消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.178 やはりドルは暴落する

2007-10-09 00:19:40 | 金融の倫理(福井日記)

 二〇〇七年八月九日、BNPパリバのファンド凍結が発表されるや否や、欧州中央銀行(ECB)は、その日の午前中から、ただちに短期金融市場に公開市場操作(オペレーション)によって、短期資金を供給することにした。年利四%という政策金利で無制限に資金を供給すると発表したのである。

 事実、過去最大規模のオペレーションになった。その日の正午までに九四八億ユーロ(約一五兆円)という巨額の資金が短期金融市場に供給された。

 オペレーションとは、中央銀行が債券の売買を行うことによって、短期資金の金利を調整することである。

 日本では、日本銀行の金融政策決定会合がオペレーションの実施を決めている。日銀が民間銀行から国債や手形を買い入れる操作で資金供給を行うことを供給オペといい、逆に日銀が手持ちの国債などを売って民間銀行から短期資金を吸い上げることを吸収オペという。この操作は毎日行われている。日本では、「無担保コール翌日物金利」が代表的な短期金利で、サブプライム・ローン問題が深刻化した二〇〇七年八月時点でのこの金利は年〇・五%であった。日銀は、八月一〇日に一兆円の供給オペを実施した。

 米国では、FRBの指示で、ニューヨーク連邦準備銀行(Federal Reserve Bank of New York)が行う。米国の連邦準備制度(Federal Reserve System)は、一九一三年にできた制度で、全国を一二区に分け、各区の中央銀行として連邦準備銀行(Federal Reserve Bank)が置かれている。これら各区の中央銀行(連邦準備銀行)を監督するのが連邦準備理事会(Fedeeral Reserve Board)で、略してFRBと称される。Fedと言うとき、FRBを指す場合もあれば、連邦準備銀行を指す場合もある。

 ニューヨーク連銀は、ニューヨーク市マンハッタン(Manhattan)の金融街にある一四階建ての威風堂々たる建物で、一五世紀フィレンツェの富豪たちが住んでいた宮殿を模して建てられてと言われている。一九二四年に竣工している。建物の地下二四メートルに連邦準備銀行の金塊保存金庫がある。

 米国の短期金融市場の誘導目標金利がフェデラル・ファンド(FF)金利であり、二〇〇七年八月時点では、年五・五%に誘導していた。

 ニューヨーク連銀は、「レポ取引」を中心とする。これは、民間銀行がもつ米国債などを、売り戻し条件付で買い入れて資金供給を行う取引のことである。

 二〇〇七年八月九日にはニューヨーク連銀は二四〇億ドル(約二兆九〇〇〇億円)を短期金融市場に供給した。

 ヨーロッパでは、ECBの理事会が、通常では、週一回の定例金融調整と月一回の調整を行う。ECBの方針にヨーロッパ各国の中央銀行が従う。国債などの中央銀行による国債担保貸付によって行われる。二〇〇七年八月九日からの四営業日(開始日を含む実際に営業した四日間。カレンダーでの四日間とは異なる。この時の営業日は、九、一〇、一三、一四日、つまり、木、金、月、火曜日の四日間である)で実施された緊急オペでは総額約二一〇〇億ドル(約三三兆円)という巨額のものであった。

 短期金利を一定の水準に誘導するというのがオペレーションの役割であるが、金利水準を調整することと、機能する短期資金を供給することとは、まったく違う次元のものである。 

 短期資金が不足しているときには、この政策には一定の効果はあるが、市場が萎縮してしまっているときには、市中銀行が中央銀行から借りてくれない可能性がある。いわゆる流動性の罠である。

 金利が自由化されたことから、公定歩合が意味をなさなくなった。元々、公定歩合とは、中央銀行が資金不足に悩む民間銀行に資金を直接融資するときの金利である。

 
日本では、一九九四年に銀行の預金金利が自由化されて以来、預金など多くの金利が公定歩合に連動しなくなった。公定歩合の存在意義はほとんどなくなってしまったのである。それゆえに、一九九六年以降、日銀は金融政策の柱を短期金利の誘導目標に切り換えざるを得なくなった。

 ほとんどなくなったという意味は、様々な金利を決定する力は失ったが、少なくとも短期金利の上限を決定する力を公定歩合が保持しているということである。

 二〇〇七年八月の日本の公定歩合は、年〇・七五%であった。もし、短期金利が〇・七五%を超える水準になれば、金融機関はコールで短期資金を調達するよりも、公定歩合の〇・七五%で日銀から直接借り入れた方が得になる。つまり、公定歩合が短期金利の事実上の上限金利となっているのである。

 しかし、公定歩合を下げることによって、短期金利の上限をも引き下げようとする政策を発表しても、市場が萎縮してしまって、資金運用先を見失った金融機関は、中央銀行から資金を借りてくれない。実際に、米国ではそうした事態が八月一七日に発生した。

 この日、二〇〇一年の九・一一事件後に採用された公定歩合の緊急引き下げ以来、六年ぶりに緊急引き下げを行った。しかし、金融機関は、地区連銀からの借入を渋った。そこで、FRBのドナルド・コーン副議長とニューヨーク連銀のティモシー・ガイトナー総裁は、日米欧の大手銀行・証券会社の代表者たちに電話で、公定歩合でのニューヨーク連銀からの直接借入を要請した。八月二二日、シティ・グループなどの米大手四行が、それぞれ五億ドルずつ、計二〇億ドルを地区連銀から借り入れた。大手が借り入れることで資金繰り不安を解消し、パニックの蔓延を防いだのである。

 一九八〇年代後半から九〇年代初めにも不動産価格が急落し、貯蓄金融機関(S&L)が巨額の不良債権を抱えて相次いで破綻し、金融危機が発生した。このとき、米政府は一〇〇億ドル超もの巨額の資金を市中に供与して七四七のS&Lの破綻処理をした。一九九八年のLTCM破綻では、FRBが大手銀行・証券会社一四社に要請して、計三六億ドルを出資させて破綻処理費用に使った。計三回の利下げも実施した。二〇〇一年九月の同時テロで機能麻痺に陥った米経済を立て直すべく、FRBはECBや日銀と協力して協調利下げと資金供給を行ってきた。

 二〇〇七年もそうした過去の手段を使ったが、個別の金融機関の運営失敗によるものではなく、金融商品の仕組みそのものへの疑念から生じたものであるために、伝統的な金融政策によって、混乱が沈静するかどうかは疑問視されている(資料は、「サブプライム問題(下)」『讀賣新聞』二〇〇七年九月五日付を参照した)。

 二〇〇七年九月二一日、『フィナンシャル・タイムズ』「連銀はドル危機を自覚せよ」というタイトルの記事を掲載した("Fed must beware the dolar danger," Financial Times, 21st September,2007)。連銀が短期金利を下げても、これによるドル安を嫌って外国人投資家が米国の金融商品を買わなくなれば、国債が値下がりしてしまう。そうなれば、短期金利安・長期金利高となる。企業の長期資金調達が難しくなって、米国は激しい不況に見舞われ、それがドル暴落を引き起こすというシナリオがそこでは描かれた。

 モルガン・スタンレーのエコノミスト、スティーブン・ローチも「ドルの自由下落」という文をニューヨーク・タイムズに寄稿した("The Free-Falling Dollar," New York Times, Sept. 25, 2007) 。今後、ドル下落が急激に生じるだろう。消費の減少で不況が不可避である。それを察知した外国人はドル建て資産を買わなくなっている。米国の金融商品が売れなくなるだろう。こうした情況が何年も続き、ドルの大暴落を引き起こすだろうというのである(田中宇「米利下げが通貨多極化を誘発する?」二〇〇七年一〇月二日;http://tanakanews.com/)。

 世界からドルが米国に還流するのは、米国に豊富な投資機会があるからであり、ドルの信認はいささかも揺るいでいないと、米通貨当局は人々に信じ込ませてきた。しかし、当局が管理できるのは、短期金融市場だけである。長期金融を監理することなどできない。しかし、監理できない長期金融面で、国債の急激な価格低下によって、ドルは破綻する。米国の金融関係者が誇ってきた金融商品への信用失墜がそうした悲劇を招くのである。