男先生を中心とした京大農学部のチームによって設計されたものである。この農業用水は開水路であるが、清流というより轟音を立ててものすごい勢いで流れる大河である。幹線用水路の十郷用水路には約20t近い水が毎秒流れ、芝原用水では、毎秒7t近い用水が流れる。全国でもその水量はトップクラスであろう。

 十郷用水路の開削は平安時代の1110年、芝原用水は江戸時代の1600年である。
 福井県はこれをパイプライン化する工事を行っている。
 九頭竜川の河原ではオオモナミ群集、オオイヌタデの群集が見られる。水路周辺では、コミズマツバ、ウスゲチョウジタデ、シャジクモなどの植物が繁茂している。マガモ、コガモ、オナガガモなどの休息地、キジ、ムクドリの繁殖地もある。河口付近の新保橋から下野にかけての岸辺には、天然記念物のオオヒシクイが生息している。

麦は世界で一番多く作られている穀物で、日本では小麦や大麦を総称して「麦」または「麦類」と表現されている。しかし、小麦と大麦は同じイネ科コムギ属に分類されているが、植物分類上あるいは作物分類上は「なす」と「ジャガイモ」と同様に、全く別の植物、作物である。

 「むぎ」の語源は、「子実を剥いて利用しなければならないもの」あるいは「剥きにくい・剥くのに手間がかかる」という「むく」から発していると言われ、植物体の外見(見た感じ)が似ていた小麦と大麦は同じようにむぎ(麦)といわれるようになったとされている。

 また、大麦・小麦の「大」「小」の語源も、単純に子実の粒の大きさが大きい・小さいことを語源としているのではなく、(日本古来の大麦・小麦は粒の大きさはあまり変わらない)、大麦は大=major(主な・重要な)麦、小麦は大麦に準ずるものであったためにその様に名付けられたと言われている。なお、日本では小麦、六条大麦、二条大麦およびはだか麦を麦類とし、四麦と総称している。

 六条大麦は、穂の各節に3ずつ並んで小穂がつき、それらが互生するため6条に並ぶもの(上から見ると6列)という意味である。各節の3小穂のうち両側が退化して中央部のみ稔るもの(同2列)を二条大麦という。

 六条大麦は、古くから日本人の食料とされ、明治の初期までは日本の大麦は六条大麦がほとんどであった。私も大学に入学するまでは、この麦飯を主食としていた。弁当を食べるとおならが出るのには閉口したという思い出がある。六条大麦には穎(皮)に糊状物質がなく、味噌用や近年では健康食品としてうどんに混ぜて大麦うどんとして用いられている。

 二条大麦は明治の始めにビール原料用としてヨーロッパから導入され、日本でも栽培が開始された。ビール原料は粒が大きくビールのもととなるエキス成分が高いことや原料としての粒のばらつきが少ないことが要求されたため、粒が小さくばらつきの大きい六条大麦が敬遠され、二条大麦がビール醸造用大麦として用いられたため二条大麦=ビール麦になったのである。つまり、ビール麦=ビール大麦=ビール醸造用二条大麦である。
 焼酎も、けずって(搗精して)ロスの少ない大粒の大麦、即ち二条大麦を原料としている。

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