消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.175 リスク分散という危機配当

2007-10-05 23:25:07 | 金融の倫理(福井日記)

 二〇〇七年は、サブプライム・ローン問題をきっかけに世界中で金融混乱が起こった年であった。

 サブプライムとは、二級のものという意味で、一流のプライムに比べて一段と低いものという意味である。

 
つまり、サブプライム・ローンとは信用度が低いので、かなり高い金利を取る貸付のことである。

 
具体的には信用力の低い低所得者向けの住宅融資を指している。言葉の元々の意味が低所得者層向け貸付のことであるから、サブプライム・ローンは定義からすれば、住宅リーンに限定されず、自動車ローンなどの他の融資も含めているが、二〇〇七年に大問題となったのは、低所得者層向け住宅融資であった。

 サブプライム・ローンの、米国住宅ローン全体に占める比率は、二〇〇六年で約二一%であった(金額ベース)。この比率は、二〇〇四年の一八%から三%の増加である。わずか二年で三%もの伸びを示した。サブプライムローンは、年間で 九〇から一五〇兆円規模である。非常に大きな数値である。

 住宅を担保とした数値であるが、最初は低い利払いから次第に高い利払いになり、最終的には二〇~三〇%という高金利になってしまう。この後になるほど、支払い金利が高くなるというのがミソである。

 
米国では、この数年、住宅価格が上昇し続けていた。購入時よりも住宅価格が値上がりしていたのである。これが投機に拍車をかけた。

 
住宅を担保としてローンを組んだ人は、後になるほど、高い支払い金利になるので、ローンを借り換える。そうすれば、再度、安い金利から出発できるからである。それが可能なのは、担保価値が上がっているからに他ならない。人々は競ってローンを増額して組み替えた。それは、支払い金利を安くできるだけでなく、新たな現金を入手できることであった。ローンを組んだ人にとって、ローンは借金に変わりはない。しかし、住宅価格が上昇すればするほど新規のローンが組めるのだから、市場規模はどんどん大きくなっていった。しかも、担保価値の増加分に見合って、新規ローンを際限なく組めるのであるから、人々は現金を入手すべくローン組み替えにのめり込んだ。それが結果的にローン規模を激増させた。

 このローンがまとめられ、証券化されて投資家なる者に売られたのである。
 FRBによれば、二〇〇一から二〇〇二年上半期で、リファイナンス総額のうち、一六%も消費に回されたという。これをキャッシュ・アウトと呼ぶが、一件当たりの平均額は二万六〇〇〇ドル強、つまり、三二〇万円強もあった。

 そして、金利が上昇局面になると、一転してローンの取組は減少する。それとともに、今度は高くなった金利を払えなくなった低所得者層が増えることになった。二〇〇五年の延滞率は一〇%程度、二〇〇七年第一・四半期には一三・七七%に増加した。

 住宅ローン会社は、このローンを証券化して販売している。この証券を「住宅担保証券」(RMBS)という。さらに、このRMBSが他の不動産担保証券などと組み合わされて「合成債務担保証券」(CDO)に組み替えられるようになった。二〇〇五年頃からである。

 おそらく、サブプライム・ローンだけでは、危険性が高くて証券化しても売れないので、比較的リスクの低い債権と組み合わすことで、つまり、危険性を見えなくすることで証券を売ってきたのであろう。

 全世界で発行されるCDOは、二〇〇七年第一・四半期で一八〇〇億ドルほどあると推定されている。二〇〇一年の総額よりも五倍以上に膨らんだのである。RMBSが組み込まれているCDOは一〇〇〇億ドルほどあるとされている。

 そして、返済焦げ付きによる証券価格の急激な低下によって、CDOに投資していたへ時ファンドなどが大きな損失を出したのである。世界の金融機関がこうしたCDOに投資していた。損失規模はまだ不明であるが、ファンドが少なくとも六兆円以上、銀行が三兆円以上の損失を被ったとされている。野村ホールディングは七〇〇億円以上の損失を出した。

 金融機関は株式を売却して損失の穴埋めに向かい、世界的な株安が進行したのである。危機は世界的な規模になった。

 
米国では、ゴールドマン・サックスが傘下のヘッジファンドにテコ入れをし、米国の大手住宅金融会社のソーンバーグ・モーゲジが配当を延期した。フランスのBNPパリバが傘下の三つのファンドを凍結した。ドイツのIKB産業銀行が多額の損失を計上した。ザクセン州立銀行も資金調達が困難になった。英国のHSBCが貸し倒れ引当金を増額した。オーストラリアのヘッジファンド、ベーシスが出資者への返金を拒否した(以上は、「サブプライムローン問題(上)」『労働新聞』二〇〇七年九月五日付による)。

 現在、米国の経常収支赤字は年間八三〇〇億ドルもある。これを埋めてきたのが世界から米国に流入する投機資金であった。サブプライム・ローン危機は、この流れを逆転させる可能性が強い。これは、世界恐慌の引き金になりかねない。

 二〇〇七年八月九日、欧州中央銀行(ECB)は、九四八億ユーロを、FRBは二四〇億ドルを市中に投入する意向を発表した。翌一〇日、日銀も一兆円の供給意図を発表、ECB、FRBは追加供給を発表、一三日にもECB、FRB,日銀がさらに追加供給を発表、八月三一日にはブッシュ大統領が、借り手保護の所得控除政策を発表した。

 金融商品への不安感から投機資金が原油などの商品市場に流れ込み、原油価格が再び高騰し出した。二〇〇七年九月七日に発表された非農業全米雇用者数が当初一一万人増加と予想されていたのに、一転して四〇〇〇人の雇用者減となった。
 コマーシャル・ペーパー(CP)の発行も困難になった(「サブプライムローン問題(下)」『労働新聞』二〇〇七年九月一五日付による)。

 少なくともはっきりしてきたことは、米国でブームになっていた高リスク・高リターンの金融商品の売れ行きが止まってしまったことである。投資家がリスクに対して敏感になってきたからである。

 サブプライム・ローン問題の深刻さが人々に認識されるようになったのは、二〇〇七年六月末、米大手投資銀行、ベアースターンズ傘下のヘッジファンドが破綻したことによる。このファンドは、二〇〇六年からサブプライム・ローンを組み込んだ債券に投資していたのである。

 これは、M&Aブームの終焉を意味する。買収資金は金融機関から出されていた。

 
金融機関はそうした融資を債権とし、その債権を証券化して投資家に売っていたのである。これが上述のCDOである。

 
つまり、サブプライム・ローンやM&A債権などを組み合わせた高リスク・高リターン商品として売り出し、これをヘッジファンドが購入していたのである。二〇〇七年七月に入って、資金の調達が困難となった。二〇〇七年七月二五日、買収ファンドのサーベラスがクライスラー買収資金を調達できなかった。同じく買収ファンドのKKRも英国薬局チェーン店のアライアンス・ブーツの買収資金を集められなかった。翌二六日、英国大手菓子メーカーのキャドバリー・シュウェップスによる米国清涼飲料部門を買収ファンドに売却する話も頓挫したとの発表があった。いずれも、金融機関が債権を証券化した商品が売れ残ったことで新規資金を出すことを拒否したからである。

 一世を風靡したマネー・ゲームもどうやら終息し始めたようである(田中宇「国際金融の信用収縮」、二〇〇七年七月三一日、http://tanakanews.com/による)。

福井日記 No.174 不合理な証券世界の仮説

2007-10-05 00:29:51 | 金融の倫理(福井日記)

 投資理論の世界では、「完全な金融市場」ということがよく言われる。「完全」という意味は、合理的な思考をもった投資家が、市場で最大の利得を得ることができることである。市場で付けられる証券の価格は、すべての情報を反映したものであると仮定される。

 ただし、すべての情報とは、リスクとリターンに関するものであるという限定がつけられている。リターンとはキャッシュフローのことであり、リスクとは割引率で表されるものとされる。これによって算定された証券価格が正しく、それから離れた価格は早晩、正しい価格に修正されるという考え方で、投資理論は、組み立てられてきた。

  理論上、正しいものと算定される価格が実現するのは、裁定取引が行われるからであるとされる。理論上の価格よりも低い水準に市場価格があるときには、その証券は買われる。高い水準にあるときには売られる。こうして、市場価格は算定値に収斂するというのである。

 しかし、投資家は合理的に行動すると仮定しても、投資家の現実の行動を正しく分析したことにはならない。投資家の行動様式はばらばらであり、合意的なものに沿った整然としたものではない。それが現実である。

 そもそも理論値が、いずれそこに向かう価格であるはずだと断言できるものだろうか。

  
経験的には、株価が長期持続的に上昇する傾向、あるいは下落する傾向があることは、私たちが、日常的に普通に経験していることである。それも、ファンダメンタルを反映したとは言えない環境の下で、上昇、あるいは下落局面が持続する。これは、リスクとリターンを天秤にかけて投資家が証券価格の当否を判断するという前提の正しさを疑わせるものである。そして、また、理論値からの乖離を乖離を修正するという「裁定取引」というものが、働くということを疑わせるものである。

 例えば、投資信託が、投資の指標として(ベンチマーク)として、TOPIXのようなインデックスを採用している。投資信託におけるベンチマーク(benchimark)とは、運用の目標基準となる指標のこと。ベンチマークをTOPIXとする投資信託は、同期間でTOPIXの収益率を上回る運用を目指しており、その運用実績はTOPIXと比較して評価される。アクティブ運用はベンチマークを上回る成果を目標とし、パッシブ運用はベンチマークに連動することを目標とする。債券市場では、ベンチマークは指標銘柄という意味で使われている( http://sjam.co.jp/college/term_ha.htm)。

 そして、ベンチマークに組み入れられた銘柄の価格は、しばしば上昇する。投資信託がその銘柄を買い増ししたり、投資家もその銘柄を好む傾向があるからである。この場合、裁定取引は発生しにくい。ベンチマークに組み入れられることになった銘柄と代替できる銘柄は見つけにくいし、そもそも、組み入れられたときには価格が暴騰しがちであるからである。米国ではインデックスに組み入れられることが決まった瞬間に、価格が二倍になたYahooの例がある(小幡績[2004]、五五ページ)。

 代替性が低いほど、組み入れられた銘柄の価格上昇は大きい。つまり、裁定取引が働かないほど価格変化が激しくなるのである。インデックスの組み替えが行われるとき、新たに組み入れられた銘柄の価格が上昇し、インデックスから外された銘柄の価格が下落したということがあった。日経二二五が、二〇〇〇年四月に、三〇銘柄を入れ替えたときにそうしたことが見られたのである。追加銘柄の価格は一週間で一九%増加し、離脱銘柄は三二%も下落した。取引量も平常の四倍もあった(同、五六ページ、Greenwood[2002]に基づく)。これは、そのときの取引がファンダメンタルズを反映したものではなく、投資家の心理による需要の変化を反映したものであったことを示している。このように、これまでの完全市場を前提とする投資理論のように、投資家の心理の変化がすべてファンダメンタルズを反映していると考えることは無謀なことである。

 モジリアーニ・ミラー定理(MM定理)も、現実には見られない。企業がどのような資金調達をしても、企業価値は不変であるというのがMM第一定理、企業がどのように利益配分を行っても企業価値は変化しないというのが、MM第二定理と呼ばれるものである。株式発行を通じた資金調達によるにせよ、銀行借りれに頼るにせよ、企業価値は変わらず、利益を配当に回して処分するか、内部留保に回すかの選択に関係なく企業価値は不変であるというのであるが、経験的には、資金調達方法、利益配分方法によって企業価値、つまり、発行株式の時価総額は変化してきた。なぜこの定理は妥当しないのか、定理が発表されてからの四〇年以上、この定理が妥当しない理由が検討されてきた。税制の影響があるのではないか、情報の非対称性から生み出される不合理性ではないのか等々である。

 しかし、MM定理が妥当しない理由をあれこれ詮索することにどれほどの意味があったのだろう。現実はMM定理の想定とはまったく別物であることを認識すべきである。

 金融市場の動向によっって、現実の経営者は、資金調達方法を変えるものである。資金調達方法の変化にもかかわらず、企業の株式の時価総額が変化しないのではない。時価総額の変化が、企業の資金調達方法を変えるのである。それが現実である。

 自社株が市場で経営者が期待している水準以上に高く評価されている場合、企業は新規に株を発行して資金調達を行う。しかし、株価低迷時には、株式発行による資金調達は行わない。むしろ、自社株価の低下を防ぐべく自社株買いに走る。そして、市場の評価は、ファンダメンタルズというよりも、人気といった心理的な要素によることの方が大きい。

 利益を増加させている企業が自社株への配当をどのように行うかも、ファンダメンタルズよりも、市場の動向に左右される。利益を配当せずに内部留保に回そうと経営者が意図した場合、市場がそれを嫌って株価が下がるというのが、もっともありうることであるが、しかし、マイクロソフトがそうした選択をしたときには、同社の株価は下がらなかった。利益を内部留保するのは、成長企業として当然だと市場は受け止めたのである。逆に言えば、これは、典型的な成長企業であるというイメージ作りにマイクソフトが成功し、その成功の上で無配当のまま新規株式を発行し続けることができたことを意味している。これは、「迎合理論」(catering theory)と呼ばれている(同上、五九ページ。オリジナルはBaker & Wurgler[2004])。

 市場の心理によって、企業自身の投資行動が変わるのは、M&Aブームによって示されている。

 企業Bを買収使用とする企業A株が、企業B株よりも市場で過大評価されていると判断した企業Aの経営者は、自社株と企業Bの株式とを交換して、企業Bを吸収してしまう。自社株が過大評価されているうちに、企業買収をしてしまおうという心理に経営者が駆られるのである。企業の長期戦略によるM&Aではなく、市場の動向に駆られて衝動的になされるM&Aである。自社株価が下がる前に、他社株を取得しておく方が、得であるとの判断に基づくものであり、安い買い物であるという意識で実施されるM&Aの方が、株式市場が活況時にはむしろ一般的である。

 こうした考え方は、「行動企業金融」(Behavioral Corporate Finance)と呼ばれている。それは、不合理な世界における投資行動を分析する理論であり、長期的な動きを統計的に分析することを主眼とした理論である。Stein[1996]の論文がそうした理論の先駆であり、Baker & Wurgler[2000]が代表的な研究である。

 不合理な世界を前提とした人々の不合理な心理に駆られる行動を分析の対象にしたという点で、投資理論の世界でもてはやされる「行動ファイナンス」論ではあるが、私には不満を禁じ得ない。

 完全市場を否定する大胆な理論が、なぜ、証券投資の狭い世界に限定されてしまうのか。なぜ、人々の生活圏全体の理論に押し立てようとしないのか。そもそも、わずか論文一編で、大理論のようにもてはやされるという投資論の世界には、私は正直に告白すると違和感を抱いてしまう。

 短い論文がノーベル記念スウェーデン銀行経済学賞の受賞対象となることにどうしても私は納得できないでいる。そもそも、複雑な人間社会の説明が、短い論文、しかも、狭い証券投資の世界に限定された論文で可能なのだろうか。