blog友達のミコさんから
「奈良の高取でも3月いっぱい『町家のひなめぐり』やっているそうです。お雛様もたくさんの人に見ていただいてこそですよね」ってコメントをいただいて、高取の方へも行ってみたいなと思って・・・
それで、行ってまいりました、友達のOさんと一緒にね、3月中旬の頃でした。
壺阪山駅で降りまして駅前に出ると
“高取町 土佐街なみ、その町家には、大切に蔵われている雛人形がいます。
どの雛人形にも、家の思い出と願いが込められている大切な「お雛さま」です。
ごゆっくりと、高取町土佐街なみの「お雛さま」を巡り歩いてお楽しみください。”
開催期間:平成24年3月1日(木)~3月31日(土) 午前10時~午後4時
定休日、展示時間は各家により異なります
午後4時以降はご遠慮ください
こんな↑チラシをいただきました。
幾つになっても雛人形には一種独特の想いを抱きますね、
わんちゃんの初節句は戦争末期の頃、とてもお雛さまどころじゃ無かったそうです。
子どもの頃、田舎で母のお雛さまに出合った時
「このお雛さまが欲しい」って、おばあさんにせがんだそうです。
「ウチの中が狭くなるじゃろう、桃の節句にゃ飾るから、ここへ来ればええがな」って。
それから、いっぺん会いに行ったかなぁ・・・
大人になってからは新しいお雛さまに変ってしまったような記憶があるんですけど、まさに大正時代のお雛さま、蔵の中にしまわれたマンマ・・・
そうそう、町家の雛めぐりの中には、こんなお雛さまにスポットライトが・・・
食料品スーパー、お寺、神社、薬局、食堂、人形店、呉服店、洋品店、電器店、
化粧品店、喫茶店、画廊、美容院、理容院、米穀店、酒屋さん、一般民家等々
実に90ケ所以上にも・・・
一か所づつ見学させていただき写真を撮らせていただきました。
そして、どちらのお雛さまにも、そのそばにそのお雛さまの持ち主のメッセージが色紙に書かれて添えられてありました
このお雛さまは、今は一男二女の子供の母親になっている娘が生まれた時実家の父と夫が大阪松屋町の人形専門店で買ったお雛さまです。
私は木目込み人形で考えて欲しいと言ったんです、それで父と夫は結構苦労したそうです。
娘がお嫁に行くまでは雛段の組み立ては夫、雛人形は娘と私とで飾ってましたが、娘が嫁いでからは娘の雛人形は押し入れの中で眠ったマンマでした、が、今回町屋の雛めぐりイベントが行われると聞きましたので、飾っていただくようにお願いしました。
このお雛さまは昭和38年のモノです。
今は亡き両親が娘のために買ってくれたもので、今では珍しい屋形のお雛さまです。娘たちが嫁いでからは飾らなくなりました、が、このよき企画に便乗して押し入れから出してみました。
娘たちの小さかったころのことを思い出し、また、両親のことを遠い昔の事のように思い出しています。
このお雛さまは私が生まれた時(昭和46年)に祖母から贈ってもらったものです。
小さい時はこのお雛さまが何故か怖くあまり好きではなかったのです。
でもオルゴールや小さなお道具などが可愛いので、怖々そぉ~っと遊んだ記憶があります。
私が大人になったころには関心も薄れお内裏様とお雛さまだけしか箱から出さなくなってしまいました。十数年を経てまた明るい場所で私の二人の小さな娘たちが、かって私がしていたように、怖々オルゴールを鳴らしたり小さなお道具を触ったりして、大切に遊んでいます。
昭和30年娘が生まれ、私の両親が贈ってくれたお雛さまです
その地方で一般的家庭で飾られていたお雛さまだそうですが少し変わったモノで館が大きくお雛さまが小さく、今では馴染みの少ないお雛さまだと思います。
飾り付けがタイヘンだったことを覚えています、
このお雛さまは昭和30年代のモノです、堺の母から贈られ、吉野の里で50年3人の娘たちの成長を見守ってくれました。これからはこの由緒ある高取の町で皆様に可愛がっていただけることを心から嬉しく思います。
毎年元気でこのお雛様たちに逢いに来よう、また新しい楽しみをいただきました。
2012.3.16高取土佐町並み『町家のひなめぐり』.wmv
【おまけ】
高取土佐町並み『町家の雛めぐり』の舞台にもなっている「土佐街道」。
6世紀、大和朝廷の労役で土佐の国からここに召しだされたものの、任務が終わっても帰郷できなかった者が住み着いたことからこの名前になったそうです。高取城の城下町として、全盛期には500棟もの商家が並び、今なお連子窓を持った家が並ぶ味わいのある街並みが続きます。
「奈良の高取でも3月いっぱい『町家のひなめぐり』やっているそうです。お雛様もたくさんの人に見ていただいてこそですよね」ってコメントをいただいて、高取の方へも行ってみたいなと思って・・・
それで、行ってまいりました、友達のOさんと一緒にね、3月中旬の頃でした。
壺阪山駅で降りまして駅前に出ると
“高取町 土佐街なみ、その町家には、大切に蔵われている雛人形がいます。
どの雛人形にも、家の思い出と願いが込められている大切な「お雛さま」です。
ごゆっくりと、高取町土佐街なみの「お雛さま」を巡り歩いてお楽しみください。”
開催期間:平成24年3月1日(木)~3月31日(土) 午前10時~午後4時
定休日、展示時間は各家により異なります
午後4時以降はご遠慮ください
こんな↑チラシをいただきました。
幾つになっても雛人形には一種独特の想いを抱きますね、
わんちゃんの初節句は戦争末期の頃、とてもお雛さまどころじゃ無かったそうです。
子どもの頃、田舎で母のお雛さまに出合った時
「このお雛さまが欲しい」って、おばあさんにせがんだそうです。
「ウチの中が狭くなるじゃろう、桃の節句にゃ飾るから、ここへ来ればええがな」って。
それから、いっぺん会いに行ったかなぁ・・・
大人になってからは新しいお雛さまに変ってしまったような記憶があるんですけど、まさに大正時代のお雛さま、蔵の中にしまわれたマンマ・・・
そうそう、町家の雛めぐりの中には、こんなお雛さまにスポットライトが・・・
食料品スーパー、お寺、神社、薬局、食堂、人形店、呉服店、洋品店、電器店、
化粧品店、喫茶店、画廊、美容院、理容院、米穀店、酒屋さん、一般民家等々
実に90ケ所以上にも・・・
一か所づつ見学させていただき写真を撮らせていただきました。
そして、どちらのお雛さまにも、そのそばにそのお雛さまの持ち主のメッセージが色紙に書かれて添えられてありました
このお雛さまは、今は一男二女の子供の母親になっている娘が生まれた時実家の父と夫が大阪松屋町の人形専門店で買ったお雛さまです。
私は木目込み人形で考えて欲しいと言ったんです、それで父と夫は結構苦労したそうです。
娘がお嫁に行くまでは雛段の組み立ては夫、雛人形は娘と私とで飾ってましたが、娘が嫁いでからは娘の雛人形は押し入れの中で眠ったマンマでした、が、今回町屋の雛めぐりイベントが行われると聞きましたので、飾っていただくようにお願いしました。
このお雛さまは昭和38年のモノです。
今は亡き両親が娘のために買ってくれたもので、今では珍しい屋形のお雛さまです。娘たちが嫁いでからは飾らなくなりました、が、このよき企画に便乗して押し入れから出してみました。
娘たちの小さかったころのことを思い出し、また、両親のことを遠い昔の事のように思い出しています。
このお雛さまは私が生まれた時(昭和46年)に祖母から贈ってもらったものです。
小さい時はこのお雛さまが何故か怖くあまり好きではなかったのです。
でもオルゴールや小さなお道具などが可愛いので、怖々そぉ~っと遊んだ記憶があります。
私が大人になったころには関心も薄れお内裏様とお雛さまだけしか箱から出さなくなってしまいました。十数年を経てまた明るい場所で私の二人の小さな娘たちが、かって私がしていたように、怖々オルゴールを鳴らしたり小さなお道具を触ったりして、大切に遊んでいます。
昭和30年娘が生まれ、私の両親が贈ってくれたお雛さまです
その地方で一般的家庭で飾られていたお雛さまだそうですが少し変わったモノで館が大きくお雛さまが小さく、今では馴染みの少ないお雛さまだと思います。
飾り付けがタイヘンだったことを覚えています、
このお雛さまは昭和30年代のモノです、堺の母から贈られ、吉野の里で50年3人の娘たちの成長を見守ってくれました。これからはこの由緒ある高取の町で皆様に可愛がっていただけることを心から嬉しく思います。
毎年元気でこのお雛様たちに逢いに来よう、また新しい楽しみをいただきました。
2012.3.16高取土佐町並み『町家のひなめぐり』.wmv
【おまけ】
高取土佐町並み『町家の雛めぐり』の舞台にもなっている「土佐街道」。
6世紀、大和朝廷の労役で土佐の国からここに召しだされたものの、任務が終わっても帰郷できなかった者が住み着いたことからこの名前になったそうです。高取城の城下町として、全盛期には500棟もの商家が並び、今なお連子窓を持った家が並ぶ味わいのある街並みが続きます。