(4) 首相官邸のホームページによると「『沖縄政策協議会』は、一九九六年九月一〇日に閣議決定された『内閣総理大臣談話』に基づき、米軍の施設・区域の集中により負担を抱える沖縄の地域経済としての自立や雇用の確保など県民生活の向上に資するよう、沖縄に関連する基本政策を協議することを目的としています」とある。構成員は閣僚と沖縄県知事からなる(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/okinawa/index.html)。これは、SACO設置に関連した会議である。
(5) 二〇〇八年一二月五日放映のNHK特別番組「基地とカネ」では以下のことが説明された。沖縄に基地関連で国から落ちる予算は年間約二〇〇〇億円。うち、軍用地主への借地料が約一〇〇〇億円、基地に勤める軍雇用員への給料が約四七〇億円、残りが沖縄県や市町村への補助金である。そして、新たなヘリポート建設に合意したことから、名護市は、国庫補助金一〇億円を、防衛施設庁事業、郵政省事業、北部振興策事業費用として得た。関連企業が建設され、約八〇〇人の雇用が創出されたが、地元商店街は寂れる一方で、空き店舗率は一七%、建設業でも五四億円の負債を抱えて倒産が増加し、生活保護世帯も一・七倍に増えたという。
また、二〇〇六年四月四日に発表された名護市職員労働組合の論文「基地と振興策」は、次のような見解を出した。
「二〇〇六年二月七日、任期満了で退任する岸本建男市長は集まった職員や市民に『人口を増やし、定住条件をつくりあげる。この二つが重要だ。人口の拡大がなければどんな計画も始まらない。この点を目標にすえて頑張ってほしい』と語った。岸本市長が条件付きで米軍普天間飛行場の代替施設の受け入れを表明したのは、一九九九年一二月。その前後から地域振興策の名目で名護市にマルチメディヤ館や国立沖縄工業高等専門学校(国立高専)など、さまざまな施設が建てられた。『毒を飲んでまでも地域の発展を目指した』のか、岸本市長はその翌月に死去した。名護市には、北部振興策や国立高専の設立などを含め約四〇〇億円の巨費が投入された。人口は約二五〇〇人、新規雇用も情報関連分野を中心に一〇〇人以上増えた。一方で市の財政指標は悪化の一途をたどる。経常収支比率が九五%という硬直した財政構造である。国への依存度は一層深まり、自立への展望は見えにくくなった。『箱物ばかりが増えた』。政府に頼りきった地域振興はいずれ行き詰まる」(http://www.jichiro.gr.jp/jichiken/report/rep_okinawa31/jichiken31/4/4_4_r_02/4_4_r_02.htm)。
(6) 本稿第一〇章は、川崎[2009]に大きく依拠している。
(7) 「建築基準法」(一九五〇年五月二四日法律第二〇一号)は、国民の生命・健康・財産の保護のため、建築物の敷地・設備・構造・用途についてその最低基準を定めた法律。前身は「市街地建築物法」(一九一九年法律第三七号)(ウィキペディアより)。
(8) 空中権売買が認められる制度を「特例容積率適用区域制度」という。これは、都市計画区域内のある一定の区域を定めて、その区域内の建築敷地の指定容積率の一部を、複数の建築敷地間で移転することができる制度である。この場合、一方の建築延べ面積は指定容積率を超過し、もう一方は指定容積率未満となるが、それらの合計延べ面積は現に定められている各敷地の指定容積率に対応する建築延べ面積の合計を超えることはできない。制度的には、日本では「容積率移転」、アメリカでは「移転開発権」(TDR=Transferable Development Rights)、開発事業的には「空中権売買」と呼ばれる。
容積率の移転については、特定街区制度、地区計画制度、高度利用地区制度、一団地認定制度、総合的設計制度等によって、原則として隣接する建築敷地間で実質的におこなうことができるが、特例容積率適用区域制度では、その区域内ならば隣接していない建築敷地間で実施できることが特徴である。ただし適用により交通やライフライン等に問題が生じないように地区全体の道路率や公共交通機関の整備率が極めて高い地区に限定される。
この制度の最初かつ唯一の適用は、二〇〇二年に指定した東京都千代田区の「大手町・丸の内・有楽町地区特例容積率適用区域」である。東京都は東京駅周辺地区の都市開発・整備・保全を誘導・制御するために、大手町・丸の内・有楽町地区(一一六・七ヘクタール)に「特例容積率適用区域」及び「地区計画地区」を都市計画として定めて、この区域内では一定の制限(容積率や高さの上限等)の下に、東京都の許認可によって、各建築敷地間で容積率の移転ができることとした。
この制度を活用して、JR東日本は東京駅丸の内側の赤レンガ駅舎(一九一四年建設、一九四七年修復)の復原的保全をおこなうこととした。赤レンガ駅舎を戦前の三階建てに復原しても、その建物規模は敷地の指定容積率に対応して建設可能な上限床面積におよばないので、残余容積率相当分の床面積を分割して他の敷地に移転することで、保全の資金調達を図っている。〇七年時点での容積率の移転先は、丸の内側の「東京ビルディング」、「新丸ビル」、「丸の内パークビルディング」、八重洲側の「グラントウキョウ」等の各超高層ビルである。その移転先ビルにJR東日本は、床を所有して経営し、そのビル所有者等に床を売却している(ウィキペディアより)。
(9) 首相官邸のホームページにある「都市再生本部」の説明によれば、
「都市再生本部は、環境、防災、国際化等の観点から都市の再生を目指す二一世紀型都市再生プロジェクトの推進や土地の有効利用等都市の再生に関する施策を総合的かつ強力に推進することを目的として、二〇〇一年五月八日、閣議決定により内閣に設置されました。・・・その後、二〇〇二年六月一日、都市再生特別措置法が施行され、都市の再生に関する施策を迅速かつ重点的に推進するための機関として、法律に位置づけられました。・・・二〇〇七年一〇月九日、地域の再生に向けた戦略を一元的に立案し、実行する体制をつくり、有機的総合的に政策を実施していくため、地域活性化関係四本部を合同で開催することとし、四本部の事務局を統合して『地域活性化統合事務局』を新たに設置しました」(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tosisaisei/index.html )。
引用文献
伊藤達也[2005]、『検証岐阜県史問題―なぜ御嵩産廃問題は掲載されなかったのか』ユニ
テ。
川崎一朗[2009]、『災害社会』京都大学学術出版会。
ましこ・ひでのり[2008]、「『岐阜県史』問題再考─産廃行政に関する「県史」等の記述の
政治性―」、大橋博明ほか『地域をつくる』勁草書房。
田村明[2005]、『まちづくりと景観』岩波新書。