「汀家」を10時にチェックアウト。時間があるので、焼津のほぼ西に隣接する島田市の「島田宿」など、大井川関係のスポットに立ち寄ります。
40分程で「島田市博物館」に到着。
「島田宿」・「大井川川越(かわごし)遺跡」の散策は、博物館の駐車場を利用させていただきます。(博物館は開館中ですが、地元民俗を勉強できるという感じではなかったのでスルーしました。)
「島田宿」は東海道の23番目の宿場で、何と言っても大井川の川越しがメインの宿場町。大井川が大雨で増水すれば旅人は何日も足止めされたため、大いに栄えたそうです。
宿場町が「大井川川越遺跡」として保存されていて、駐車場脇には、川越しの様子を表した、立派な石碑があります。
(後で気付きましたが、この「連台」に乗って記念撮影ができるのでは。(笑))
ここからすぐに「大井川川越遺跡」、つまりは島田宿の街道筋の様子を再現(保存?)した街並みが始まります。
江戸時代、幕府により架橋、通船を禁じられていたため、大井川は川越人足たちの手を借りなければ渡ることができない東海道最大の難所でした。先程の石碑にも彫られていますが、その難所ぶりを謳ったのが「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」。
歩き始めるとすぐにあるのが「せき跡」。
街道を挟んでもう一方にも同じ石垣があり、この溝に板をはめ、大井川が越水した時には、❝止水板❞となったそうです。
歩いているのは私たち夫婦くらいですが、街道筋には、当時の「川会所」、「札場」、「番宿」などが復元され、自由に見学できます。これらは、当日の川越料金の掲示、川札(チケット)の販売、初めての旅人への案内などの役割を担っていたそうです。
(川越人足さんたち。結構リアルで驚きます。)
大井川を渡してもらうためには、「川札」(チケット)が必要ですが、川札の料金は当日の川の深さと幅で変動し、「肩車」、「連台越し」など渡り方のグレードで必要な川札の枚数が決まっていたそうです。
(ネットより拝借。)
ちなみに、先程の駐車場脇にある石碑の場合、渡し料はいくらになるのか、計算してみました。
「乳通」(ちちどおし)の「平連台(手すりなし)」なので、担ぎ手4人(川札4枚)+台札1枚(川札2枚相当)=川札6枚=14,040円、となります。これは一人旅の場合で、夫婦旅なら2人乗りの台&担ぎ手6人で川札計8枚=18,720円なり。(笑)
島田宿を出発して、次は「大井神社」にお参りします。
創建時期は不明だそうですが、貞観7年(865)には書物にその名が記されているとか。御祭神が、水の神「彌都波能売神」、土の神「波邇夜須比売神」、日の神「天照大神」とみなさん女神なので、往時から、安産、女性や子どもの守護神として信仰されていたようです。御朱印とともにいただいたご由緒書きには、大井川鎮護に加え、交通安全、旅行安全の御利益があると書かれています。
境内にあるこの像は、大井神社の大祭「帯まつり」で大奴が大太刀に帯を下げて披露している様子です。
(「帯まつり」は「日本三奇祭」の1つと書かれていますが、諸説あるようです。)
「帯まつり」のことを調べてみました。
当時島田に嫁入りをすると、大井神社に参拝の後、新婦が嫁入りの丸帯を持って町中全戸に挨拶回りをする風習があり、大きく広がっていく町並みに困っていたそうです。そこで、当時から安産の守護神として信仰のあった大井神社の御神輿の行列の先頭を行く大奴の大太刀にその帯を下げて披露するようになったことが始まりとのことです。
境内の涼やかな景色。疫病退散・心願成就のため、毎年夏期限定で「風鈴奉納」をやっているようです。
(風鈴の音に暑さが和らぎます。)
お参りして御朱印をいただきました。
大井神社、街中にある立派な神社でした。
大井神社を出発して、最後の立ち寄りスポット、大井川に架かる「蓬莱橋」へ向かいます。
雄大な大井川の土手を快適に走ること10分ちょっと、河川敷の舗装された駐車場に到着。さっそく蓬莱橋の渡り口へ。
(時代劇の終わりのシーンで何度も観たような。❝一件落着❞して主人公たちが旅立ちと別れをこの橋の上で、、、。)
「蓬莱橋」は全長897.4m(幅2.4m)の木造歩道橋で、「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネスブックに登録されています。(平成9年(1997)12月30日登録。)
渡橋料100円。現在では数少ない「賃取橋」で、橋のたもとにいる「橋番」に通行料を支払ってから渡ります。
現在の「橋番」は、この「蓬莱橋897.4(やくなし)茶屋」(平成30年(2018)3月にオープンした物産販売所)の窓口となります。
(橋を渡り始めた所で振り返って見た「やくなし茶屋」。右端に渡橋料を払う窓口があります。)
渡り始めてすぐに思いましたが、「この橋は何のため? 観光用?」。
1日300人前後、年間10万人以上が訪れるこの橋は、明治12年(1879)に、今では全国有数の茶の生産地となった「牧之原台地」の開墾のために架けられた農業用の橋だそうです。(それまでは小船で大井川を渡っていたそうです。)
(中間点まであと少しの所で大井川を望む。確かに、この雄大な大井川を小船で往来するのは危険。)
800mを超える長さの橋ですので、結構歩きます。ようやく中間点。
(中間点の表示が妙にラフで面白い。)
渡り切ると、展望所へのルートがあります。
(「蓬莱の島台」。展望所まではすぐ。)
インスタのフレームを思わせる木製の枠があります。
「897.4m」を語呂合わせで「やくなし(厄無し)」は分かりましたが、「nagaikinohashi」って何だろうと思ったら、「長い木の橋」→「長生きの橋」とのこと。(笑)
この木製の枠は、蓬莱橋のメンテナンスで出た木を活用しているそうです。
語呂合わせはともかく、ここからは蓬莱橋の絶景を見ることができます。
(これはなかなかの景色です。)
この展望所から先も散策路はずっと続いているようですが、お天気もかなり怪しくなってきましたので、私たちはここで引き返します。
ここにあるこの「愛和の鐘」が気になったのでご紹介を。
(「三ッ以上」が気になります。「四ッ以上」じゃないのだろうか。)
さて、帰路です。ついに雨がポツポツ降り始めました。
「ど真ん中」の中間点あたりではかなりの降りになってきて、最後は小走りで「やくなし茶屋」の軒下に駆け込みました。
車に戻る頃には本降りに。
(まぁ、ギリギリお天気は持ち堪えたって感じです。)
時刻はお昼を少し過ぎたところ。伊東(網代)に向かいますが、昼食は東名高速の途中で、、、偶然にも初日と同じ日本平PA(下り・上りは違いますが)に入りました。
昨日、富士山本宮浅間大社の門前で食べ損ねた富士宮焼きそばを。
(ちょっとイメージと違う富士宮焼きそばですが、ご愛敬ということで。(笑) 妻は海老のかき揚げのうどん。)
目を引いたのは、この「うなぎパイ」。
(出入口に貼られていたポスター。)
「うなぎパイ ミニ」のファンの妻が嬉しそうに詰め合わせを買っていました。(笑)
雨は降り続いていますが、車の走行に支障はありません。伊豆半島に入った頃、九州ではまず経験しない渋滞が少しありましたが、予定通り15時過ぎに「ホテルふたり木もれ陽」に到着。
評判の「オールインクルーシブ」の宿。太平洋の絶景を望みながら部屋付きの露天風呂と、本格フレンチの夕食を楽しみます。
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