消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

福井日記 No.182 取り付け 金融の倫理

2007-10-13 03:50:11 | 金融の倫理(福井日記)

 古典的な銀行の取り付け騒ぎが、二〇〇七年九月一四日、英国の中堅銀行、ノーザン・ロックで起こった。同月一四日から一七日までに同行の全預金の八%に当たる二〇億ポンド以上の預金が引き出された。本店や支店の前で早朝から並ぶ預金引き出し者の姿がテレビで繰り返し流された。九月一八日の同行の株価は前週末比で四〇%以上も下落した。

 この銀行の設立は新しい。一九六五年に、住宅ローン専門会社として創業され、一九九七年に普通銀行に転換したが、収益の大半は住宅ローンが中心である。普通銀行に転換したとはいえ、住宅ローン専門会社のイメージが強く、他の銀行に比べて預金受け入れは少ない。短期金融市場と住宅ローン担保証券の発行に資金調達を依存している。通常の普通銀行は、資金調達に占める短期資金の比率は五〇%以下なのに、ノーザン銀行は七〇%超もあった。

 同行には、二〇〇七年夏前頃から金融不安説が流れていた。二〇〇六年一二月期の売上高は一〇億一六八〇万ポンドであり、税引き前利益は六億二六七〇万ポンドであった。発行株式の時価総額は英国の銀行の中では第八位を占めていた。

 同行のサブプライム・ローン関連投資は、総資産の〇・二四%にすぎない。同行の総資産一一三〇億ポンド中、サブプライム・ローン関連投資額は二億七五〇〇万ポンドしかなかった。

 しかし、同行の住宅ローン専門会社のイメージが禍いした。二〇〇七年七月以降、サブプライム・ローン不安を受けて、同行の短期資金調達が困難になっていた。そうしたことから、取付騒ぎは発生したのである。

 英国にも金融破綻に備えての預金保険制度がある。二〇〇〇ポンドまでは全額保証、それを超えて残る三万三〇〇〇万ポンドまでは九〇%保証、つまり、三万五〇〇〇万ポンド(約八〇〇万円)を限度とした預金払い戻し保証が付けられている。それ以上は保証されない。

 二〇〇七年八月一七日、アリステア・ダーリング英財務相は、取付騒ぎを沈静させるために、臨時的な措置として預金額の大きさにこだわらず、全額を保証すると発表した。

 
二〇〇七年八月一四日に取り付け騒ぎが発生したときには、中央銀行のイングランド銀行(BOE)ノーザン銀行に緊急融資を行うと発表したにもかかわらず、取付騒ぎは収まらなかった。

 BOEの同行への緊急融資は、政策金利の五・七五%に上積みした金利で、担保を取って行われた。

 英国には、銀行監督を担当する「金融サービス機構」(FSA)がある。この機構が、繰り返し、ノーザン銀行の支払い能力に問題はないとの声明を出している。しかし、なかなか取付騒ぎは沈静化しなかった(『讀賣新聞』二〇〇七年九月一九日付)。

 そして、二〇〇七年一〇月四日の『ウォール・ストリート・ジャーナル』(電子版)の報じるところによれば、米投資ファンドのJCフラワーズとサーベラス・キャピタル・マネジメントの二社がノーザン・ロックの買収に名乗りを挙げたという。両ファンドには、一九九八年に破綻した日本長期信用銀行(現・新生銀行)日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)の買収に関与した人たちをそれぞれ幹部にもっている。ノーザン・ロックに新株を低価格で発行させ、それをファンドが引き受けるという案が浮上している。

 サブプライム・ローン債権を組み込み、高利回りを追求する証券を「債務担保証券」(CDO)というが、米格付け会社が、このCDOの格付けを一斉に下げたことから、多くの金融機関の経営が悪化した。各種の債権をCDOが組み合わせていると表現したが、こうした表現は適切ではない。組み合わせの数は一つの証券化商品に一〇〇〇種類を超えることもあるからである。あまりにも組み合わせの数が多くなりすぎて、商品の正確な値決めができなくなってしまっている。売りつける方は、それが付け目なのであろう。

 こうした金融商品を買わされた金融機関は、損失覚悟で売却しようにも買い手がまったくつかず、塩漬けされてしまっているのである。

 二〇〇七年一〇月に一気に金利が上がるサブプライム・ローン残高は、過去最高の三一三億ドル(約三兆六八九〇億円)になる。焦げ付きが急増するのは必至である。しかも、FRBは二〇〇八年には焦げ付きがさらに増加すると見ている。

 M&A資金を賄うために発行されてきたコマーシャル・ペーパー(CP)も借り換えができなくなってしまっている。資金調達が困難になっているのである。

 欧米の三か月物金利が高止まりしている。欧州では、四・七%に張り付いている。二〇〇七年一〇月四日、ウィーンでECBの定例理事会が開かれたが、それまでの年四%の政策金利を維持すると発表された。金利据え置きは四か月連続となった。サブプライム・ローン問題による金融市場の安定化が最重要課題であるとの確認がなされた(『讀賣新聞』二〇〇七年一〇月五日)。

 ある新聞が、日本で成功した外国籍の若いベンチャー企業の成功者の話を掲載した。要約する。

 格差拡大が議論されているが、格差そのものの存在は容認すべきである。頑張れば皆が同じ結果を得るというのは幻想である。資本主義はそんなものではなく、本来的に格差を内包するものである。テレビのお茶の間番組でホリエモンや村上世彰氏らが血祭りに上げられたが、これはベンチャーで成功した人へのやっかみ半分である。資本主義の原動力は成長であり、ベンチャーというリスク・テイカーが富を売ることから生まれる格差は容認すべきである。リスクをとった人を叩き過ぎれば、誰もリスクをとらず、成長が生じなくなってしまう。

 経営者の報酬はもっと増やされるべきである。経営責任が昔より格段に厳しく問われるようになったからである。その意味でも企業の不祥事に役員が報酬を返上して免罪されるという日本の慣行はおかしい。

 日本人は努力しない人まで平等を唱えるようになってしまった。自ら勝ち取った平等ではなく外から与えられた平等なので、平等の意味を知らないのである。また清貧思想も問題である。正しい人は貧しくても清く生きるべきだという考え方ならまだいい。しかし、貧しい人、弱者の方が、清く正しいという考え方は間違っている。役所もマスコミもそうした主張に逆らえず、まるで中国で発生した文化大革命のようだ。

 ひとたび大事故が起これば全国の回転ドアが止められるという過剰反応を日本人はしてしまう。日本では経営者が小心になってしまっている。日本経済の活力が失われたのは、経営者が無難を求めたからである。

 日本は清貧ではなく、「清豊」を称賛すべきである。成果が報われる社会を作らないと優秀な人は海外に行ってしまい、海外からの優秀な人材も起用できない。格差を前向きに受け止め、弊害が生じれば福祉など別の方法で解決すべきである。


 読者諸氏はこの人の談話をどのように受け止めるのだろうか。私は、こうしたことを小さな成功者の豪語であると切り捨てる。当ブログを通じて、その理由を説明していきたい。