消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(211) 新しい世界秩序(28)パックス・サイノ・アメリカーナの予兆(10)

2009-08-20 14:01:32 | 野崎日記(新しい世界秩序)

(6) 03年に米国は、新しい20ドル札を発行している。03年10月9日ワシントン発の共同通信の配信では次のように記されていた。

 「偽造防止に工夫を凝らした米国の新20ドル紙幣の流通が9日始まり、ニューヨークのタイムズ・スクエアでイベントが開かれた。20ドル札はもっとも流通枚数が多い。新紙幣は初めて黒と緑以外の色を背景に用いたのが特徴で薄い桃色や青などの配色。プラスチックの垂直線が埋め込まれているほか、透かしや傾けると色が変わって見える数字で偽造防止を図った。ジャクソン第7代大統領の肖像や紙幣の大きさは変わらない」。

 これは、金兌換ができる新ドル貨発行の布石ではないかという見方が広がってい
る。米国が金本位制に戻るのではないかという噂はここ数年来ずっと出続けている(http://electronic-journal.seesaa.net/category/5295267-1.html)。

 国外の旧紙幣に区別を設け、国内の旧紙幣は新ドル札と交換できるが、国外の旧紙幣には新ドル札との交換は認めないというようなことにでもなると、国外の旧ドル札は無価値に近いものになってしまうだろう。これは、国外の米国債価格にも影響する。これにデノミネーションが加われば、完全な金融テロになってしまう。

 可能性が大なのは、アメロ(AMERO)という新通貨制度の創設である。米国単独ではドルの信認回復が無理であるとして、NAFTAを基礎とする新共通通貨が発行されるかもしれない。アメロを導入するさいに、米国は、借金を消滅させる目的で、内外で新通貨の交換比率を変えるなどいろいろ仕掛けてくるかもしれない(http://electronic-journal.seesaa.net/article/116472819.html)。

 荒唐無稽であると切り捨てきれないものがこうした噂にはある。アメロ、ないしは北米通貨に関するアイデアは、1999年にカナダの経済学者ハーバート・グルベル(Herbert G. Grubel)が提唱して以後、論争が沸騰している。以下、論争に参加した文献を挙げる。

1. Bennett, Drake[2007-11-25], "The Amero Conspiracy", International Herald Tribune.
          http://www.iht.com/articles/2007/11/25/america/25Amero.php
2.  Grubel, Herbert G. [1999], "The Case for the Amero: The Economics and Politics of a North
          American Monetary Union"PDF, The Fraser Institute.
          http://www.fraserinstitute.org/Commerce.Web/product_files/CasefortheAmero.pdf
3.  Pastor, Robert A. [2001], Toward a North American Community: Lessons from the Old
      .    World for the New, Peterson Institute
4.  Leger Marketing Group [August 30 2001],  A Study of How Canadians Perceive Canada-US
          Relations.
5.  Cohen, Benjamin J.[2004], "North American Monetary Union: A United States Perspective",
          Global & International Studies Program. http://repositories.cdlib.org/gis/29.
6.   McLeod, Judi[2006-12-14], "Debut of the Amero," Canada Free Press.
          http://www.canadafreepress.com/2006/cover121406.htm.

(7) 「米中戦略経済対話」(US-China Strategic Economic Dialogue=SED)は、06年12月から北京で第一回会議が開かれた。文字通りの中米経済政策の調整会議。米国の対中貿易赤字、中国政府による為替市場操作疑念が主題となている。原則年二回中米各地で交互に開かれている(http://jp.fujitsu.com/group/fri/report/china-research/topics/2008/no-81.html)。

(8) レノボ(联想集团)は、中国のパーソナル・コンピュータ (PC) メーカー。1984年、中国科学院の計算機研究所において設立された。設立時の名称は中国科学院計算所新技術発展公司。1988年香港連想集団公司設立、1989年北京聨想計算機集団公司設立。1994年香港聯想公司が香港株式市場に上場、1997年には聯想ブランドが中国内のパソコン売上トップを記録、2000年、『ビジネスウィーク』誌が聯想集団を世界IT企業100社中、8位に位置づけた。

 04年12月、レノボはIBMからPC部門を12億5000ドルで買収することを発表した。
レノボはIBMのPCのブランドであるThinkPadの商標を5年間維持するとしている。08年1月には低価格品IdeaPadブランドを導入した。

 04年のIBM社PC部門買収によりレノボのPCの世界市場シェアは、デル、ヒューレット・パッカードに次ぐ3位となったが、07年のエイサーによるゲートウェイ買収により、4位となった。

 株式の42.3%をレジェンドホールディングスという持株会社が保有しており、同持株会社の筆頭株主(65%)は中国科学院である。IBMは議決権のない優先株のみを保有する(  http://www.pc.ibm.com/ww/lenovo/investor_factsheet.html)。

   06年5月19日、米国国務省は、06年の3月20日にレノボから1300万ドルで購入した1万6000台のPCについて、安全問題を考慮して、機密文書を扱わない業務だけで利用するという発表をした。米中経済安全保障関係検討委員会(the U.S.-China Economic and Security Review Commission)から一斉にレノボPCの導入に抗議されたことに譲歩したのである(http://japan.cnet.com/column/china/story/0,2000055907,20122968,00.htm)。

(9) 1995年、中国最初の外国への投資会社として設立。出資者はモルガン・スタンレーで、当初、3500万ドルを出資していた。総裁は、朱云来(Zhu Levin)、1998~2003年まで首相を務めた朱鎔基(Zhu Rongji)の息子。中国最大の外国投資会社
http://www.cicc.com.cn/CICC/chinese/index.htm )。

 ブルームバーグによれば、CICCは、新規株式式公開(IPO)関係では、中国第一の座を保っているが、08年1月、34/3%の株式を保有しているモルガン・スタンレーがCICC株を売却し、提携関係を解消する準備を進めている。
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003001&sid=awpGr4ZRMNbI&refer=jp_commentary)。

(10) 04年8月に合弁成立。ゴールドマン・サックスはまず、この月に合資銀行を設立し、さらに、苦境に陥っていた海南証券を救済、この再建計画の首謀者、方風雷に8億元を融資、この資金で方が高華証券を設立。この証券会社は、ゴールドマン・サックスが中国の現行規定では最高比率となる33%の株式を所有。「高華」はゴールドマン・サックスの中国語「高盛」と中国を意味する「華」から取られたものとされる。高華証券には、聯想集団(レノボ)も出資。実質的にはゴールドマン・サックス・チャイナともいえる高華証券となった
http://www.news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2004&d=0810&f=business_0810_001.shtml).

(11) 01年11月から開始されたWTO(世界貿易機関)加盟国による通商交渉。農産品、工業品の貿易自由化という伝統的な交渉課題以外に、サービス、途上国問題、紛争処理などの新たな問題が論じられてきた。1999年10~11月のシアトル閣僚会議では、ウルグアイ・ラウンド(1986~1994年)の結果に対して途上国の多くが反発し、新しい交渉の開始ができなかった。しばらく空白があったのち、2001年11月のドーハ閣僚会議でようやく新交渉開始の合意がなされた。この2001年11月から開始されたWTO加盟国による通商交渉を「ドーハ・ラウンド」という。しかし、2003年9月のメキシコ・カンクンでの閣僚会議では交渉が決裂し、新ラウンド(ドーハ・ラウンド)の「枠組み合意」の期限日、2004年7月31日には合意形成はできなかった。2004年7月31日にジュネーブのWTO本部で一般理事会が開かれ「枠組み合意」が論議され、農業自由化をめぐる対立が鮮明になったが、翌8月1日未明に枠組みだけは合意された。関税引き下げ方式や削減対象となる農業助成策などが交渉課題になったが、上限関税は「今後の検討課題」とした持ち越された。

 2001年11月のドーハ閣僚会議で最終合意期限とされた2005年1月1日は延長され、具体的な期日は2005年12月に香港で開かれる閣僚会議まで先送りされた。その後も、交渉は停滞しており、2009年4月現在、ドーハ・ラウンドは合意に達していない
http://www.wto.org/english/tratop_e/dda_e/dda_e.htm)。

(12) ガイトナー米財務長官は09年3月3日、オバマ大統領が、韓米自由貿易協定(FTA)をはじめ、パナマ、コロンビアとのFTAを進展させるため、議会と協力するとの認識を示した。ガイトナーは、米下院歳入委員会の公聴会で、「皆さんが期待できることは、大統領と政府がこうした重要な合意を進展させる方法を探すため、注意深く議会と協力するだろうということだ」と述べた。

 ガイトナーは、「米国としては単に市場を開放するという約束だけでなく、米国内の業界と労働者に利益になる新たな貿易協定を作るという約束を守ることが重要だ」と強調、韓米FTAに対する追加措置の必要性を訴えた
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090304-00000015-yonh-kr)。

(13) 国土安全保障顧問。2001年9月11日に米国で発生した同時多発テロによって、テロ攻撃の脅威に対応する重要性が認識され、米国内では、2002年7月に、「国土安全保障に関する国家戦略」(The National Strategy for Homeland Security)が作成された。さらに、2003年1月、「国土安全保障省」(DHS=Department of Homeland Security)が新設され、政府と民間が一体となってテロの脅威から米国を防衛する体制が整えられつつある
http://dictionary.rbbtoday.com/Details/term3027.html)。