≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
「せいか小さな旅は毎月22日ですよ、みなさぁん覚えといてくださいよ~~」
第11回 せいか小さな旅:2014年5月22日
・・・里巡り『風薫る川堤と里山』編・・・
山田川堤を西へ、、西へ、、乾谷・新谷の里山を辿る旅
初夏を身体いっぱいに感じながら みんなでウォーキング
《コース》
スタート⇒近鉄山田川駅⇒山田川堤を西へ⇒旧山田荘小学校跡⇒乾谷大師堂⇒光明寺⇒乾谷川源流⇒乾谷の里山⇒光台五丁目:春の丘公園⇒解散(お昼前)
スタート前に
「スタンプラリーでスタンプが満杯になられた方が3名おられます、シルバー人材の方たちといろいろ相談した結果、シルバー人材センター作製の堆肥10㌔入りを一袋、または毎月、一日、十日、廿日にシルバーでシルバーサロン(10:00~3:00)というのがありますが、そこでのコーヒー券2杯分、お楽しみ券としてお渡ししたいと考えております、それに小さな旅のダイジェスト版DVDをお渡しします」3名の方がゲットされました。
「皆さん期待を込めて参加しましょう」
ちょっと簡単なストレッチ体操を終えて出発です。
普段なら、あっという間に車で通りぬける道を川の向こう側に見ながら、ひたすら散策道を歩きます、久し振りに会った歩き友達と話しがはずみます。
山田荘(やまだしょう)小学校跡
昭和11年(1936年)当時の山田荘小学校
明治19年7月 創立(当時から東畑には分校あり)今年創立128周年
昭和61年4月 新校舎(桜ヶ丘)に移転
平成5年3月 東畑分校廃校(東光小学校新設につき同小学校区に)
当時、東畑分校に通われていたM(ふるさと案内人)さんによりますと、4年生までは分校に通い5、6年生になると東畑から自転車でこの本校に通っていたそうです、学校行事(運動会、学芸会、式)の日は全員が本校に。
敷地の面積も手狭になり、だんだんと国道の往来も激しくなり防音対策など検討されましたが、国道から、かなり離れた高台の静かなところに移転(現在の山田荘小学校)
通学校区は桜ヶ丘、旧乾谷、柘榴の3地域から(旧村からの割合は減り現在90%は桜ヶ丘地区から)
石碑が残ってるだけで小学校跡という雰囲気はないですね、創立(昭和11年)当時の写真など見せていただきました、国道163のすぐ傍にあったんですが、当時は車の往来もあんまりなくノンビリとしていたそうです。
山田荘小学校跡から歩いて(何分ぐらいだったかな?)
乾谷大師堂
「祠(ほこら)の中に弘法大師様がおられるので、ぜひお顔をみられたら良いんじゃないでしょうか」
っと、ふるさと案内人のロクサンがお話されました
弘法大師(空海)について ➱こちら
お話の後、石段を数段上り祠の中を皆さんそれぞれ覗き込みました。
豆ライトをかして下さる方がおられて、中を覗きますと小さな(お顔が可愛い)弘法大師様が座っておられました(視線が合ったような気が・・・)
光明寺
ちょっと高台に位置してます、ご本尊の方から家々を見守るように、また、地域の家々から下からでもご本尊がお祈りすることができるように・・・
開創の時期については不明
寛政四年(1792年)に焼亡する
寛政八年(1796年)に僧侶知覚が復興する
平成25年10月27日に晋山式実施(ご住職を新しくお迎えしてお披露目する)
無量山 光明寺 第32世 寛空直典(かんくう じきてん)只今、独身
ご本尊 阿弥陀如来立像(江戸時代作)
平城京の都を作る時の瓦をここら辺りで作ってたという跡が、木津の市坂、歌姫、押熊辺りに瓦窯跡があります。高温で堅い瓦を造るためには登り窯式で作られたらしい、押熊の交差点近くのマンションの裏辺りに、押熊瓦窯を復元した瓦窯跡があるそうです(おやおやそうですか)
乾谷川源流
光台、精華台の雨水は汚水とは別に側溝からマンホールへそしてこの水路へ、この水路は押熊への道路の下を走ってR163の交差点のところで山田川へ流れ込んでいる。
付近の民家
竈の煙を抜くための屋根の上の窓が印象的でした
R163へのいつも通る道路の下をくぐって、乾谷の里山の方へ
イノシシ除けのフェンスにいっぱいの毛虫たち
ここの里山では4月に鹿と遭遇したそうです(写真を見せていただきました)なんでもスゴク人馴れしていたので奈良公園から来たんではないかなっと噂されてるそうです。
里山風景を満喫しながらの散策でしたが普段はイノシシ除けの柵がしてあって、入れないそうです。
光台5丁目春の丘公園で解散、バスで近鉄新祝園まで出て狛田駅まで一駅乗って帰りました。
「わんちゃん、このお花の名前は何ていうの?」
「ムラサキツユクサでこっちはタツナミソウでぇす」
巣を張って獲物を待ち受けるクモの種について神奈川県在住りゅうさんよりコメントいただきました ➱こちら
「せいか小さな旅は毎月22日ですよ、みなさぁん覚えといてくださいよ~~」
第11回 せいか小さな旅:2014年5月22日
・・・里巡り『風薫る川堤と里山』編・・・
山田川堤を西へ、、西へ、、乾谷・新谷の里山を辿る旅
初夏を身体いっぱいに感じながら みんなでウォーキング
《コース》
スタート⇒近鉄山田川駅⇒山田川堤を西へ⇒旧山田荘小学校跡⇒乾谷大師堂⇒光明寺⇒乾谷川源流⇒乾谷の里山⇒光台五丁目:春の丘公園⇒解散(お昼前)
スタート前に
「スタンプラリーでスタンプが満杯になられた方が3名おられます、シルバー人材の方たちといろいろ相談した結果、シルバー人材センター作製の堆肥10㌔入りを一袋、または毎月、一日、十日、廿日にシルバーでシルバーサロン(10:00~3:00)というのがありますが、そこでのコーヒー券2杯分、お楽しみ券としてお渡ししたいと考えております、それに小さな旅のダイジェスト版DVDをお渡しします」3名の方がゲットされました。
「皆さん期待を込めて参加しましょう」
ちょっと簡単なストレッチ体操を終えて出発です。
普段なら、あっという間に車で通りぬける道を川の向こう側に見ながら、ひたすら散策道を歩きます、久し振りに会った歩き友達と話しがはずみます。
山田荘(やまだしょう)小学校跡
昭和11年(1936年)当時の山田荘小学校
明治19年7月 創立(当時から東畑には分校あり)今年創立128周年
昭和61年4月 新校舎(桜ヶ丘)に移転
平成5年3月 東畑分校廃校(東光小学校新設につき同小学校区に)
当時、東畑分校に通われていたM(ふるさと案内人)さんによりますと、4年生までは分校に通い5、6年生になると東畑から自転車でこの本校に通っていたそうです、学校行事(運動会、学芸会、式)の日は全員が本校に。
敷地の面積も手狭になり、だんだんと国道の往来も激しくなり防音対策など検討されましたが、国道から、かなり離れた高台の静かなところに移転(現在の山田荘小学校)
通学校区は桜ヶ丘、旧乾谷、柘榴の3地域から(旧村からの割合は減り現在90%は桜ヶ丘地区から)
石碑が残ってるだけで小学校跡という雰囲気はないですね、創立(昭和11年)当時の写真など見せていただきました、国道163のすぐ傍にあったんですが、当時は車の往来もあんまりなくノンビリとしていたそうです。
山田荘小学校跡から歩いて(何分ぐらいだったかな?)
乾谷大師堂
「祠(ほこら)の中に弘法大師様がおられるので、ぜひお顔をみられたら良いんじゃないでしょうか」
っと、ふるさと案内人のロクサンがお話されました
弘法大師(空海)について ➱こちら
お話の後、石段を数段上り祠の中を皆さんそれぞれ覗き込みました。
豆ライトをかして下さる方がおられて、中を覗きますと小さな(お顔が可愛い)弘法大師様が座っておられました(視線が合ったような気が・・・)
光明寺
ちょっと高台に位置してます、ご本尊の方から家々を見守るように、また、地域の家々から下からでもご本尊がお祈りすることができるように・・・
開創の時期については不明
寛政四年(1792年)に焼亡する
寛政八年(1796年)に僧侶知覚が復興する
平成25年10月27日に晋山式実施(ご住職を新しくお迎えしてお披露目する)
無量山 光明寺 第32世 寛空直典(かんくう じきてん)只今、独身
ご本尊 阿弥陀如来立像(江戸時代作)
平城京の都を作る時の瓦をここら辺りで作ってたという跡が、木津の市坂、歌姫、押熊辺りに瓦窯跡があります。高温で堅い瓦を造るためには登り窯式で作られたらしい、押熊の交差点近くのマンションの裏辺りに、押熊瓦窯を復元した瓦窯跡があるそうです(おやおやそうですか)
乾谷川源流
光台、精華台の雨水は汚水とは別に側溝からマンホールへそしてこの水路へ、この水路は押熊への道路の下を走ってR163の交差点のところで山田川へ流れ込んでいる。
付近の民家
竈の煙を抜くための屋根の上の窓が印象的でした
R163へのいつも通る道路の下をくぐって、乾谷の里山の方へ
イノシシ除けのフェンスにいっぱいの毛虫たち
ここの里山では4月に鹿と遭遇したそうです(写真を見せていただきました)なんでもスゴク人馴れしていたので奈良公園から来たんではないかなっと噂されてるそうです。
里山風景を満喫しながらの散策でしたが普段はイノシシ除けの柵がしてあって、入れないそうです。
光台5丁目春の丘公園で解散、バスで近鉄新祝園まで出て狛田駅まで一駅乗って帰りました。
「わんちゃん、このお花の名前は何ていうの?」
「ムラサキツユクサでこっちはタツナミソウでぇす」
巣を張って獲物を待ち受けるクモの種について神奈川県在住りゅうさんよりコメントいただきました ➱こちら